批判は拳の届く距離で


さあ!! 諸君!!

煽ったり煽られたり 潰したり潰されたりしよう

さあ 乾盃をしよう 宴は遂に 今宵・此の時より開かれたのだ

ネット上の議論は楽しい。匿名の相手同士は些細なことから議論が始まり、瞬く間に過激な意見の応酬に発展する。

議論の手段は手元のエビデンスの引用、論理のテクニックの応酬のような「健全な」ものから、相手へのラベリングや侮辱といった人格攻撃、問題の一般化や2元論化のような詭弁、さらには匿名性を利用した自作自演のような匿名掲示板ならではのテクニック等、インターネットでの匿名議論はあらゆるテクニックを駆使した高度なゲームの様相を呈している。

お互いが匿名同士だと議論も気が楽で、こちらが有利ならば平気で止めを刺すまで相手を追及できる。一方、自分達のほうが不利ならば「あんたら必死だな(プ。」で議論を打ち切れば、また何事もなかったように別の喧嘩に加われる。

相手の実名が特定できる場合、話は全く違ってくる。

実名が公開されている、あるいは特定可能な人は、議論に負けることは許されない。

実世界での議論では、明確な勝ち負けがつくことは珍しい。議論が白熱し、本気の殴り合いになってしまえば議論の勝ち負けはうやむやになる。そこまで行かなくても、通常お互いに「落しどころ」を探しながら議論をするので、議論を有利に運んだほうが相手をとことん追い込むことは少ない。

もちろん、弁護士のかかわる示談交渉や会社組織同士の議論は話が別だが、あれは議論のプロ同士の話だ。

一方でネット上の議論は、勝ち負けは常にはっきりとつく。公開の場での議論には多数のギャラリーがつくのは避けられず、議論が続かず回線の接続を切った時点で「負けた」とみなされる。勝ち馬に乗った側の追求の手は止むことはなく、たいていは相手が「参りました」をするまで議論は続く。

匿名VS実名の議論は実名を出しているサイドに圧倒的に不利だ。匿名側はいつでも勝手に議論を打ち切れるし、煽りや騙り、果ては議論の相手のプライバシーの公開や過去の出来事に対する中傷等、やりたい放題だ。

実名を出している側のダメージは大きい。匿名者がおもちゃの刀を振り下ろす感覚で書き込んだ批判的な意見は、実名を出しているほうにしてみれば日本刀で切りつけられたに等しい。

困るのは切り込んできた匿名者にその自覚がないことで、実名を出している側にしてみれば弁護士の力を借りてでも対処しないと、自分の社会での立場を守れない。「あなたも実名を公開しなさい」と、相手に同じ土俵に立つことを要求しても、具体的な「力」を示されなくては誰も好んで不利な立場に下りるわけもない。

実名を公開している人との議論は、なにかあったら相手をブン殴れる距離でやらないと、批判的な意見を戦わせることは難しい。言葉だけでは人の持っている情報の半分も伝えられないので、ネット上では議論の落しどころを見つけることは不可能に近い。

「このまま追求つづけると議論には勝てそうだが、止めを刺すとぶん殴られるかな」という感覚がお互いに共有できないならば、公正で対等なディスカッションなどありえない。

匿名の人と実名の人とはネット上で住み分けるべきで、実名を公開している側がよほどの議論のベテランでないならば、匿名側の住人が実名側の議論に突っ込んではいけないと思う。

個人的には、実名を公開している人に意見するときには実名でメールを送ることが多い。特にLaTeX関係のWEBページを公開している人たちはほとんどが実名でやっているので、質問メールなどはいつも実名でやり取りしている。

他人から顰蹙を買うような内容も多いページをずっと運営しているが、この方針で結構トラブルこともなく、何とかなっている。

この3年ほどで1回サイトを乗っ取られ(公開ページにエロ画像を張られた)、2回ほど掲示板を荒らされ、"死ね""あんた本物のバカだ"といった匿名メールは今でもしょっちゅう送られるが、その程度ならどのサイト管理者も経験済みのことだと思う…。

詭弁の特徴のガイドライン

ラベリング型:発言内容を問うのではなく相手の姿勢そのものをレッテル貼り(ラベリング)することで、議論を一方的に誘導しようとする。
攻撃型:反論が目的であるかの如く、とにかく反論する。多くは言葉尻にのみ反応する。
宗教型:常識・人権・学会などの権威に依存していて、ある程度話を詰めると思考停止状態になる。
侮蔑型:様々な理由をつけてひたすら相手を蔑む。根拠不明の優越感を持っている。
一般化型:特殊な意見や個人的な価値観を敵性派閥全員が主張しているかのように一般化する。
単純型:釜茹でマンセーなど、深いことを考えていない単発の意見を書く。ネタの可能性大。
秘匿型:自分の意見を全く表明せず、安全地帯から他人の意見に茶々だけ入れて荒らす。
電波型:見当違いの会話や理論を押し付けてくる。突然逆ギレすることも。
分裂型:自ら上記のような手法を使うがそれは顧みず、他人が使ったときだけ鬼の首を取ったように責める。