外来の早い医者は評判がいい

あせればあせるほど外来の患者は滞る。

1時間待たされた人は1時間分話を聞いてもらおうと怒涛のようにしゃべり、それを適当に聞き流そうとする医者の雰囲気はすぐに相手に伝わる。「こいつまともに聞いていないな」と感じた患者はますます会話のトーンを上げ、外来の雰囲気は殺伐としてくる。

病院は公平に出来ている。忙しい医者ほど患者の評判は悪く、結果として患者数はだんだんと平等に分配され、すべての医師の負担はやがて同様になる…。

そんなことはない。

忙しい先生の外来は相変わらず忙しく、また患者さんの評判も妙によい。外来人数の少ない先生の外来はなぜか評判が今ひとつで、ゆっくりと診ている割にはどういうわけか雰囲気が殺伐としていたりする。

診察の腕の差か?多少はあるかもしれない。しかし年次が一定以上であれば、医者ごとの腕の差などそんなに大きな違いはない。外来が遅い先生が、過去になにか致命的な失敗をしでかしたなどという話も聞かない。

一番の違いは、おそらくは外来患者をさばく際の考え方の違いである。

患者さんを早くさばこうとする医師は、目の前の患者さんを困難な目標としてとらえてしまう。早くこの人を診察して次に行かなきゃという必死な思いは相手に伝わり、結果として相手はいつまでも外来ブースから出て行ってくれない。

上手で早い先生は、患者さんに対して笑みを絶やさない。一見すると患者さんは安心していつまでもしゃべりそうだが、実際は逆だ。上手な先生は「よくなったですね」という一言で相手を縛る。親しい患者さんになればなるほど、医者の微笑を崩すのが怖くなり、不必要な訴えを遠慮する。

結果、ベテランの患者さんは必要なことしか外来で話さなくなり、午前中で100人などという信じられないスピードで外来が進行する。

見逃しは当然出てくる。大体そうした患者さんは、よほど調子が悪くなければ主治医には何もしゃべらない。ただ、そうしたケースがあっても外来主治医が責められる可能性はまずないし、また調子を崩した当の本人も同じ医師にかかりたがる。極端な例では、退院後の外来で「この前は調子を崩してしまってすいません」などと、主治医に謝りさえする。

実際のところはこうした見逃しは比較的まれで、戦闘的な外来の中で深刻な病気を発見するよりも、和やかな外来の中で「この人何かいつもと違うな」と気がつくほうが、むしろ簡単だ。

自分もいつかは、こうした名人芸を身につけたいとあがいてみたが、あざとさが透けて見えてしまうのみ…。他人を操ってやろうなどと下衆な考えで外来に臨んでも、なかなか上手くはいかない。

まだまだ修行が足りない。