不公平な臨床研修

厳しい研修医生活の中にも楽しいことはある。

治療のための手技、手術への助手としての参加、勉強になる症例の受け持ち、先輩医師からの実戦的な知識の伝授などなど。病棟の雑用係としての忙しい生活の中で、しばしば教科書では学べない興味深い体験が転がり込んでくる。

複数の研修医がひとつの病院で臨床研修を行っている場合、こうした「御褒美」は公平に与えられることはなく、たいていは特定のレジデントの総取りになる。どの科をまわっても、楽しい経験、貴重なレクチャーはチームの特定のレジデントに対してのみ行われ、「負け組み」に回った研修医にはそうした機会は決して回ってくることはない。

上級生から常にかわいがられている研修医はずば抜けて優秀なのか?そんなことはない。研修開始直後のレジデントの「優秀さ」など計りようが無いし、だいたい上級生はそこまでレジデントに関心など持っていない。

こうした「御褒美」が研修医の優秀さに対して対価として与えられるものならば、運動会の景品よろしく1位の人間にはこれだけ、2位の人間にはこれだけ、と不公平は残るものの、1位の奴が景品を総取りすることなどあり得ない。一方実際の臨床研修での「景品」の不公平さは運動会どころではなく、このことからも上級医師がなんらかの「優秀さ」を尺度にレジデントに褒美を与えているわけではないことが分かるはずだ。

かわいがられるレジデントとそうでないレジデントとを分けるものは、恐らくは研修のごく初期のわずかな立ち位置の違いだ。

臨床研修開始の初期にわずかだけ積極的であったレジデント、上級生から聞かれた質問の答えをたまたま知っていたレジデントは、次に何かイベントがあったときに声がかかる可能性が高くなる。1回でも場数を踏んだレジデントは、仕事の流れを知っているので上級生にとっては「便利な奴」になり、ますます多くの声がかかる。

こうしたことが何回か続くと、わずかであったはずの実力の差が徐々に本当の力の差になり、力のあるレジデントにはますます多くの声がかかり、そうでないレジデントに「彼、おとなしいよね」などと陰口が聞こえるようになる頃にはその差は挽回不可能なものになる。

こうした勝ち負けを、研修の最初からコントロールするのはきわめて難しい。

研修医に対する評価には、どうしてもランダムな要素が加わる。積極的な性格の研修医でも、上級生が声をかけたときに「あいついい奴だ」と思われるか、「うぜえ」と思われるかは声をかける医師によって全く違う。上級生が同じ質問をしても、聞いた人によって、想定していた回答は全く違っていたりする。

このあたりの話は、カオス理論でよく登場する「バタフライ効果」というものに似ている。ランダム性の強いルールでの競争は、初期の小さな変化に対しての影響が非常に大きくなり、結局誰も結末を予想できない。

ならば運を天に任せるしかないのか?それも人間としてどうかと思う。個人の努力が報われないなら、ルールを変えればよい。自由競争を離れ、運動会のような厳密に管理されたルールを導入してしまえば、少なくとも「親の総取り」的な不公平さは回避できる。

自分達が研修医だった頃、例によって「負け組み」を突っ走っていた自分は同級生に協定を持ちかけた。


「自分の科のローテーションが終わったら、自分のメモ帳を無条件でコピーして全員に配る」

自分の休暇中にすべてワープロ(死語)で打ち上げてみんなに配ることと引き換えにこの条件をのんでもらい、研修開始から6ヶ月たった頃、休暇を取った自分の手元には、自分だけでは手に入らなかった知識の山が出来上がっていた。

今にして思えば下らない、胃潰瘍の患者にはどんな食事をオーダーすべしとか、肺炎患者の採血は何日おきにすれば怒られないとか、そんな内容のものばかり。そんなものでも当時の自分には非常に貴重なものであったし、また自分はそんな知識すら持っておらず、また与えられなかった。

こうした資料をもとに、自分もやがて上級生からいろいろ教えてもらえるようになり、2年もするとそれなりに病院での立ち位置を見つけることができたが。

現在ワープロどころか学生時代からノートパソコンを持っているのは当たり前になり、コピーして配っていた資料などはネットで簡単に公開できる。情報の共有は現在の病んだ研修システムに風穴を開けるための強力な武器になる……はずなのだが、あまりそうしたサイトが見られないのはなぜなのだろう。

Wikiなどは、まさに情報の共有のためにあるようなアプリケーションなのだが…。

自分で書いているマニュアル類は、TeX型式から直接HTMLを出力しているため、Wikiとは相性が悪くてWiki化は出来ないでいる(LaTeX->Wikiコンバーターがあればいいのだがまだ見つからない。)。FreeStyleWikiなどであればPDF出力機能もあり、研修医の情報共有に最適なツールになると思う。

病院当局もこうした傾向を放置しているわけではなく、ほとんどマンツーマンに近い指導体制を敷くことで不公平な教育自体を減らしたり、ローテーションチームを1回1回組替えることで特定のレジデントが目立つことを防いだりしている。

それでも、システムを運営しているのがランダム要素の塊である人間である以上、こうした「1人勝ち」の傾向を完全に押さえ込むことは出来ない。やはり研修医諸氏の何らかの防衛手段は不可欠だと思う。

「講義形式の実習をもっと増やせば公平」という意見が出るかもしれないが、伝統的な徒弟制のもとでしか、ある種の臨床知識は伝えられない。

このあたりのブレイクスルーになりそうなのが「デザインパターン」や「ペアプログラミング」といった話題なのだが、まだまだ自分程度では消化しきれない。誰か、もっと優秀な奴が研修医向けの一般内科のデザインパターン集を作ってくれないだろうか。

02-11 同じようなことを取り上げている方トラックバックしてみた。

今の臨床研修の制度は研修医のやる気によって予後が左右されるけれど、問題なのはそれに(研修医自身ではコントロールできない)ランダムな要素がかなりな比重で加わり、そのやる気が必ずしも正当に評価されることが無いケースが出てくるのが問題だと思う。