納得と理解とは違う

脳梗塞など、後遺症の残った患者さんの家族に退院のムンテラをする際、家族の人たちは「ずっとこの病院において下さい」と頭を下げてくる。

家族の人たちもいろいろ考えている。もちろんずっといられるわけもないことは分かっているし、一方で自宅に連れ帰ると自分達の生活が台無しになってしまうことを非常に恐れている。

結局、何をどう話しても、結論は長期療養型の病院を紹介する以外の道は無いのだが、この結論をいくら理を尽くして説明しても、素直に納得してくれる家族はほとんどいない。

自分の考えてきた最良の結論以外の方法を受け入れることは、負けることだ。人間は誰も、負けたくない。自分が一晩考えて出した結論を、目の前にいる白衣の人間が、偉そうに否定してきたらどう思うだろうか?

「ああ、先生の言うとおり自分の考えは間違いなんだな」と心から納得する人などいるわけが無い。口ではどう言おうと、「このバカ、俺の言っていることが分からないんだろうか?」と、自分の思いをもっと声高に語ろうとするのが普通の人の反応だ。

退院後の患者の介護をするのが自分達でなければ、話はもっとスムーズに進む。一応専門家である医者が「正しい」方法を説明すれば、家族は通常すぐに理解してくれ、納得してくれる。

一方、利害関係がもろに絡んでくる患者の家族との話は別だ。話を理解してくれることと、それを納得してくれることとの間に超えなくてはならない山は非常に高い。

この山を越えるための方法には大きく2つある。「そこには山がある」ということを家族の方自身に納得してもらう方法と、山自体を力ずくて削ってしまう方法だ。

前者はある意味正攻法で、正しいことをそのまま言っても相手が納得しないとき、あるいは納得できないため、理解も放棄しているときにわざと外した結論を示してみる。

「○○さんの場合はこういう選択肢もある、こういう選択肢も考えられます」と、およそ現実味の無い選択肢を並べてみると、そのうち相手のほうから「こんな方法はだめなのですか?」と切り出してくるときがある。相手の話に従うように結論をコントロールできると、納得と理解とが同時に得られる。

自分達の弱い立場を洗いざらい白状してしまうのもひとつの方法である。医者は必ずしも強い立場ではなく、別に退院にも何ら強制力は持てない、しかも長期間入院患者を抱えていると、最後は厚生省からクレームが…と愚痴モードに突入すると、「要は、悪いのは○泉内閣なんですね」と相手が同情して妥協案を示してくれる。

重要なのは家族の面子を潰さないように話を持っていくこと、そして家族に自分達がしっかりしないと、目の前のこいつ(医者)だけには頼れないな、と思わせることである。

こうした方法は、あまりやりすぎると医師が知能障害をおこしているように見えるので注意が必要。だいたい、相手をだまして結論に導いてやろうなどとあざといことを考えると、一瞬で相手に悟られる。医師ほどそうした相手の心の動きに鈍感な奴はおらず、また総じて医者という人種は交渉は下手だと心得るべきだ。

全ての交渉ごとは相手の納得なくしては終了できない。言い換えれば医者側が相手を一方的に論破することなどあってはならず、常に相手の助力あっての交渉の結論なのだと肝に命じることである。

もうひとつの山を削る方法というのは、もう少し力ずくの方法論。医者は悪役になり、本当の交渉者であるソーシャルワーカーとの2人で組むのが前提になる。

人間、暗い話を延々と聞かされると何もかも嫌になってくる。こうした心理状態におかれると、何かを完遂しようという意思が薄れ、妥協案に応じやすくなってくる。

具体的には、こうした慢性期患者の末期はどのようなものか、家族はどのぐらいの経済的な負担を強いられるか、経済的に破綻してしまった家族の話などを本題に絡めて延々と行う。話すだけで相手の心を明るく出来るのは、一部の優れた医療者の特権のようなものであるが、相手の心を暗くするだけならば医師免許をもっていれば誰だって出来る。

家族と医師との雰囲気が最悪になったところでソーシャルワーカーに話題を引き継ぎ、実際にどんな選択肢が可能なのか、どのような方法が一番負担が少なく、上手くいくと思われるかをお話してもらう。優れたソーシャルワーカーの提示するプランというのは、慢性疾患の患者さんの家族には本来希望の星なのだが、星の光というのは周りが十分に暗くなってからでないとうまく見えない。

医師が抵抗力を削ぎ、相手がげんなりして体力が落ちたところで、ソーシャルワーカーが現実的な答えを提示する。この方法論はかなり高い確率でうまくいく。しかしご家族との人間関係は最悪になるので、そうそう使う方法ではない。