悪意の元気玉

人事異動のシーズンである。病棟の顔ぶれは一新し、なじんだ顔の研修医もいなくなり、新人が入ってくる。

勢い、この時期の上級生の話題は、新しく入ってきた研修医の話題が増えてくる。

どこの医局も、上級生の数は数人、多くても10人を大幅に越えることは無い。喧嘩などしたら雰囲気が持たないので、どこの医局でも、上級生同士の仲はいい。

この時期、いろいろな個性の新入生が入ってくる。このとき、上級生部屋で誰とも無く「○○君って、ちょっと社会を舐めてるよね…」といった話題を振る。誰がなんと言おうと、他人の陰口は楽しい。「○○君」に関する話題と悪意が集まり始める。最初に話題を振った奴の頭上に、元気玉が生まれる。

病棟の皆、オラに悪意を分けてくれ!!

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元気玉とは、漫画「ドラゴンボール」内にて、悟空が草や木、人間や動物、はては物や大気に至るまでのあらゆるエネルギー(気)を少しずつわけてもらい、それを集合して放つ技です。結構最終手段的に使われることが多いようです。
元気玉は上級生の悪意のエネルギーを吸収して大きくなる。こいつがあると、部屋の空気が明るくなる。話題は弾み、上級生部屋は盛り上がる。同時に、みんなの悪意を吸った玉は、ますます大きくなってくる。

この玉は、小さなうちは作った奴にしか見えない。実際に作って何個か投げてみると分かるのだが、小さな元気玉は制御が楽で、自分の好きなタイミングで相手に投げられる。もらうほうの相手はたまったものではないだろうが、玉が小さいうちならダメージはそれほどでもない。

ところがこの玉は、作った奴の予想を越えてどんどん大きくなることがある。玉を作ってはみたものの、気がついたら「やべーよ、こんなのぶつけたら、○○先生死んじゃうよ…」というぐらいの破壊力を持ってしまうと最悪だ。大きくなってしまった元気玉は、もはや制御がきかなくなってしまう。

大きくなった玉は、作った奴の頭上から天井に達し、そのうち部屋いっぱいになる。玉に悪意を分け与える人間も増える。上級生だけではなく他の病棟スタッフ、看護師、はては他の研修医も悪意を分けてくれるようになり、玉は加速度的に大きくなる。

元気玉は実体化を始める。その部屋のほかの上級生にも見えるようになる。

相変わらず○○君ネタの話題は盛り上がる。彼の悪口を考えると、次から次へと発想が湧く。でも、なんか最近、部屋の雰囲気が黒いな…。
こうなってくると、天井に巨大な爆弾を吊るした中で生活するようなものだ。部屋の空気は徐々に重くなり、皆何かにおびえるように○○君の話題だけが続く。

1回出来てしまった元気玉は、もはや小さくすることが出来ない。 こいつは実体など無いくせにラプラスの法則に従う。大きくなるほど破裂しやすくなり、終いには自分から破裂する相手を探すようになる。

たいていの場合、大きくなった元気玉は狙いがそれる。病棟で何かドジを踏んだ研修医、ベテランの逆鱗に触れた上級生などがこの玉を破裂させ、玉のエネルギーを吸収してしまう。ダメージは大きいが、もともとの悪意の対象ではないので致命的なものにはならない。だがこれが、当初意図したとおりに対象となった研修医本人に命中した場合は悲惨だ。何しろ「元気」を分けているのは病棟全員だ。味方もいない環境で、致命的なダメージを与えてしまうことがある。

自分は、こうした「元気玉」を作ったことも受けたことも、作った玉が自分の上で自爆したこともあるが、とにかくこの玉は制御が難しい。

これから数ヶ月、多分日本中の研修病院で大小さまざまの「元気玉」が作られるだろうが、あまり大きくなりすぎないよう気をつけることだ。

お約束で、やはり悪は滅びる。手に余る大きさの玉が、自分の頭上で自爆したときのダメージははかりしれない。

最近は少しは大人になったので、玉を大きくする側から玉の大きさを削る側に回ることが増えた。

力のある医師が元気玉を作ってしまうと最悪だ。病棟での自分の力は、ドラゴンボール世界で言ったらせいぜいミスターサタンクラスだが、病棟の「悟空」が作った本物の元気玉の恐ろしさといったら……。