医療経済?文句は厚生省に言ってくれ。

「患者さんのために医師が頭を使う」という行為は、本当に患者さんのためになっているのだろうか?

検査を増やせば、同じ診断名に行きつくまでの医師の頭の負担は
確実に減る。同じ時間でより多くの仕事が出来る。

負荷が減った頭のパワーは治療までのスピードアップに回す。

肺炎なら病歴をまじめに聞けば、話だけでだいたい診断はつく。診察や画像検査を出す前に、解熱薬(アセト)と経口抗生剤(クラビット)をのんでもらう。検査データが帰ってくる前には、もう治療は始まっている。

「主訴、発熱と咳」で患者さんが来院。抗生剤が始まるまで15分。悪魔に魂売る前は、3時間。**この差は、少しは予後に効いてこないか?**

自分が研修医になってからずいぶん時間が経つが、「**病歴=>理学所見=>必要なら検査=>診断・治療**」の流れは一向に変わる様子が無い。

現病歴と診断との組み合わせのパターンは、この数年だけでも膨大な蓄積があるはずだ。

そろそろ、「**病歴=>治療=>裏づけのための検査=>サービスのための理学所見(床屋さんだって散髪が終わったら肩をもむ)と説明**」という流れが実用的に使えるようにならないだろうか?

こんなことを周囲の同級生に話していたのが数年前。「無理。」「妄想。」といった返事ばかりで相手にされず、そのうち大学病院へ。

来てみたら、大学病院の先生方も病歴と理学所見を重んじ、「大学病院の医者」らしい治療を行う先生などほとんどいない。ここも「正しい人たち」の教えが浸透していた。

>一敗地に塗れたからといって、それがどうだというのだ?
すべてが失われたわけではない−−まだ、不撓不屈の意志、
復讐への飽くなき心、永久に癒やすべからざる憎悪の念、
降伏も帰順も知らぬ勇気があるのだ!
敗北を喫しないために、これ以上何が必要だというのか?

今に見ていろ。**