「流し買い」的な診断手法

救急外来などで患者さんを診察するとき、病歴から想像できる全ての鑑別診断を検討していたら、時間がいくらあっても足りなくなる。

患者さんの症状に対応する「全ての」疾患など想像しようものならその数に圧倒され、思考が停止してしまう。鑑別疾患の数は膨大すぎて、どこから手をつけていいのか分からなくなる。何らかの方法で、自分の頭で処理できる程度に問題を小さくしなくてはならない。

よく分からない患者さんを診察して、正しい診断名を当てるのは、一種の賭け事だ。時間とともに患者さんの状態は悪化する。一つ一つ、確実な判断を積み重ねて診断名にたどり着くだけの時間は、医師には与えられていない。

賭け事の流儀にはいろいろある。本命一点掛け、大穴狙いetc..その中で自分が良くやるのが、「流し買い」をする方法だ。

流し買いとは……

ある1頭の馬、あるいは枠を中心に、そこから他の馬(枠)に馬券を買う方法で、例えば1番の馬からなら1-2、1-3、1-4……という買いかた。中心にした馬(枠)から全部の馬(枠)に流し買いをするとき、“総流し"と言う。「穴馬を見つけたら流せ」という格言もあり、大穴馬券をとる秘訣のひとつともいえる。

例えば「急に発症した呼吸困難、熱は37度後半、振戦、呼吸数30回、血圧は90台、血液ガスはpH7.3 PaO2 75 PaCO2 23 BE-5.5 程度の代謝性アシドーシス」の患者さんの診断を考えてみる。

「流す」候補になる症状名は、呼吸困難、発熱、頻呼吸、低血圧、低酸素、代謝性アシドーシスなどが考えつく。この中から、「放置したことで患者さんが死んでしまう」状態を、よりリアルに想像できる症状を中心に考える。自分の中では、一番怖いのは代謝性アシドーシス。

代謝性アシドーシス流し」で鑑別診断を考えると、思いつくのはこのあたり

ショック、ケトアシドーシス、敗血症、急性腹症、重症肺塞栓、腎不全といったなかから診断名を考えるなら、次に行う検査は血圧/血糖の測定、過去の腎機能の見直しといったものになる。

血糖正常なら、まずはケトアシドーシスは無さそう。ショックといっても消化管出血のヒストリーとは違いすぎるし、過去の腎機能もどうやら正常、重症肺塞栓は否定しきれないが、熱は出ないだろう、などと考えると、どうやら患者さんは敗血症らしいと当たりがつく。

「本命敗血症、対抗肺塞栓」と暫定的に診断したら、今度はその診断で病歴を逆にたどって、矛盾のないことを確かめる。咳や痰、カテーテル類留置の既往があれば敗血症に矛盾は無い。普通に歩いていた患者さんであれば、まず肺塞栓を生じたりはしないだろう。

一方で、例えば寝たきりの人であったり、何か過凝固状態の危険因子があったりしたら、やはり肺塞栓などべつの疾患も否定できなくなる。そうであった場合、この次にやることは決まってくる。とりあえずバイタルを落ちつけたら、病棟で心エコーを取って出来れば胸CTだな、と思考を進める。

病歴と想定疾患との間に矛盾が出たら、今度はべつの症状から流しなおして考える。この患者さんであれば、低酸素流し、ショック流し、呼吸困難流しでそれぞれ鑑別診断を考えることが可能になる。

流し買いは、「本命」がこけると大変なことになるのだが、思考過程が早い。大事なのは少しでも矛盾を感じたら、潔くべつの症状から考え直すことで、そのためにも症状から流せる疾患をパターンで覚えておくことだ。

じっくり考えれば考えるほど、間違った道に入ったときに今までの思考を放り出すのが惜しくなり、泥沼にはまることになる。

症状-鑑別疾患のパターンは、その症状を生じるメジャーな疾患、そしてまれだが見逃すと患者さんが致命的になる疾患のみを頭に入れておく。当然それ以外は全て見逃すことになるが、残るのはまれだが死なない疾患だ。それならば、専門家がきたときにでも「わからない人がいるんですけど…」と尋ねれば十分である。

流し買い的な診断手法は、医師の思考回路のほとんどをマニュアル化できる。頭を使うのは「この患者さんの状態を代表する症状名は何だろう?」という部分で、医師はここだけを訓練すればいい。

パターン化された判断は、医師の思考過程が明文化されているので、他のスタッフとの連携が取りやすい。また、「患者さんを代表する症状名」を抽出する訓練をつむと、他科にその患者さんを紹介する際、その人をプレゼンテーションするのが上手になるというおまけもつく。

唯一大事なのは、こうした考えかたは医師の鑑別診断思考過程を強引に狭め、パターンに押し込んでいくやりかたなのだと自覚していることだ。

「流して」たどり着いた診断名はギャンブル的な要素が大きく、絶対には程遠い。一方で同じパターンで何度も考えているため、医師はしばしば自己暗示に陥ってしまい、間違った診断を捨て去ることが難しくなることがある。

常に自分の頭の中身を疑いつづけなくてはならない。