二元論的世界観

全く新しい世界に放り込まれた人間は、その世界の中で何が正しくて、何が間違っているのかを判定する能力を持っていない。

何かを判断するためには基準となるものが必要になる。

基準というのは自分の知識や経験の蓄積である場合がほとんどなのだが、例えば研修医や、大学から一般病院に派遣された新人医師といった連中には、こうした経験の蓄積は全くといっていいほどない。いくら医学知識を持っていても、また大学病院で積んだ経験をもっていても、新しい世界の中ではそんなものは役に立たない。

知識というのは、その状況に応じて配列されて、初めて役に立つ。

頭の中の知識を環境に合わせて再配列するのには時間がかかる。いきなり新しい環境に放り込まれても、今までの経験則で動けば上司の叱責が飛ぶ。最初のうちは今まで蓄積してきた知識や経験に対する信頼は壊れ、自分はこの1年何をやっていたのだろうと落ち込む。

そのうち新しい環境に慣れ、その世界の一員として周囲に認知される頃になると、ようやく知識の再配列が完了する。過去の知識はまた何かの形で自分を助けてくれるようになり、自分の経験に対する信頼も復活する。自分の経験(n=1)では、1年目=>2年目(離島)がだいたい2ヶ月。4年目=>5年目(大学)がだいたい2ヶ月、7年目=>8年目(外病院)が1週間というところだった。

世の中を判断する基準が無い間は、他の人の意見を基準にするしかない。自分が今いる世界はどんな形で成り立っているのか、どんなルールが存在するのかは、前からそこにいる人に聞くしかない。

ところがこの世界の成り立ち、ルールといったものを新人に説明するのは非常に面倒くさい。自分にとっては当たり前のことを他人に分かりやすく伝えるのは難しい。特にそれが、「不足なく正確に、偏見無く」といった条件がつくとなおさらだ。

物事を正確に伝えようとすると、情報の量は膨大になり、つまらなくなる。新人に世の中の成り立ちを全て教えようとしても、その話はとてつもなくつまらないものになり、聞くほうも話すほうも苦痛でしかなくなる。世界のルールは簡単に、面白おかしく伝えたい。このとき便利なのが、2元論的世界観だ。

「世の中には敵と味方、正しいことと間違っていることとの2種類しかない。その判断の基準は私(上級生)。」
2元論は、世界を分かりやすく表現できる。

こうした考え方は実世界を簡略化しすぎているのだが、分かりやすいために教育の現場で多用される。

教えるほうも、本当の世界は2元論だけでは説明しきれないと分かっていなくてはならないのだが、ずっと敵味方の教育を続けていると、そのうち自分で自分の言っていることを正しいと信じるようになる。

長い間2元論的な思考に毒されると、いろいろとよくないことがおこる。

新しい世界に入ってきた人間は成長する。2元論的な価値観で染められた新人も、慣れてくると自分なりに経験を蓄積する。そのうち判断の主体は上司の評価から自分自身へと移り、敵と味方しかいなかった世界は統合され、自分の価値観で何が正しいのかを判断できるようになる。

2元論に毒された人間は、常に「敵」の側に対して否定的になる。

物事を勝ち負け考えてしまい、100%の勝利でなければ満足できなくなる。

8割勝利、2割負けといった状況があったとすると、2元論の呪縛の外にいる人間はこの結果を額面どおりに受け取る。一方2元論者は2割の負けのほうだけを後悔する。
いつも自分は負け組みに入っているような気分から抜けられなくなる。

幸福感は歪む。自分の勝利を認識するには、必ず負けた人間が必要になる。他人が負ける様をみることを通じてしか、自分の幸福を認識することができなくなる。

世界は自分の敵にまわる。バカにされるのは、死ぬのと同じ。相手から舐められたら負け。いつも臨戦態勢。他人の行動、部下の行動、何を見ても相手を誉めることが難しくなる。良いところより、批判することにのみ意識が向く。

2元論という暗示の外に出るのは難しい。勝ち負けという相対的な価値観を捨てるには、個人の中に物事を評価する基準を作らなくてはならない。一方で2元論者は自分自身の価値観に全く自信が持てないので、自分自身の価値観で物事を評価することができない。

これは理想化した自分自身と追いかけっこをして、自分で自分を追い抜けといわれているようなもので、実際のところ不可能に近い。2元論者は自分に負けつづけ、今日ものた打ち回る。

研修医を終えて数年、下級生を教えたりする立場になってからこの世界観のドツボにはまり、かれこれ6年近く。

もっとうまくやっている同級生、自分自身との折り合いをうまくつけている「大人」を見るにつれ、昔は自分もそうなりたいと思い、うらやましく思えたが、あきらめた。

何かに妥協することで得られる安寧など欲しくない。まだまだ老成なんかしたくない。

大人は「敵」だ。いつか追い抜く。