第三のシステムを作るには、第一、第二のシステムを作る以外の方法は無い。

開拓者組織が崩壊しても、そこにはリーダー達が作った「ニッチ」が残っている。

恐竜時代、恐竜たちは巨大な生態系を作ったが、その進化の過程で絶滅した。

それでも、世界はそのまま残っている。恐竜の作ったニッチには、すばやく賢い哺乳類が生まれ、また新たな競争が始まり、生態系が作られる。

「恐竜」に依存していた生物は、その世界ではもはや生きていくことは出来ないけれど、その世界にはまた、新たなニーズ、新たな顧客が掘り起こされている。世界は恐竜時代とは一変するが、遠目にはそれが地球であることは変わらず、歴史は続く。

##夢を見たことのない人たちに夢を語る資格などない

現在の研修医養成制度の悲しいところは、余暇の段階にある組織のえらい人たちが「夢」を掲げて、研修医に安価な労働力になってくれることを期待している部分だ。

個々の病院のリーダーの先生は、夢でもって人を引っ張った人たちが大勢いた。

夢を見たことの無い役人には、そうした人たちが語る「夢」というのが、「**人を安価に使える便利な言葉**」であるとしか理解できない。

>「夢」というのは便利な道具。どれ、自分達も使ってみよう。

研修医制度に何の夢も持っていない人たちが形だけの「夢」を語ったところで、腐った夢には誰も寄り付きはしない。

臨床研修制度、地域医療の枠組み。こうした制度や組織、かつてはいくつもの病院が夢を掲げて研修医を育て、派遣した世界は、もうすぐ腐る。古い組織が滅んで場所が空けば、そのニッチに新しい制度や組織が生まれる。そうなるのはきっと、そう遠くないはずだ。

こんなときだからこそ、医師の自治組織、夢の語り手としての大学病院の意義というものが、もっと見直されてもいいはずなのだが。いまは大学病院に残る研修医は馬鹿者扱いされているみたいだが、それでも自分は、大学という組織の底力みたいなものを信じたい。

意気込んだ割には何の反響も無かった文章。不憫なので再掲。ネタもないし。