伝説のインドの天才数学者ラマヌジャンは、貧乏で進学できなかった子供時代、一人で分厚い数学の辞典「純粋数学および応用数学における基本結果概要」にでてくる5000の公式、方程式を丸暗記していた。

>膨大な量の答えの暗記、計算の分割方法の知識は、数学者の計算速度を飛躍的に高める文化概念ツールとして機能している。日本の珠算の上級者は暗算のときに頭の中でソロバンを動かすらしいが、これもツールの例といえる。
>[Passion For The Future: なぜ数学が「得意な人」と「苦手な人」がいるのか](http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003518.html)

数学の天才達と、普通の人との間には、生物学的な隔たりは、それほど大きくはない。一方、数学の概念ツールを持っている人と、そうでない人との差は歴然としてしまう。

「手術書を丸暗記する」という行為は、実際の手術を理解していく上で、実に有効に機能する。

現在やっているのかどうかは分からないが、自分たちが研修を受けた病院では、「シャドーオペ」という練習があった。何か手術の術者をやる場合、部長の前でシャドーオペが出来ないと、メスを握らせてもらえない。

これは一種の面接試験なのだが、部長と自分、2人が向かい合った状態で座り、「はじめてください」の部長の声で、研修医が手術の手順を暗誦する。

>患者は虫垂炎の患者です。(腰椎麻酔後)皮膚をイソジンで消毒後、アルコール綿球で脱色。その後ドレープをかけます。手術はMcBuney切開で行います。まず右手に20番ナイフを持ち、臍下部右側より正中方向に向かって4cm皮膚を切開。その後筋層をケリーで分け(このあたり忘れた…)、腹膜に到達します。腹膜はミュークリッツ鉗子で左右を挙上後、腹膜内に腸管がないことを確認してから11番ナイフで切開、腹膜に筋鈎を入れ、術野を展開します……(以下略)。

……この後ピンセットを腹腔内に入れてあたりをつけ、大腸のテニアを引っ張って、虫垂に達する。さらに虫垂を切離して、最終的に閉復するまで大体15分、何も見ないで暗誦しながら、手は手術をする「振り」をする。

実際の「本番」では、前立ちの先生からの「あれ切って、ここを結紮して」という指示に従えば、手術は勉強してなくても出来る。前もってシャドーをやらされても、最初のうちは指示がないと何も出来ないのは同じ。

暗記をして変わってくるのは、、2回目以降の手術のときだ。術者の慣れの速さ、そして助手として全く違った手術に入ったときにも、不思議と手が動くようになる。

虫垂炎や開腹胆摘、ヘルニアといった短い手術をいくつか、シャドーをやらされた後に執刀すると、今度は「血管の結紮」とか、「腹壁の切開」とか、「肝臓の剥離」といった一般的な手術の手順が分かってくる。そのときにどんな道具を、どの順番で出せばやりやすいのか、何に気を配らなくてはならないのかといったことが、頭の中にモジュール化されて格納される。これが医師の概念ツールと呼ぶべきものになる。

一度こうなると、他の手術にも体が反応するようになる。上司の助手として手術に入っても、「**お前、気が利くな**」と誉められることが多くなり、結果としてより多くの経験が手に入る。

いくら手術書を一生懸命読んでも、それを理解しようとしてはダメだ。音声化して覚えていない記憶は、現場に入ると飛んでしまう。結局、手術室で1から理解しなおさなくてはならなくなり、貴重な現場体験の機会を無駄にしてしまう。

とにかく暗記し、頭の中に手技や手術のスタートからゴールまでの道順を叩き込む。そのうえで、体験を通じて理解する。これが第一段階。

##手技のリズムを理解する
手技の手順をマスターしたら、今度は手技を「**うまく見せるように**」努力する。

手技の上手下手は、見るだけで結構分かる。だらだらとした手技は、端から見ていて上手く見えない。急いでばかりの手技もまた、イライラしているように見えるだけで決して上手には見えない。

手技にはリズムがある。早くやってもいいところはすばやく、慎重にやらなくてはならないところはゆっくりと。動きのメリハリをつけると、下手な手技でも上手に見える。

上手に見える手技と、上手な手技というのは本質的には同じものだ。

急ぐところはどこなのか、ゆっくりやるところはどこなのか。手技のリズムを見つけるということは、手技の手順を覚えた後の次の段階だ。

研修医が手術を理解するということは、幅5cmぐらいの細い道を歩くようなものだ。

同じ細い道でも、転んでも安全な場所、落ちたら大怪我をするような危ないところ、離れたところから見れば場所によって変化に富んでいるのがわかる。ところが、手術をはじめたばかりの研修医は、最初は足元の細い道に集中するのがやっとだ。安全な場所だろうが、危険な場所だろうが、平坦な道のようにしか歩けない。

こうした研修医は、慣れた人から見ると危なっかしい。危険な場所なのに、なぜかお気楽に歩いているように見えたり、逆に安全なところなのに、やたらとおっかなびっくり歩いて見えたり。研修医は、単に目の前の道から足を外さないのに必死なだけだ。自分の居る場所が「どんな」所なのかなんて、まだ想像もつかない。

だんだんと歩くのに慣れてくると、安全なところはすたすた歩けるようになり、危険なところは、**そこが危険な場所だった**ことにはじめて気がつく。こうしたことに気がついた研修医の手技には、リズムが生じる。同じリズム、同じ危機感を共有してくれる人と手技をやると、教えるほうも気分がいい。

一方、リズムのない初心者、リズムをつけないで、ただただ足を早くすることだけに努力する研修医はその努力の仕方を間違っている。どこが危ないのか分からないから、危ないところでも突っ走る。上司の顔は真っ青になる。

大げさなリズムをつけた手技は、傍目にはなんとなく「謙虚さ」が欠けているように見える。リズムが平坦で、なおかつ急ごうとする研修医はたいていまじめで、何とか上級生に追いつこうというモチベーションは高いのだが、やはり何か間違っている。

上手な人の手技を見ていると、その術者の思考が変わったときにリズムが変わるのがわかる。

>例えばPTCA中に、上手な人が「この病変は固い」と思うと、そのときからワイヤー操作のリズムが全く変わる。最初は何かを探るような、ゆっくりとした動きであったのが、次の瞬間から病変をつつきまわすような、試行錯誤を高頻度で繰り返すような動きに変わる。

こういう動きをいきなり真似しても怒られるだけなのだが、上手な人のリズムをみて、その裏にある考え方を想像する練習をすると、手技が上手に見えるようになる。そのうち本当に上手になるかもしれない。

##越えてはいけない線を理解する
リズムの話題を続ける。

どんな手技にも、「**今ならやり直しが効く**」という局面が絶対にある。それが見えない奴は手技をやってはいけないし、それが見えるならば、回避不可能な事故以外は絶対に防ぐことができる。

このラインを超えるということは、そこに行く前と後とでは、リスク回避の作戦が全く異なってくるということだ。リスクに対する対策を考えられるようになるのはベテランへの最終段階だが、その前に、「どこが帰還不可能点」であるのか、見えるようにならなくてはいけない。

例えば、外科手術の場合は、消化管を切る瞬間がそうだ。切った後は術野が不潔になり、危機回避の操作がぜんぜん違ってくる。

消化管の手術は、消化管を切断することなく,すべての血管根部露出,リンパ節郭清を完成させるよう努力する。そうすれば、手術の最終局面に至るまで、「引き返せる状態」を保ったまま手術を進めることができるからだ。消化管さえ開かなければ、そのまま傷を閉じれば患者さんは手術前の状態に戻せる。一方、消化管を一度切ったら最後、その瞬間以後は傷口は「不潔な」状態として対処しなくてはならない。治療を最後まで行わないと、もはや傷を閉じられない。

PTCAをやる場合は、1回目のバルーンの拡張時が、帰還不可能点だ。この前なら、引き返せる。これをやった後は、もう絶対にワイヤーを抜いてはいけない。

帰還不可能点がどこなのかは、見ていればすぐに分かる。

それでも、ただ分かるのと、感情を共有するのとは、次元の違う話だ。帰還不可能点を超えるということは、泥沼に足を踏み出す覚悟ができたということだ。医者は基本的に臆病で、修羅場をくぐった人ほどもっと臆病になる。ここを越えるとき、慣れた人ほど「**覚悟する**」。術者が覚悟しているとき、助手がヘラヘラしていると、むかつく。そんな奴とは、一緒に仕事をしたくなくなる。

引き返せない恐ろしさ、先の見えないところに入っていく恐ろしさは、実際にドツボにはまらないと絶対に分からないと思うけれど、とりあえずは恐ろしそうなふりでもしてくれると、「こいつ、いい奴だな」ぐらいには思われるかもしれない。

##リスクをとる場所を理解する
正しい手技が上手にできるようになって、はじめてベテランの人の手技の上手なところが見えてくる。

それと同時に、ベテランがやる治療手技や手術というのは、教科書とはしばしば異なっているのに気がつく。慣れた人の手技は、しばしば**下品に**見える。実際、ベテランの外科医は手術中、自嘲気味に「このやり方は下品なんだけどね…」といいながら、ちょっと無茶な手の動かし方をする。

治療手技には、教科書的な正しい手順と、リスク回避が一人で出来るようになって、初めて「正しい」といえる手順とがある。後者の手順は、ベテランが取る手順で、何らかのリスクがある代わりに、早い。

>ベテランと新人との一線を画する画期的なアイデアは、リスクの考え方に求められる。

医療の現場では、速さというのは救命率に直結する。

リスクは避けなくてはいけない。それでも、ゆっくりやっていたのでは、時間の経過とともに、救命率はどんどん悪くなる。何かのリスクをとることで時間の短縮がはかれ、さらに自分の技量に照らし合わせて、そのリスクが正確に、かつ十分小さく見積もれるなら、リスクを取る価値が出てくる。リスクをとるのと、単なる無謀とは、全く違う。

実際問題、現場では常に何らかのリスクを取る選択をしている。だから医療事故が起こる。一方、「正しい」やり方をやっていたのでは、正しい治療は成功しても、患者は死ぬ。

上手い人の手技を見て、何が手抜きで、何がリスクを取っている戦略なのか。また、そのリスクを取れるためにはどんな技量を磨かなくてはならないのか、そんなことを理解できると、ベテランへの道はあと一歩だ。

##そしてベテランへの道
運良く(悪く?)修羅場に立ち会うことがあったら、そこで見ておくべきものは、ベテランがどう振舞うかだ。単なる経験者と、ベテランとを分けている違いは、患者の急変時にはっきりと現れる。

>予期しなかった急変が起こったとき、セミプロは頭が真っ白になり、とりあえず出来ることから片っ端から対処をはじめる。本当のベテランは、「**そこで立ち止まって考える**」。

戦場で立ち止まって、冷静に考えるのは非常に恐ろしいことだ。下手をすれば、弾があたって死ぬ。死ぬのはみんな怖いから、戦場ではとにかく目の前の敵に銃を撃ち、みんな戦う。弾さえ撃っていれば、きっと誰かが何とかしてくれる。そう思って無心に弾を撃つ。

とりあえず出来る細かいことを一生懸命やり、本質的な治療手段を考えることから敢えて目をそらしてしまう。「**これだけ頑張ってるんだから、患者さんはきっとよくなる。**」これではリスク管理ではなく、単なる信仰にしかすぎない。それでも、思考停止した主治医は、手を動かすことしか出来ない。

主治医の思考が停止したら、患者さんは死ぬ。非常にシンプルな論理なのだが、やはり急変時に冷静に行動するのは難しい。

急変の修羅場で冷静さを失わずに、あえて原点に立ち返って原因を考えられるようになるにはどうすればいいのか。あるベテランは「勇気だ」といい、別のベテランは「単に慣れの問題」とこともなげに言う。

たぶんこのあたりが初心者がベテランへと育っていくための最終局面なのだが、自分はいまだにこの壁を越えられない。10年とぼとぼ歩いてだいたいこのあたりまでは来たけれど、ここから先が分からない…。