都市部と農村部との収入の乖離は大きな問題になっている。所得の格差だけでなく、農村で働く人が馬鹿らしくなってしまい、どんどん都市部に流入している。農作物の生産高がだんだん減っている。農村部には、老人と子供しか残らず、若者は都市に流入する。その割には、治安は悪くない。夜中でも、女性は一人で歩ける。

一部「**犯罪?**」と思うところもあったが、黙ってた。小泉政権が大勝したことは中国でも話題になっていた。小泉支持だと答えたら、ガイドさんの笑顔が翳った。

都市に戻って観光。夜は劇場へ。

演劇は、中国では非常に人気がある。かなり前から予約を入れないと、席はすぐに埋まってしまう。当日席なんてもってのほか。それなのに、なぜか「**たまたま**」最前列の席が空いていた。写真取り放題。役者さんが舞台から降りてきて、握手してくれた。

ガイドさんと劇場の支配人の人は、友達同士らしい。その人が気を利かせてくれて、2人分の予約をキャンセルしてくれた。追い出された元の予約の人、ご愁傷様。**中国最高**。

帰国はスムーズ。初めての海外旅行にしては、結構満足。

##思ったこと
中国という国は、今も昔も**コネが全て**だ。今回ガイドしてくれた方は、普段は個人のガイドなど引き受けない方。身内から頼まれたから、ガイドをかってくれて、個人の旅行者に様様な便宜をはかってくれた。

年齢は自分よりも少し上。ちょうど天安門事件の時の大学生。

解放前の中国の大学生というのは、政府のエリートへの道が確定していた。職業選択の幅は少ないものの、成功は約束されていたという。

天安門事件前の中国というのは、文化大革命以後の恐怖が薄れてきた頃。訒小平は開放のされた中国を象徴する政治家だった。殺される心配もなく、安心して中国政府批判ができる時代というのは、当時は画期的なことだったらしい。

天安門事件、学生はまさか殺されるとは思ってもいなかったらしい。信用していた政府は裏切った。

裏切り者は政府だけでなく、身内にもいた。当時の学生側のリーダー、**柴玲**。この人は、インタビューに答えてこんなことを言っている。

>「政府を追い詰めて人民を虐殺させなければ、民衆は目覚めない。だけれど、私は殺されたくないので逃げます。」

ぎりぎりまで譲歩していたのは政府側。流血を求めて学生を止めなかったのは、学生の指導者。実際に流血沙汰になったとき、当の学生指導者はアメリカに逃亡した。

中国の政治の歴史というのは、三国志の時代から変わることのない、裏切りと殺しあいの歴史だ。虐待された側は、次の瞬間には虐待する側となり、「負け組み」についた奴は本当に殺される。文化大革命時代まではずっとそうだった。毛沢東の死後、一度は落ち着き始めた政治。そして天安門事件。歴史はまた繰り返す。

裏切りは人を不安にする。天安門事件世代の人達は、ごく少数の「身内」以外の人に対しては非常にドライなのだそうだ。長期間の契約とか、安定した未来といったものを信じない人達の社会というのは、どうしたってコネクション優先の社会になる。

天安門事件の頃に大学生だった人達は、本物のエリートだ。政府筋にコネクションが多数あるから、成功すべくして成功する。証券取引所というのは、こうした人達にとってはギャンブルの場所ではなく、ただの**貯金箱**だ。必要なお金は、非常に少ないリスクで引き出せる。

コネクションの効く社会はすばらしい。コネのある人にとっては、安心してチャレンジできる社会。新しい会社はどんどんできる。政府もそれを応援する。社会は発達し、国は途方もない速度で成長を続ける。

コネクションの効く社会は、一方でそうしたものを持っていない人には、全くチャンスのない社会だ。どんなに優秀な人であろうと、社会には厳とした階級が存在する。「身内」になれない人にはチャレンジする機会は一生巡ってこず、常に搾取される側にしか回れない。

日本だって遠からず、そうした社会に戻る。

中国は大きい。小泉自民党がどんなに突っ張ったところで、国の基礎体力が違いすぎる。日本柔道の至宝、野村忠宏がどんなに強くても、やはり軽量級だ。凶器を持ったヒョードルとノールールで戦えば、やっぱり大怪我するだろう?

10年後ぐらい。成長した中国。日本は、国は残るかもしれない。それでも社会制度は中国化する。そんな気がする。

コネを持っているということは、ずるいことだ。持ってない人から見れば、あまりにも理不尽な競争を強いられる。だからこそ、一度コネクションをつかんだ人は、絶対にそれを離そうとしないし、コネクションが力を発揮する競争のルールは、「健全な」方向に戻ることは絶対にない。

人と人とのコミュニケーションに要するコストが劇的に下がったネットワーク社会。増大するコミュニケーショントラフィックの中で、重要なものとそうでないものとを選別するのは、結局のところ「誰かの知り合いかどうか」が全てだ。

知り合いでない人の中にも、もしかしたら素晴らしい人物が隠れているかもしれない。それでも、1人の人間が付き合える人間の数は限られる。それならば、知り合いの紹介してくれた人のほうが、歩留まりは高い。コネ社会への流れというのは一方向性で、戦争や革命でも起きない限り(中国は、両方を経てもやはりコネ社会だ)、時計が逆に回ることはない。

初めての海外旅行。たまたまいい人にめぐり合えた。とりあえず日本の贈り物を探して、中国語会話を練習しようと思った。