アメリカに渡って大学教授をしている先生。タイや北欧に渡った人もいます。他にもいろいろ。

医者という仕事を続けていく中で、臨床をやりつつ論文執筆に時間を割くのは大変です。
その行為の意味は、現在の自分の時間を、自分の未来に投資するということです。

臨床をやりつつ論文を書くという文化を知らない医者は、
そのあたりがかなりいいかげんです。先を読んで行動することをしません。

未来なんてどうなるか分かりません。先輩方は**行き当たりばったり**で、でもみんな楽しそうです。

臨床医という仕事は、結構不安定なものです。職場は一定しないし、住所もコロコロ変わります。

論文を書いて発表するという生活モジュールを自分に導入するという選択は、確実な未来を志向する
道を選ぶってことです。

研究活動というのは、過去の蓄積を踏襲して、さらに先に進む行為です。
どこかの研究室に所属して、そこの伝統に乗っからなければ、やはりうまくは行きません。
医局に入って論文を書く。書きつづければ、流れに乗れます。未来も見えてくるかもしれません。

目の前の現在だけを見る生きかたというのは、自分の目の前の仕事で、確実に結果を残さないと
いけません。先が見えないから、結果を出すこと、**その場の仕事で役に立つ**知識を集める
のは大事です。

結果が出れば、また「次」の道が見えてきます。医学はそんなに独創的な発想が
求められるわけではないので、
勉強だけしていれば、結構何とかなります。でも、「次」は見えても、最終的に「**どこ**」に行くのか。
それは全く分かりません。

先の見えない現状**を楽しいと感じるかどうか。

アカデミズムを志向するかどうかの選択というのは、
案外そのあたりにかかっているような気がします。