辛い治療をするなら、どうしてそれが必要で、それが終わると患者さんが何を得られるのか。ただ「体にいい」じゃなくて、「良くなった体を持つ」ことがその人になにをもたらしてくれるのかを説明できること

要は口が上手い、プレゼンテーション能力が高いという言葉につきるのだけれど、
たとえ医学に画期的な進歩をもたらせなくても、いい医師になることはきっとできるし、
「医学的に正しい」治療をやることと、
「お金儲けの上手い医者」になることとは、きっと矛盾無く両立できると信じてる。

##「みんなと同じ」はいけないことか

>スイスには博愛があった。500年もの民主主義と平和。
>だが、それがなにを生んだ? 鳩時計だけだ。

スイスは別にサボってたわけじゃなくて、現状を維持することにに最善をつくしたから、
500年もの間人が生きのこり、国が残った。

神様は最初、毛むくじゃらのアダムとイブを創造したかもしれない。
それを人間に変えたのは、淘汰と生存競争だ。

競争と進歩というのは絶対に避けて通れないもので、それは医学の世界も全く同様。

それでも進歩の影には絶対に失敗はつきもので、その失敗のツケは必ず誰かのところに行く。

ブラジルとか南アフリカとか、もともと植民地だった国からは、しばしば
画期的な論文が出たりする。日本のそばの某国もそうだ。
こんなところにも、前の戦争の影響というのは残っていたりする。

人の命のコストが極端に高いこの国で医者をやっていくには、
進歩を志向する戦略はあまりにもギャンブル的な要素が高くて、難しい。

何とか、アクティブな現状維持で勘弁してもらえないかな…、と考える10年目。
結婚だってしてるし生活だってあるし、なんとなく最近、気分が守りに入ってる。