誰かが、そのキーストーンを取り除く手段を行使できる

誰もが現状に満足していて、変化の必要を感じていない社会には真空地帯は生じようがない。
遠い国で戦争がおきようが、イルカやシャチが絶滅しようが、地域の社会システム自体は
何の影響も受けない。

問題を感じている人がいて、その人がシステムから抜ける手段を持っていても、その人の作る真空地帯がキーストーンを外れているならば、やはり社会は変化しない。

町に手作りのおいしいパン屋さんがあったとして、その人が疲れてパン屋を止めてしまっても、住民はちょっと離れたスーパーに食パンを買いに行けばいいだけだ。食卓は寂しくなるかもしれないけれど、社会は変わらない。

一方、その社会システムが、キーストーンである人の頑張りに依存していて、
その人が「**もうやってられない**」
と感じているならば、社会に大きな変化がおきる可能性がある。

前の偽造マンション騒動のシステムというのは、マンション購入者、あるいは国民という「餌」を、
業者と銀行、国家がおいしくいただいているという構図で安定していた。

餌は食われる。路頭に迷う人もいるだろうし、一家心中などもあるかもしれない。
でも、何人死のうがカモはいくらでもいる。カモがいくら死体になろうが、
みのもんたの視聴率稼ぎの燃料になるぐらいで、
このシステムは変わらなかった。

「国-業者-購入者-銀行」というシステムのキーストーンになっていたのは、何といっても購入者本人だ。
現在、このシステムを維持していたキーストーンは「やってられない」と感じていて、さらに
システムから合法的に「降りる」手段はどうもありそうだ。

「餌」たる購入者の人たちがみんなこれをやりだしたら、結構すごいことになるかもしれない。

##医療の現場でおきつつある真空
医者の仕事はキツい。楽している連中も大勢いるけれど、産科と小児科、外科といった連中が
毎日地獄を見てるのは、もう誰も否定しないだろう。
「**好きでやってるんだろ?**」という意見も相変わらずあるけれど。

みんな何とかしないといけないとは分かってる。一部の医者の努力だけでは、もうとっくに
限界を超えている。

それでも、医療というのはこうあるべきという「べき論」だけで何とか
やってきた。現場の医者はみんな窮状を訴えた。それでも、社会の「みんな」は動かなかった。

訴えたって無駄だ。市民の「みんな」なんて、空気の分子と同じなんだから。

多分この10年ぐらい。訴えつづけて、社会を「押そう」としてきた人達が、ついに引き始めている。

「病院」と「社会」、利害の対立する2つの生態系では、キーストーンとなっている種は異なっている。
産科や小児科という職業は、病院組織のキーストーンではなくて、社会を維持していくための
キーストーンだ。

産科がいなくたって、病院は困らない。他の科が頑張れば収益は維持できる。むしろ、眼科医や
麻酔科医がいなくなるほうが、もっと困る。内科や外科は、もともといっぱいいるから、
一人や二人辞めたぐらいではあんまり困らない。

病院ではなく、「社会」というもっと大きな生態系の中では、「総合病院の産科と小児科」というのは
まさにキーストーンだ。

人口10万人規模の町で、こうした人達はせいぜい8人。たぶん10人はいない。非常に少ない。
この人たちが撤退してしまうと、町は滅ぶ。結構あっけなく滅ぶ。

1. 大きな病院で新生児を診られなくなると、
その町全体の産科医療はストップする。
2. 開業の産科の先生方は、事故に対応できる大病院がなくなってしまうと、もはやお産をとることができない。
3. 分秒を争う産科救急では、隣の町まで救急車を飛ばすことも難しい。
4. 結局その町は「子供の生めない町」になる。
5. 人口構造が変わり、税金を払う若い人たちがいなくなった町は、いつかは滅ぶ。

もちろん途中で何らかの介入は入るだろうけれど、
10万人程度の中規模都市から8人の医者がいなくなるだけで、
こんなことがおこりうる。というか、もうどんどんおきている。

##対策はどうするのか?
産科や小児科の地位の向上や、産科や小児科のセンター化といった方法では、
多分流れを止められない。

産科や小児科は、社会というシステムのキーストーンではあっても、
病院という別のシステムの中では
必ずしもキーストーンになってはいないから、いなくなっても医者自体は困らない。
お産の技術を知らなくても、とりあえずは食べていけるし。

最小限の予算で「子供の生めない町」を無くすには、
産科の技術というものを、病院という生態系のキーストーンにすることだ。

>産科と小児科の救急は、地域の基幹病院では断ることを禁じる。
さらに、一度救急を受けた医師には、たとえ専門外
であったとしても、その患者に対して無限責任が生じるようにする。

問題は山積みだろうけれど、こんなルールが施行されると、
全国の救急医や麻酔科医、救急当直が回ってくる
医師には産科の知識が必須となる。
特に、大きな基幹病院にローテーションするような「優秀な」医師には。

本物の産科や小児科の地位というのは、たぶん確実に向上する。
この人達がいなければ、大きな病院という
システムは機能しなくなってしまうだろうから。

今はまだ、産科や小児科の減少という真空が作り出す風は、
病院というシステムに変化を与える方向には
吹いていない。真空をふさぐ手段をあれこれ考えるのも政治なのだけれど、せっかく吹いた「風」の力を
システムを変化させる力として有効利用する手段も、また考えなくてはならないと思う。

もっとも、上記のようなルールを本当に適用したら、それはそれで問題山積み。
制度の犠牲者(医師も患者も)は絶対でるだろうし、子供の生めない町どころか、病院のない町が
続出するかもしれないけれど…。