期待の消失と医療の恐慌

最近の小児医療崩壊とか、僻地医療の崩壊といった話題というのは、
社会全体の大きな問題なんかじゃなくて、医師同士の狭い社会の
ローカルな問題なんじゃないか。そんな妄想。
##子守協同組合のお話。
>何人かが集まって、お互いに子守をしあおうと合意しあった。そうすれば、子守アルバイトを現金払いで雇わないですむからだ。これはお互いにメリットのある仕組みだ。子供のいる夫婦は、一晩別の夫婦の子供の面倒をみたところで、手間は大して増えるわけじゃない。いずれ別の晩に、自分たちの子供の面倒をみてもらえることに比べればおやすいご用だ。

>協同組合は、クーポンを発行した。子守をする人たちは、子守りをしてもらう人たちから、適切な枚数のクーポンを直接支払ってもらう。長期的には、それぞれの夫婦は他人にしてもらった子守りと同じ時間の子守りを自分でもすることになるだろう。

>あまり外出する機会のない時期には、どの夫婦もたぶんクーポンを少しためておこうとするだろう。そして、外出機会が増えたら、その蓄えを食いつぶす。こうした需要は、それぞれの夫婦間で相殺しあうはずだ。ある夫婦が出かけたいときは、別の夫婦は家にいる。でも、多くのカップルは常にそれなりの数の手持ちクーポンを持っておこうとしたから、流通しているクーポンの数がかなり下がってしまった。

>多くのカップルは子守りをして手持ちクーポンを増やしたいなと思い、外出して手持ちクーポンを減らすのは気が進まない、ということになった。だれかがクーポンを受け取るには、だれかが外出するしかない。みんなが外出しなくなると、クーポンを稼ぐのはむずかしくなる。これに気がついて、カップルたちはよほど特別な機会でもない限り外出してクーポンを使うのをいやがるようになってしまった。

>消費者不安が広まるというのは、この協同組合の平均的なメンバーがいままでほど外出したがらなくなったってことだ。万一に備えて、クーポンをため込みたいなと考えるようになったのと同じことだ。

>[Krugman: 経済を子守りしてみると](http://cruel.org/krugman/babysitj.html)

##メジャー科冬の時代
現場が冷えている。

当院などまだまだいいほうだったけれど、後期研修医の取りあいでは大学病院は大敗もいいところ。県内の大きな病院からはスタッフドクターが減ってしまい、水面下では産科や小児科の撤退話がいくつもすすんでいる。

集中治療室にいると、いろいろな科の医師と知り合いになれる。共通しているのは一つ。**ICUに患者を送らなくてはならないような科の医者は、みんな将来を悲観している**ということだ。

メジャー系の外科や内科。どの科の中堅どころ(7年目から十二年目ぐらい)も、来年はみんな外に出る。

>ここはもう駄目です。
>自分ら、終わってますから…

自分達の科の将来を、どの医者も信じていない。大所帯の科は、それでもいくらか明るい。
まだまだ仲間はたくさんいるから。

小児科なんかもっと悲惨だ。自分達の滅びを覚悟した小児科の先生の微笑というのは、
もう**出撃前夜の神風特攻隊**の隊員そのもの。人は覚悟を決めると神様に近づく。
小児科の先生方を見ていると、それが本当なんだということが良く分かる。

##よくある昔の話
医者の数は増えている。患者の数も増えたけれど、そんなに大きな変化があったわけじゃない。

要求される医療の水準は確かに上がった。それでも、医療訴訟の絶対数なんかは、たぶんそんなに
大きな変化は無いように思う。

唯一大きく変わったのは、医者の「やる気」の部分だ。

研修医の頃、本気を出して働く医者というのは
かっこよかったし、尊敬された。今では「ただのバカ」だ。

収入の話。以前はお金の話なんて御法度もいいところだったし、
基本的には誰も興味無かった。ただただ忙しく働かせてもらえば、
それで十分だった。今は逆だ。忙しい職場であっても、まず話題になるのは
「ペイがいいかどうか」。働きのわりに安い職場であったなら、心有る同級生なら
「お前騙されてるよ…」というアドバイスをするだろう。

昔はみんな神様だった。みんなバカだったし、本気で神様を目指してた。
いまでは誰もが人間だ。まず自分の生活があって、余力があったら仕事にやる気を出す。

>「将来は、どんな医者になりたいの?」

今の研修医。誰に聞いたって、具体的な答えは返ってこない。
小児科に行ったら負け。それだけはみんな「**分かっている**」。
だれが教えたわけでも無いのに。

##本気を出さない現場
本気を出して働けば、医者はけっこう働ける。

もちろん、忙しい現場の先生方は、いつでもフルパワーで働いている。というか、そうならざるを得ない。

それでも、そうで無い医師もいる。今の大学病院。集中治療室に移ってから、自由になる時間は多少は増えた。
就職してから生まれてはじめて、2日間とはいえ「自由な休日」というものがもらえ、
おかげでひどく体調を崩してしまった。

大学病院という社会は大きい。休みをもらって体調を壊している奴がいる一方で、研修医以降20時より後に帰った
ことが無いような科の医者だっている。逆に、家に帰るのが2日に1回とか、5日に1回とかいう外科系の科も
まだまだたくさんある。内科だって軽症の小児は診察したし、消化器外科だって帝王切開の助手ぐらいなら
何とかなる。大学病院でさえ、全員がフルに働いたら、たぶん現状の6割増しぐらいの
仕事量をこなせる。根拠は無いけれど。

##未来への不信と医療の恐慌
「恐慌」とは、商品が売れず、失業や倒産が増える状況だ。

物は流通していて、お金を持っている人もいるはずなのに品物は売れず、経済が不振を極める。

恐慌状態になった経済下では、人々は貨幣を商品以上に欲しがってしまう。ものを売って貨幣を得ると、
それを別の商品に対して支払おうとしないでため込んでしまう。

商品を販売しようとしている人は売ることができず、売れないとお金が入らないから、
その人もものを買わなくなる。その連鎖が繰り返されて恐慌になる。

商品とお金、医者の「やる気」とお金とに単純には置きかえられないけれど、
根底にあるものは未来への不信感だという部分で、共通するものは多い。

人間というものは、債券とか、土地といったものに対する価値が信じられなくなったときには、
現金のような「**流動性**」の高いものに価値を見出すらしい。

>流動性というのは、すぐに他のものと交換できるかどうかということ。
現金はもちろん直接つかえるから流動性が高い。一方で、土地とか株券とかは売るのが面倒くさいし、時間もかかる。
>[帰ってきた大恐慌経済](http://cruel.org/krugman/ryoma/return.html)より抜粋

我々の業界で「土地」や「債券」に相当していたものは、大きな病院の部長職とか、あるいは僻地医療に
一人で立ち向かう、「かっこいい」医師の姿だった。10年前。こうした人達というのは憧れの対象だった。
修行を積めば、いつかは自分もこうした医師になれる。こうした「債券」を購入するために、
みんな自分の時間を対価に差し出した。

「かっこいい自分の未来」というものを信じていたからだ。

現在。未来なんて恥ずかしいもの、信じている奴なんか誰もいない。2年後の自分は想像がついても、
5年後に何をやっているのか予想がつく医者はほとんどいないだろう。何がおきるか分からないとき、
ペイの悪い仕事にフルパワー出して、体を壊したんでは割りに合わない。

##「かっこよさ」を決めていたもの
>我々は実のところ、人の話しを吟味するにあたって「何を言ったか」よりも
「誰がそれを言ったか」の方を重視するよう出来ている。
>[404 Blog Not Found:「誰が言ったか」>>「何を言ったか」](http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50281942.html)

どんな医者になりたいのか、どんな医者になることがすばらしいのかなんて、実は誰も知らない。

自分のあるべき将来像をはっきり決定できるような人は、そもそも医者になんかならない。

>なんとなく安定してそうだから。社会的な地位が高そうだから。偏差値がちょうど良かった。受け狙い。

医学部なんて倍率だけはやたらと高いから、もはややる気だけでは進学できない。
中学生ぐらいから、いわゆる「受験校」にでも通って、情報収集をかけないとまず失敗する。

どんな医者になるのがすばらしいのかを決定するのは、大学医局の役割だった。

>大学病院の教授というのは、あらゆる医者の中でもっともかっこいい。県内の大きな病院の院長や部長は、
その次。

とてもわかりやすい。もちろんこれに反発する人も多かった。反体制もまたかっこいい。

でも反発という行為は、そもそも
一つの価値がはっきりしていないと、かっこよくも何とも無い。

厚生省の努力のかいあって、大学医局という組織は見事に力を失った。

いままで大学が担保価値をつけていたものは、今ではその価値を保証してくれる人が
いなくなり、暴落を始めている。ものの価値が信じられないという流れは恐慌を生み、
その世界で働く人にやる気を無くさせる。

患者さんはいるし、病気が絶滅することもないのに、
医者にとってはまさに大恐慌が訪れたようなものだ。

医者社会という狭い世界での現象なのに、蔓延する負け意識は、
医療全体をそうとうおおきく揺さぶっている。

「やってられねえや」という意識は、救急とか小児科といった、「割に合わない」仕事につく人を減らす。
名を捨てて、実をとる人の数は増え、そうした人が成功者として注目を浴びる。

外野の声は、現場の温度をどんどん下げる。
「大変ですね」ならまだしも、「あいつらバカじゃないの?」の声の中で仕事を続けるのは本当に大変だ。
誰かにむかつきながらやる仕事は、ただ仕事をするときよりも2倍疲れる。

##新たな価値は恐慌を回避するかもしれない
恐慌状態の経済を回復させたり、あるいは回避するには、計画的なインフレーションを行うことを
国が宣言すればいいのだそうだ。

どんな手段を用いても、将来的に必ず債券の価値を上昇させる。国家がこうした態度を明確にすることで
債券や土地に対する信頼は高まり、資金は市場に流れ、経済は回復するらしい。

医者には無理だ。

いまさら国がいくら宣言してくれたところで、だれもそんなもの信じやしない。

むしろ可能性を感じるのは、2ちゃんねる的なネットコミュニティの噂話の力だ。

大学を頂点とした医師の価値尺度を補間していたのは、同僚からの評価、あるいは
目の前の患者さんからの評価といった、横のつながりからもらえる励ましの言葉だった。

人と人とをつなげるコストが恐ろしく安くなった昨今、破壊された医師の価値尺度を
再生するのは国家なんかじゃなくて、こうした水平方向からの力なんじゃないかと思う。

医療の崩壊。厚生省もいろいろやってはいるけれど、役人にはノーパンしゃぶしゃぶでもつついて
もらって、このまま黙ってみていてもらうのが一番効果的なのかもしれない。

>「道具を人々の手に行き渡らせるんだ。皆が一緒に働いたり、共有したり、協働したりできる道具を。『人々は善だ』という信念から始めるんだ。そしてそれらが結びついたものも必然的に善に違いない。そう、それで世界が変わるはずだ。Web 2.0 とはそういうことなんだよ」
>[善・清・可能性を信じる「Web 2.0」の考え方](http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u111.html)

自分はもはや、ここまで楽天的にはなれないけれど。