「深い」プログラムというのは相互依存する要素が大きくて、細かく分割して並列計算するのが困難。

前の段階の計算の答えが出ないと次に進めないから、スピードアップすることが難しい。

>一つ計算的に深いプログラムの特徴がある。それは入力の微細な変動に対して出力が激しく変動する事だ。
>たとえば圧縮アルゴリズムの例だと、テキストの前の方で一文字違っただけで、
>出力のビットパターンが全体に渡って違ってくる可能性がある。
>小さな入力の変動が出力の激しい変動に繋がり、
>しかも人間にすら予測不能な変動を起こすというのは計算的に深いアルゴリズムの特徴である。

地虫の視点から鳥の視点へ、そして再び地虫の視点へ。

エレガントな解答方法というのは、一つ一つの計算プロセスがシンプルになる代わり、
計算の段数が増える。

人間の脳というのが「浅い」計算をしているのか、それとも「深い」計算が可能なように出来ているのかは
まだまだ議論があるのだろうけれど、「エレガントな解答」をすぐに思いつける人が少ないということは、
人間そんなに「深い」問題を解くようには出来ていないような気がする。

##群集知の成立条件
「みんなの意見」というのは、時として一人の天才の意見よりも正確な答えを出しうる。

この「群集知」のがうまく働くためには、いくつかの条件が設定されている。

1. 意見が多様なこと
2. メンバーが互いに独立していること
3. 中心を持たないこと
4. 正しい方法で意見を集約すること

このあたりの約束事を外してしまうと、群集は声の大きな人の意見に流されてしまったり、
誰かのミスリードに乗せられてしまったりしてうまくいかない。

この「群集知」を作動させるために必要な条件がもう一つ。「群集知」が扱う問題が深すぎないことだ。

誰にも善悪の判断がつかない問題が提出されると、群集はその判断力を容易に失ってしまう。

ある集団の成員ひとりひとりの正答率が平均して50%以上であるとき、
答えの平均が正解である確率は、集団の規模が大きくなるほど100%に近づいてゆく。
一方で、成員それぞれの正答率が50%を下回る場合、答えの平均が正解である確率は、
集団が大きくなればなるほどゼロに近づいてしまうという。

問題を解く「段数」が多くなると、出てくる解答のばらつきはそれだけ大きくなる。
正答率は下がり、「群集の知」が「群集の愚」へと変化する危険が高くなる。

臨床の現場で未来を予想しようとするとき、考えなくてはならないパラメーターの数は増え、
問題はそれだけ「深く」なってしまう。いろいろな人に意見を聞いて回るとき、
あれこれ聞こうとしないで、質問をなるべくシンプルにしたほうが、
必要とする答えにあたる可能性は高くなる。

深すぎる問題は、集団知の知脳障害を生じる。

人は、小さな問題であればかなり正しい判断を下すけれど、大局の判断力は頼りにならない。
深すぎる問題を集団で扱おうとすると、他の人の意見を真似する「従属性」、
意見の異なる人を排除しようとする「同質性」といった集団の悪いところばかりが顔を出すようになり、
集団の叡智が悪い方向へと暴走しはじめる。

##大きな志を持つのはいいことなのだろうか?
何かをみんなで作るときにはコツがある。

>動機は不純なほど、目標は具体的なほどいい成果が得られ、いいものができる。

動機は不純なほうがいい。「医学の進歩に貢献したい」とか、
「すばらしいお医者さんになりたい」とかはダメ。
むしろ、「女の子にもてたい」とか、「病棟の同級生を見下してやりたい」とか、
ドロドロした汚い動機のほうが
うまくいくし、失敗した時のダメージも少ない。

大きな志を持ったり、「10年の計」でものを考えることというのは、危険なことだ。

たとえば「医学の進歩に貢献する」動機を実現させるために必要な工程数は、膨大なものだ。

工程が多いから、初期の変動があとあと大きな誤差になってのしかかる。なまじ高潔な理念だから、
これを曲げると自分が傷つく。

高い理念を掲げてしまうと、少しでもそこから外れると、
とたんに「不幸な奴」扱いされる。
つまづいたあとの人生が無意味になって、
そこから先に進めなくなってしまうから、最悪引きこもりになったりする。

いきあたりばったりのやりかたというのは、前までの工程が次に影響しない。
大きな成功もない代わりに、失敗が後を引かないから、なんとなく生産的な気がする。

##黒幕はどこにいる?
最近のゆとり教育放棄なんかのニュースを見ていて思うのは、
「みんなけっこういきあたりばったりなんじゃないか?」
ということだ。

自分はガキの頃からの「ムー」の読者だったから、世界に対する基本的なスタンスは陰謀論

全てを知っている黒幕がいて、世界はその人達の書いたシナリオどおりに動いている**というのが

陰謀論者の世界モデルだけれど、最近までは厚生省とか、文部省といった人達は、
こうした「**黒幕**」を擁してるんじゃないかと信じてた。そのほうが、圧倒的に面白そうだったし。

「黒幕」は昔は本当にいただろうし、今もいるけれど力が弱くなったのかもしれない。

今の世の中は、**中枢から末梢までみんなが行き当たりばったりに動いていて、
10年後にどうなるのかなんて誰も予想出来ない**という世界モデルの方が、現実に近い気がする。

僻地医療の崩壊。産科小児科の減少。医師の厳罰化。

こうした流れというのは、「誰か黒幕の書いたシナリオ」という読みかたでも説明できるけれど、
「みんなが想像以上に適当に動いている」という読みかたでも何とかなってしまいそうな
のが怖い。

##情報カスケードによる破滅のシナリオ
誰かが適当に動いて、その動きを受けて、また別の誰かが適当に動いて。

情報不足の状態で、いろいろな人の判断が次から次へと積み重なる状態というのは、
複雑系でいう「カオス」の状態だから、長期間の予測を立てて動くのは不可能だ。

カオスの性質というのは、長期の予測は困難でも、
短期間の予測なら比較的正確に可能なところに
特徴がある。

みんな本能的に短期勝負を選ぶようになっている。

情報カスケードという現象がある。

誰もが不完全な情報しかもっていないのに、
短い時間で次々と判断を下していかなければならない状況では、
自分が持っている情報に価値を見出す代わりに、
周りの人の行動を真似することが合理的に思えるようになってくるという。

今の医療崩壊のシナリオが、本当に誰かの書いた「シナリオどおり」ならば、
別にかまわない。医師という仕事が滅んでも、きっと何らかの救済はあるのだろうし。
そうではなくて、
崩壊している現在が、**医者をも含んだ「みんなの意思」**なのだとしたら、
先には何もない。けっこう怖い。

>自分の持っている情報を検分して、
自分の抱えている問題を他人に相談可能な程度に「浅く」再構成して、
いろいろな人の意見を聞いて、一番正しそうな方向へと足を進める。

面倒だけれど、今出来る最善手は、こんなあたりだろうか…。