twitters for the day

13:02 ゆらぎの誤謬というものがあるんだと思った。 *Tw*
13:05 好意的にとれば、それはあるいはまじめすぎるとか、間合いが読めないとか、表現の仕方はいろいろあるんだろうけれど
13:08 いろいろなツールを使い倒してきたけれど、文章に濃さを求めていく過程で、どうしても量を集める必要にかられてきて、量を扱うためにはシンプルなツールばっかりにならざるを得なかった *Tw*
13:08 それはマインドマップであってもアウトラインプロセッサにしてもそうだけれど、もしかしたらそんなツールは、むしろ少ないアイデアを効率よく利用するためのものに見える *Tw*
13:09イデアの断片を大量に集めて、集めて捨てて、量を質に転化するまで集め続けるような使いかたを志向すると、ごくわずかな遅延が積み重なって、我慢できない *Tw*
13:10 大昔にタブブラウザをいれて感激して、ライブドアリーダーは最初何が便利なのか分からなかったんだけれど、ショートカットキーを覚えたら、これは神様が作ったものなんだと思った *Tw*
13:11 たんぶらは、今使っているんだけれど、ブックマークレットをクリックしてから反映されるまでに 2 秒ぐらいかかるのがけっこう長くて、やっぱり使わなくなるような気がしている *Tw*
13:13 ツールの衆愚化という現象が、あるいはおきるのかもしれない。ハイクと twitter はやっぱりよく似たサービスだけれど、自分の理屈でいくと、メディアとしてより進んでいるのはやっぱり twitter であって、ハイクは多機能なぶん、むしろ道具として退化している *Tw*
13:14 競合するサービスが出てきて、みんなむこうに乗り換えるのなら、やっぱり単純さを志向する人なんてごく一部なのかな、とも思う *Tw*
13:15 機能ちょっとだけ話題になった yahoo blog のページを見ると、なんだかきらきらして目が潰れそうになる。自分が徘徊するページでは、あんな派手なところは少ないし、そもそもほとんどライブドアリーダーで読んでしまうから *Tw*
13:16 何かのサービスに人が集まって、濃い人達がむしろマイナーな存在として片隅に追いやられる過程の中で、あるいはサービスがリッチになっていったり、フォントを変えたり、画像を貼れるようなサービスのほうが「正しい」と判断されることもあるんだろうか *Tw*
13:17 唯我独尊的なサービス展開して、ユーザーの声を突っぱね続けられる経営者と、ユーザー迎合的な、ある意味「正しい」進化続ける経営者とがいるはず *Tw*
13:19イノベーションのジレンマ」は、あれは濃い人達の声に耳を傾け続ける会社が、それ以外の「普通の人」に見捨てられる話だけれど、普通の人が入ってきて、濃い人たちが捨てられるのは、単なる成功であって、そもそもそこにはジレンマなんてないのかも *Tw*
13:21 twitter のよさというのは、要するにシンプルであること。シンプルだけれど、検索にしてもふぁぼったにしても、すばらしい付加機能を作ってくださる方がいるから応用が効くこと。 *Tw*
13:23 シンプルさというのは、サービスそれ自体の価値だけれど、応用部分とか、付加された価値というのは、要するにコミュニティの力。 twitter というメディアそれ自体が持つ力と、それを取り巻くコミュニティの力と、どちらがより支配的なのかは自分には分からない *Tw*
13:24 いずれにしても、このサービスがもっとややこしくなって、投稿するまで数クリック要するようになったらやっぱり嫌だし、このコミュニティから人が消えて、みんなもっとリッチな方向にいってしまったら、やっぱりこれを使い続けることはないだろうなと思う *Tw*
13:28 技術者と営業職と、大雑把にお仕事分けると、「欺瞞の使いこなしかた」が異なってくる。技術者は「つまらないものを作ってしまった」といわなきゃいけないし、営業職は「うちの技術馬鹿どもが暴走しまして…」と言わないといけない *Tw*
13:29 やっぱりレクサスの売りかたは間違っていると思う。トヨタの技術者が全力ぶち込んだのは、やっぱりベースになった乗用車のほうであって、レクサスで売ってるのは、それをきれいに仕上げたもの *Tw*
13:31 「限られた予算に機能を詰め込む」のは技術だけれど、浮かせたお金で「きれい」を乗っけるのは、何となく技術でない気分。中の人達も、たぶん技術屋の暴走とかじゃなくて、むしろいわれた仕事をしました、というイメージ *Tw*
13:32 レクサスの販売店は、たしかに丁寧。いい車でしょう ? なんて。いいんだけれど、予定通りに作った車を「いいでしょう」なんて言われても、何となく、既製品を薄めて膨らませて 200 万円載せました、なんて思惑が透けて嫌 *Tw*
13:33 ベンツとかポルシェとか、技術者は何となく、嘘ついてるイメージ。ベンツなら「ものすごいスポーツカー作った」なんて言い切って、できたものは高品質な乗用車だったり、ポルシェは昔から「ちょっと早い乗用車目指してます」なんて言い切るのが一つのスタイル *Tw*
13:34 中の人達は絶対そう思ってないのに、何となくそこに欺瞞をスタイルにする文化があって、それがかっこよく見える。トヨタの技術者は、悪い意味で誠意あるかんじ。もっとトヨタらしい欺瞞のスタイルがあったら面白い *Tw*
13:36 これもごく大雑把な印象論でしかないけれど、ベンツは時々狂った車作って、営業の人も「うちの馬鹿どもがとんでもない怪物作りまして…」なんて売りかたをするイメージ。すごすぎてすいません、みたいな。すばらしい車でしょう ? なんて言いかたは避けるような。先入観と印象論だけで喋っ ...
13:37 営業に求められる欺瞞のスタイルと、技術者に求められる欺瞞のスタイルというのが多分あって、それがなかったり、あるいはお互いの欺瞞のベクトルがずれた商品は、たぶん魅力がそがれてしまうんだと思う *Tw*
13:40 @clala_garden シェルビーコブラ本当に欲しい。。5 L 500馬力とかもうありえないくらいに馬鹿丸出しですばらしい。アメリカ人のすばらしい所は、あんな馬鹿車作ってもなお「すばらしい車でしょう ? 」と言い切れてしまうところ。 *Tw*
13:41 全方向的な馬鹿車作って、何の衒いもなく「すばらしい車ができました」と言い切るのは、あれはアメリカ車にだけ許された欺瞞のスタイル。かっこいい *Tw*
13:42 @marco11 車大好き。本当は改造車とかすごく好き。今単純にそういうことできなくなったから、ヴィッツに乗ってるだけ。もう自分の車の排気量も馬力も知らない。 *Tw*
13:43 学生の頃乗ってたカローラなら、重量 970kg 、 94 馬力が 5400 回転で出るとか、無駄知識全部覚えてたのに *Tw*
13:45 @otsune ライブドアリーダーを作った mala という人は、なんだかこういう早さを作りこむ情熱がすごい人というイメージ *Tw*
13:47 @otsune 何となく、産科医療に賭ける情熱をパンツ盗撮につぎ込んで、 15000 枚のパンツ写真と一緒につかまった産科部長先生と重なるイメージ。すごい実力と、人間離れした情熱とが重なったところにおきる奇跡みたいな *Tw*
13:49 ハイクみて、絵が書けるからすごいと思う人と、 twitter 見て、絵もかけなければフォントいじりもできないからすごいと思う人と、歩み寄りの余地はあるんだろうか。。 *Tw*
13:50 @REVI うん。でも電気レクサスのエンジンをヴィッツに積んだリアルチョロ Q 出してくれたら、スゲーと心から思う *Tw*
13:53 うにっくすは「この銃は自分の足だって撃てるんだぜ」とシンプルさと自由さを賞賛するけれど、 Win は「この銃はどういじっても足撃てないんだぜ」と、不自由さと複雑さとを賞賛する。自分は Win ユーザーだけど *Tw*
13:54 @REVI 突っ込みとか強制とか割り込みなんて言葉を聞くと、ストリートファイター全盛期のゲーメスト思い出す *Tw*
14:02 @harupong あの一途に早さだけ志向して作り込んでく姿勢はすごいですよね。見た目は全然変わらないのに。機能だけであれだけの支持集めちゃうんだから、「見る目」持った人はものすごく多いのかも *Tw*
14:06 何となく、初心者は最初に「質」を求めて量を疎んじて、何かを学ぶ立場から何かを発信する立場になって、自ら質を上げる必要にかられて、はじめて量の大切さに思い至るような気がする *Tw*
14:07 @hobby_hobby うん。水と油は絶対混ざらないのに、粉末コーヒーと粉末ミルクは簡単に混ざるような現象に、何かのヒントを求めてみたり *Tw*
14:12 @REVI これから大きめの話を立ち上げようとして、出足でいい要約喰らうと、止めの必殺技全部ブロッキングされたような気分。百烈脚かわされて竜巻旋風脚で止め刺されちゃうみたいな *Tw*
14:17 全方向に誰かが待ちガイルしてて、週に 1 度は誰かに当て投げはめを喰らっているのに何事もなかったかのように復活する池田御大は、本物の怪物なんだと思う *Tw*
14:25 格闘ゲームとブログ論は誰か書いてほしい。ストリートファイターは、まじめにやったのは 2 ボタンしかない「1」だけ。 2 の頃はもうゲーセン通いの頻度は減ってたから。 *Tw*
21:27 dan さんのお子さんについたダメ教師の話も、中学生の野球肘を作ったコーチの話も、無能で勤勉な人がもたらす災厄の話なんだと思う *Tw*
21:27 dan さんのお子さんの事例は、それでもまだ、その教師の人が無能ではあっても、勤勉でもなかったから、まだ救われているように思う *Tw*
21:29 教師の人が「勤勉」ならば、要するに極めて熱心で、子供たちの関心をひきつけるのが上手な人であったなら、おそらくは子供は自分を責めて、親御さんには「授業は面白いよ」なんて伝えて、黙って算数嫌いの子供になるような気がする *Tw*
21:30 どんなに厳しいコーチであっても、拳骨一個で、子供の肘を壊すことはできないような気がする。コーチに怒られるのが嫌なだけなら、子供はお腹が痛いふりをするとか、さっさと野球嫌いになるとか、痛めた肘をかばう *Tw*
21:31 小学生の子供をして、外から見ても関節の変形が明らかになるまで、肘が全く伸びなくなるまで自分の体を痛めるのは難しくて、裏返せばそれは、そのコーチによっぽど人望があって、その人に嫌われたくなかったんだろう。 *Tw*
21:32 そのコーチの人は、おそらくは人間としては善であって、極めて勤勉ではあったけれど、コーチとしての能力が欠落していたから、その存在自体は邪悪になった *Tw*
21:34 「勤勉さ」というのは、恐らくは害になるのだと思う。能力ある怠け者が将軍になって、能力のない怠け者が兵士になる。能力と勤勉さを併せ持つ人は軽快な作戦が立てられないし、能力がなくて勤勉な人は、戦争になると真っ先に味方を殺す *Tw*
21:34 「勤勉な人」と「怠け者」とに部隊を分けて模擬戦をしたら、間違いなく怠け者が勝つはず。将軍と兵士がいれば、戦える *Tw*
21:35 恐らくは勤勉さというのは、どんな形であれ外部から計測可能な数値として表現可能で、一方で能力というものは、しばしば優劣がつけにくかったり、結果を通じてでしかその大きさを表現することができない気がする *Tw*
21:36 世の中の致命的な誤謬というものが、たぶん能力を勤勉さで測ろうとする態度で、社会は前に進んだけれど、それはしばしば、能力の高い怠け者がプロジェクトエックスよろしく勤勉な人たちの尻拭いをしたからで *Tw*
21:37 立役者なんていわれた勤勉さを売りにしてきた人達は、本当はただ単に「足を引っ張らなかった」という以上の貢献をしていないのかもしれない *Tw*
21:38 子供に最初に教えるべきなのは、あるいは世の中には能力にかけた人が、能力が必要な場所にいることがあって、その人の勤勉さと、状況ごとに必要な能力を持っていることは、必ずしもイコールでないんだよ、ということなんだと思う *Tw*
21:39 能力をどうやって査定すればいいんだろう。あるいは自分の中にある能力という言葉を、どうやって一般化すればいいのか。 *Tw*
21:40 状況が変わっても、勤勉さの高い人は、どこに行っても勤勉だけれど、能力というのは、あるいはたぶん、状況ごとに「高さ」が変わってくるような気もする。もしかしたらそれは自分が間違っていて、完璧超人はどこに行っても完璧なのかも *Tw*
21:41 父親なんかは、工学の分野では間違いなく能力の高い人ではあったはずだけれど、日常生活レベルの能力は、間違っても高い人じゃなかった *Tw*
21:42 幸いなのか、むちゃくちゃ厳しい人だったからあんまり可愛がってもらえなくて、歪んだけれど自分を責めなくて済んだ部分があるような気がする *Tw*
21:44 dan さんみたいな完璧超人の子供というのは、ものすごく大変な気がする。能力が高い人に無能認定されるのは、本来ものすごいダメージ。勤勉な人からそれを食らうと、もう絶対立ち上がれない *Tw*
21:44 dan さんはたぶん、プログラマとしては自覚的に怠け者であるはずだけれど、邪推だけれど、親としてはもしかしたら、勤勉であろうとしている部分はないんだろうか ? *Tw*
21:45 うちの大学の心理学教授だった人は、何冊も本を書いている、たぶん能力があって、勤勉な人。奥さんも心理学者 *Tw*
21:46 「夫婦で熱心に子供見てたら、ぐれちゃいました」というのがお笑いポイントで語っておられたけれど、真実だったんだろうなと思う *Tw*
21:47 勤勉さという悪徳を、いろんなところで追放しないといけないんだと思う。 *Tw*
22:07 @p_shirokuma うん。まだ整理ついていない。書いてて何となくご都合主義的で、自分の中で「怠惰」を都合よく運用している気がする。変わらない 2 つのパラメーターがあるんじゃなくて、論理の為の論理になってる *Tw*
22:08 能力パラメーターと勤勉パラメーター、善悪、あるいは邪悪さというものが、どれがマトリックスを形成する根源で、どれが化合の結果なのか。 *Tw*
22:10 態度がいけない論賛成。でもそれだとあんまり面白くなかったり。 fromdusktildawn さんなんかだと、「勤勉さ最低」「能力ない奴今すぐ死ね」ぐらいの文章、説得力持たせて書いて、いっぱい釣りそう *Tw*
22:31 @wideangle まだこのへん自分の理解が甘すぎてこれから。自分の論を自分で運用しているようでは…。もう少し詰められれば、あるいは勢いで押し通せる何かが見つかれば文章にするかもです *Tw*
00:14 呼び出し。勤勉さと能力のことをグダグダと考える。 *Tw*
00:15 人の向き。「上下」と「左右」は本質的に異なっている。上下という概念は、世界に決定権がある方向であって、鏡に写っても上は上のまま、変わらない。左右というのは人に決定権がある概念で、鏡で逆転する *Tw*
00:16 パラメーターの外在性と内在性みたいなものがあって、誰が見ても同じように評価できるものと、恐らくはその人その人の向きとか、あるいは考えかたみたいなもので評価が変わるものがある *Tw*
00:17 鏡の世界は、こちら側から見ると左右逆だけど、むこうの誰かから見た場合、もちろん右は右で、矛盾していない。立場が違えば、お互い定義する「右」が、たまたま逆になっただけだとも言える *Tw*
00:18 裁判官が、男の背が高いというだけで、事故を有罪にすることは正当だろうか ? *Tw*
00:19 医療過誤裁判なんかでは、医者の世界と法律の世界、そもそも「能力」という言葉の定義は違って、たぶん能力のない多くがそもそも裁判にならないのに、能力的には満足しうる人が、しばしば裁判にかけられる *Tw*
00:20 裁判所で評価対象になるのは、過失の有無とか、「努力したのか」とか、要するにそれは、外在するパラメーターで、外的に定量することが可能なもの *Tw*
00:20 本来査定すべきは、その場にいたその人に、その状況を任せるだけの能力が備わっていたかどうかなんだけれど、実際にそれを測定することができないからこそ、他のパラメーターで近似をかける *Tw*
00:21 極論すればそれは、「その男は背が高い。だから有罪」と、何ら違いはないように思う *Tw*
00:21 もちろん法律の人からは、「能力を定義して下さい」から始まって、「ならばそれは国民が望んだことです」「選挙に行きましょう」で勝利宣言されちゃうんだけど *Tw*
00:23 こんなフィールドでは、たとえば我々医師は、たとえ冗談であっても「あなたの腹痛 ? ……フフ癌ですよ w 」なんてことは絶対にいわない。恐らくは与えられた属性ごとに、いっていいことと悪いこととは明確にある。待ちガイルだめ絶対みたいな *Tw*
00:23 法律畑の人が「それは立法の問題です」でこちら *Tw*
00:24 こちらに思考停止を強要するのは、我々医師が「それ病気の話題だから専門家に」なんて議論打ち切るのと同じような欺瞞を感じる。勝てないのすごいくやしい *Tw*
00:38 @sivad スカラーとベクトルはやっぱり近いかも。とにかく能力と勤勉とは、同一のパラメーターにはない印象。あるいは構造決定的な何かと、人間原理的な何かとか *Tw*
00:39 @p_shirokuma うん。でもスペック厨ごっこはとても楽しいのも確か。自分も含めてスペック厨は、案外勝敗どうでもいいんじゃないかと思うときもある *Tw*
00:40 @REVI たしかに単純な軸の問題なのかも。パンツは時空を越える *Tw*
01:06 お見送りに呼ばれた… *Tw*
01:41 たぶん為すべきことは為された、はず。帰って寝る。 *Tw*