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  • 「文法の発生というものは、詰まるところ制約の共有である」なんてぶち上げると、ボカロ界隈だとか、ニコマス界隈なんかにも、そのうち「文法」みたいなものが出来たり、それを外すことが「芸」として認知される日が来るんだろうか #
  • 音声は、口や顎、舌の動きが作り出す制約の範囲であれば、人間には、もっと多くの音声が出せるはずだけれど、「言葉」として、意味を伴ってそれが認知されるのは、恐らくは、音声のうち、ごく一部 #
  • 自由すぎると、何も出来ない。環境に適応した、上手な制約が生まれて、それがお互いに共有できると、コミュニケーションが始まる #
  • 日本語の語彙は決まっているから、テキストは、キーボード打てれば、誰にだって書けるし、読める。発信するのも簡単だし、発信者と、批評者と、ほとんど同じ土俵で勝負できる #
  • これが「絵」だとか、ましてや「動画」になると、自由度高すぎて、何がすごいのかもはや分からないし、それがすごいのかそうでないのか、そもそも同じものを作れない人には、批判することすら難しい #
  • 批判できないというのは、裏を返せば対等なコミュニケーションが困難なわけで、恐らくは絵だとか動画の「批評」という言葉と、文章や小説、あるいはblog 界隈の口げんかを「批評」と称しているのとは、お互いの立ち位置が全く異なる #
  • 自由度の高いメディアで遊んでいる人たちは、だからまず、そこに入っていくのが難しいし、「界隈」の外にいる人間には、下手すると、「中の人」が何しゃべってるのか、理解できてない #
  • 広がるためには、どうしても制約を受け入れないといけない。動画だとか絵みたいなものにも、そのうち文法みたいなものが生まれて、すごさの共有みたいなものが出来るのかもしれない #
  • あるいは何らかのソフトがスタンダードになれば、状況が一変するのかもしれないけれど #
  • 学会発表のスライド作成なんかは、それこそ写植と写真撮影の昔は、「職人芸」みたいなものがあったけれど、パワーポイント時代になって、みんな同じソフトで同じようなもの作るようになった #
  • 内科の症例報告なんて、形式決まってるし、だいたいスライドの枚数とか制限時間指定されてるから、そこには一種の「文法」みたいなものが出来た #
  • 文法出現以前のすごさと、出現以後のすごさとは、意味が異なる。文法出現以後のすごさには、文法という前提があって、何かの意図の元に、それを否定してみせることのすごさ、という価値が加わる #
  • そういえば、敗者から学んだ例を、今日2回みかけた #
  • 「戦争のテクノロジー」。ドイツに勝利したソビエト連邦は、大戦後、戦略を大幅に変えたらしい。勝ったのに #
  • カニンガムの見立てでは、ロシア人は、勝利した自ら学ぶことをせずに、むしろ敗北したドイツ人のやりかたから学んで、よりよい勝ちかたを模索したのだと #
  • 獣医さんにいった。犬が乾燥肌で、ローションをもらった。獣外科医の発明品なんだと #
  • 獣医業界では、皮膚科の専門家はいるけれど、保湿剤とかを犬に使う発想する人は、少なかったのだと。その外科の先生は、創傷治癒方面から皮膚に興味もって皮膚科に学んだ #
  • で、皮膚科学学ぶんじゃなくて、「どうして獣皮膚科医には皮膚疾患を治せないのか」を外科医の目で観察して、犬用の保湿剤作ったんだと。宣伝文句だけれど、敗者から学ぶ発想してた #
  • つまらない本だとか、くだらない本読んだとき、時間の無駄だったと嘆く前に、じゃあもっと面白くするには、どこをどうすれば良かったのだろうかとか、考えると有意義なのかも #
  • @p_shirokuma 何でも昔は、大量生産と消耗戦ドクトリンで、ドイツに学んで、ソビエトは駆け引き主体のやり方に、戦略変えたのだと。。そうは見えないんだけれど #
  • ちょっと古典的で、大量に作る兵器の山を、あるいは「駆け引きのためのこけおどしなんだ」と看破したのなら分かるけれど、どうなんだろう #
  • 作者の人は、あくまでも「考え方が変わったようだ」としか書いていなくて、実際問題、第二次世界大戦以降、全面戦争は起きていない。「戦争のテクノロジー」自体が、ソビエトがあった頃の、古い本だから、分析違ってたのかも #
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