Sun, Jan 10
- 17:37 「畳のヘリから外れず歩く」ことは、たいていの人が上手にできる。ところが同じ幅の平均台を、たとえば地上20mにおいて、それを同じように歩ける人は滅多にいない
- 17:39 どんな形であれ、「責任」を求められると固くなる。それが何年も寝たきりの、ご家族も見放してるような寝たきり老人だったらこわばらない手が、30歳ぐらいの若い人が急変して入院したりすると、どうしたってがちがちになる。未熟だけれど、認めるしかない
- 17:40 こういうのを、じゃあ「努力する」とかあっさりいったところで、無理だと思う。どれだけ論文読もうが、教科書読もうが、やっぱり無理なものは無理。固くなるし、緊張すると間違える
- 17:41 「上手くいっているときの自分はどうして上手くいっているのか」をきちんと言語化して、言語化した手続きで実際にそれを行って、上手くいくことを検証できて、はじめて「役立つ努力の1サイクル」というのが完結するんだと思う
- 17:42 言語化に失敗している本というのは、どれだけきれいにまとまっていても、それを読んでも、今までの「何となくやる」習慣が変えられない。で、すごく若い患者さんとか来て、緊張して、そういう本開いて、普段の自分と全然違った考えかたが書いてあって、いきなりやって、上手くいくわけがない
- 17:43 こういうのはだから、教科書を自分で書くしかないんだと思う。その人なりの手続きみたいなものを。ジャックニクラウスが昔それやって、翌年のツアーは、見事に成績が下がったとかいう逸話があった
- 17:44 言語化した手順に従う手、たぶん「成績」が絶対に落ちる。落ちたその時、また「何となく」に戻ればすぐ戻るんだけれど、それをやっちゃいけない気がする。言語化した手順と、何となくの手順との解離が減っていくことが、たぶんベテランになるということだから
- 22:22 @ryotarox 正しく問うことができたのなら、その人はすでに答えを手にしているという [in reply to ryotarox]
- 22:36 「こういうことがやりたい」と夢見るだけではたいてい上手くいかない。「これで食べていくためには何が必要なんだろう」という視点で自分に必要なものを探すと、ヒントが得られる。西原理恵子の本。
- 22:37 同じようにたぶん、「礼儀正しくしましょう」とか「人と仲良くしましょう」みたいな価値軸を鍛える方便として、「この人になら出資をしてもいい」と思われるためには何をすればいいのかを、考える機会というのが必要なんだと思う。自分が失敗した部分
- 22:38 出版社というのは要するに「出資者」なのであって、1冊の本を出すのに数百万円、これがベストセラー狙うような一般書籍だったらもう一桁ぐらい高いお金が動く。
- 22:39 もちろん本当の起業家とは違って、出版の企画を持ち込む側には、別に売れなかったときの無限責任とか来ないけれど、出版社がある企画を採用するということは、「企画を持ち込んできた目の前の人間に、果たして数百万円を投資する価値があるのかどうか」を判定することなんだと思う
- 22:52 たぶん「本を出すにはどうしたらいいんだろう」というのは、問いとして間違っていて、この方向で頑張ると、迷走して失敗する、というか、した。本当は「出版社がお金を出すのはどういう人間なんだろう」と問うことで、どういう「名刺」を育てればいいのか、答えが見えた
- 22:56 自分の「何となく」を余すところなく言語化して、動作と言語、言語と動作との間から矛盾を追放できた名人は、たぶん高重圧環境にあって、重圧なんてないかのように振る舞える
- 22:57 研修医に「頑張りなさい」というのは、励まし方としてあまりにも不十分で、どう頑張ればいいのか、上の人はそれを教えないといけないんだと思う。それをやらないのは、能力がないからなのか、育てる意志を放棄しているのか、あるいは両方なんだろう
- 22:59 自分が名人だと知っている人は、カテの動かしかたから針の刺しかた、どうしてここは右90度回転ではいけなくて、左270度回転が正しいのか、細かいところまで、聞かれもしないうちから言語化して、教えてくれた。体系化されていて、それ聞くと、ある程度まで再現できた
- 23:00 名人というのはたぶん、ある業界においては再現可能な何かであって、後継を増やしてもっと前に進める人と、後継をそこで絶やして腐らせることで、自らの地位を保全する人とがいる
- 23:02 @y_benjo 正しく問うことができたのなら、そもそも答えを聞く必要はないし、正しい言語化に成功した名人は、もはや教える必要がないはずで。 [in reply to y_benjo]
- 23:04 師匠と弟子と、教育がインタラクティブに見えているなら、それは双方間違っている可能性が高くて、本来はもっと、お互い自閉的なものなんじゃないかと思う。弟子は質問を考え、師匠は自分の動作を考え、お互い正しいところにたどり着ければ、会話はいらない
- 23:05 弟子が間違った質問を師匠に行い、師匠が間違って言語化された何かを弟子に伝え、一見「教育」に見えるそれは、もしかしたら弟子を殺してるだけなのかもしれない。そうじゃないと「守破離」の「離」が説明できない
- 23:06 @naohaq たぶん無理。。人体めちゃくちゃ軟らかいから。 [in reply to naohaq]
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