Sat, Mar 06

  • 03:33  犬憑きさん を読んだ。ほのぼのとした暖かいお話だった。
  • 15:43  「正しい過程」と「正しい責任」とを結びつける論理が疲弊している気がする。「正しい医療をやっていれば、患者さんはきっと分かってくれる」というのが昔習った論理だけれど、自分はもうこんなの信じてないし、若い人もきっとそうだと思う。質問したことはないんだけれど
  • 15:44  変わる言葉がそこにないから、今はなんというか、「正しい医療をやったところで、患者さんは分かってくれるとは限らない」という論理になってしまって、これが真である、として通用してしまっているから、じゃあ判断から一歩退こう、という結論が導かれてしまう
  • 15:45  むしろこれからは、「正しい責任転嫁を行って、初めて正しい医療ができる」なんて、論理の逆転を行わないといけないんだと思う。後ろ向きで卑怯なやり方だけれど
  • 15:46  だからこそ、責任転嫁のやりかたというものが体系化されないと行けないし、体系化された結果として、恐らくは必然として責任を引き受ける立場というのが生まれる。こういうのを文章化することで、たぶん上司の責任というか、そういうのがはっきりする
  • 15:48  「投げたらお終い」を許しちゃいけないし、あらゆる「逃げ場」をきちんと潰しきることで、初めて重たくなりすぎた責任というものは、みんなで背負うことができる。
  • 15:49  「僕馬鹿なんですベッド持ってないんです責任取りませんけれど処方2ヶ月分出しときました」みたいな丸投げクリニックを許しちゃいけないし、同様に、専門特化しまくってるからアドバイスはしますけれど患者さんは見ません、という専門家も、責任サークルに引きずり込まないといけない
  • 15:50  責任というのはだから、お願いしてお終いになるものではなくて、ある場所に、周りの人たちを引きずり込むものなんだと思う。みんなが人柱になって、お互いをがんじがらめに縛り上げることで、初めてたぶん、自由になれる
  • 16:00  そういうのあるから、田舎はこれからますます厳しいのでしょうかね。。。
  • 16:02  @haggie21 前どこかの掲示板で、「法律の人が時々間違えるのが怖い」みたいな、医療者の悲鳴みたいな書き込みがあって、法律の人が「だから裁判は3回あるんです」なんて胸張って、断絶がすごかった。。  [in reply to haggie21]
  • 16:13  @haggie21 それこそ医局組織がもっとしっかりして、昔のやくざみたいに「おつとめご苦労様です」の世界になれば、逆に「正しい医療を行って恥じることはなかった」で十分なのでしょうけれど  [in reply to haggie21]
  • 16:20  教科書には「この検査は必要ない」って書いてあるのに、「どうしてこのとき、この検査を行わなかったのですか?」なんて、トラブルになったら絶対に突っ込まれるな、という状況は必ずあって、あれがものすごく嫌だった
  • 16:21  嫌だったからそういうのじゃないやりかた探して、まとめるのに結局10年かかって、今年やっとまとまって、なんというか、遅すぎたという気がしてしょうがない
  • 16:22  自分たちが研修医の頃だったら、「検査しないこと」が突っ込みどころになって、今はたぶん、夜中に歩いてきた頭痛の患者さんがCTを希望して、それを突っぱねる度胸のある人のほうが、少ないと思う。こういうのは当たり前になった
  • 16:24  一方で、今度は下手に難しい病名診断に行き当たってしまって、「○○病の患者さんです」なんて治療できる施設探して、もう取ってくれない、という事例が増えた。何年前だか、土曜日に化膿性胆管園を診断した産科の先生が、あらゆる施設に断れれて往生した、という話を書いた頃から
  • 16:24  このときからもう、事態は「検査しなかったら負け」から一歩進んで、もう「診断したら負け」になっていて、スムーズな転送を考えるなら、むしろ「分かりません。あとよろしく」にしないと厳しくなってた。そういう意味で、「頭を使わず検査だけで診断する本」は、もう時代に合ってない
  • 16:26  「外務省のラスプーチン」なんていわれたあの人の支援に立ち上がったのは大学のOB会だったりするから、なんというか、最後に頼りになるのは、契約で固まった集団でなくて、最後は「縁」とか「血」とか、ずっとドロドロした何かなんですかね。。。
  • 16:29  診断て、「責任の可視化」という側面があって、大きすぎる責任を「見える」化しちゃうと、もうそこで身動きが取れなくなる。本来はそうなったら、まわりから人が駆け寄って、その責任支えないといけないのに、今はそういう仕組みがない
  • 16:31  @haggie21 「主治医代わるよ」って彼らが一言言ってくれるなら、自分も明日から Narrow is Beautiful !! to  [in reply to haggie21]
  • 16:36  @haggie21 「青木先生が悲しそうな顔をする」からこそ、みんなNarrow 目指すのに、それを「青木先生が正しいから」みんな従うんだ、という観測をする人が多すぎる気がするのです。エビデンス通そうと思ったら、人間力すごく大切。  [in reply to haggie21]
  • 16:58  資格やルールを厳格に決めれば決めるほど、同じ枠組みに分類された人を「平等」と見なす圧力は高くなる。どうしたって、序列というものは文化として根付いているから、測定できる能力みたいなものの文章化、可視化が徹底されればされるほどに、評価軸は不可視になる
  • 17:00  「好きな」人を選びたいという思いは、たぶん誰にだって会って、枠組みが厳密になるほどに、ルールはそれを許さなくなる。測定できないもの、「かわいらしさ」みたいなパラメーターが、40も余裕で回ったおっさんがたのコミュニティですら、ものすごく重要になってくる
  • 17:01  佐藤優さんの本に書いてあった、官僚組織では、たとえば「誰と連れションに行くのか」とか、そういう物事が、しばしば国の運命を左右するぐらいの大きな決定に影響するんだ、というのは、あながち誇張でもないんだと思う。
  • 17:02  組織にルールを整備して、「情」だとか「縁」だとか、能力とは全然関係のない何かを追放しようとすればするほどに、たぶんもっと下らないレベルの何かが価値を持って、下手すると、それはしばしば、能力の差をひっくり返す
  • 17:04  そういう意味で、湿っぽい、下らない何かの価値を根本から追放しようと思ったならば、やっぱり「さいころ」とか「くじ」を導入すべきなんだと思う。ルールを作った人が、能力評価の序列に自身があるなら、同じ枠組みに入った人は、ランダムに選んでいいはず
  • 17:05  上司に許されるのは「サイコロを振ること」であって、それが判断になって、責任が来る。理不尽だけれど、「判断」が人間によって為される以上、「いつもトイレで一緒になるあいつ」が選ばれるバイアスを、除外することはできないんだと思う
  • 17:09  でもサイコロってもっと見直されていいような気がする。ルール作る側が、それでも「人間を見る」工程を判断プロセスに入れるのは、ルールを作った本人が、ルールの有効性を信じていないわけなんだから。信じてれば、自信持ってサイコロ振って、面接の時間を節約できる
  • 17:15  @ninjineko 「全部くじ引き」を徹底すると、状況判断がものすごく速くなるような気がして、それは案外、「総合的に判断して最適な人間を選ぶ」ことよりも、価値が出てくるんじゃないかと思うのです  [in reply to ninjineko]
  • 21:39  耳刈りネルリの最終巻は、きれいな終わりかただった。追っかけてよかった。

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