Sun, May 02
- 15:14 http://bit.ly/clyCiw 「速く歩きたければ、一人で歩け。遠くまで歩きたければ、だれかと一緒に歩け」 は深い。。
- 16:24 http://bit.ly/9fRZJR こういうの本当に怖い。認識世界と実世界とのずれを吸収するための手段として、怒り以外持ってない人
- 16:43 「お前は○○のことを本当は理解できていない」という台詞、○○の中には社会とか、仕事みたいな言葉が入るんだけれど、これは討論会においては決定的な負けフラグになる気がする
- 16:45 討論のログが全世界公開されて、あとから無数の目線が勝ち負けを判断する仕組みがこれだけ整った状況で、相手を論破してみせることなんて、無数にある勝利条件の、ほんの一つぐらいの価値しか持てなくなっている気がする
- 16:46 討論会で「勝ち」を狙いに行った時点で、すでに負けているというか、地雷に向かってまっしぐらの方向に舵を切っているんだと思う
- 16:49 誰もが専門家になれる未来は今のところ来ていないけれど、「誰もがにわかになれる」インフラは、ずいぶん整ったような気がする。自分は将棋を並べることしかできないけれど、ニコ動の将棋中継は、目の超えた人と同じタイミングでびっくりすることができる。
- 16:50 それがどうびっくりなのかは全然分からないけれど、見かたを知っている人と一緒にびっくりするのは、少なくともたしかに楽しい。それに意味はないかもだけれど、楽しいのはいいことだと思う
- 16:51 @p_shirokuma 型に嵌めようとして、「あの人こんな型で嵌めようとしてる」なんてみんなから見透かされて、ドツボってルように見えましたよね。。 [in reply to p_shirokuma]
- 16:53 昔の政治は、「にわか」じゃなくて「ド素人」を相手にできた人、有権者を、言わば見下す勇気を持った人こそが勝利をおさめて、その勇気がなくて、スローガンじゃなくて対話に舵切った政治家は、たいてい負けた
- 16:54 全員が専門家、という想定は無理だけれど、今は全員がド素人、という近似は危険で、少なくとも半分ぐらいがにわか評論家、という立ち位置でいかないといけないんだと思う
- 16:57 @p_shirokuma たとえば星野「ワシが育てた」監督みたいな人だったら、ああいう討論に引っ張り出されたら、まずは相手と握手して、討論が終わってから、「あいつはワシの弟子」と宣言すると思うのです。監督のイメージはぶれないし、たぶん弟子認定された側が負け認定される [in reply to p_shirokuma]
- 17:02 テレビでの公開討論みたいな、帯域幅が広いというか、自分の些細な仕草一つがコンテンツとして消費し尽くされる場所で、勝ち負けを目指した時点で、それはすごく怖い選択をしている。容姿からファッションから態度から、もちろん論理の些細な瑕疵に至るまで、全部笑い尽くされる
- 17:05 プロレスラーの人たちがリングの中で見せるのは、コンテンツのごく一部だし、そのごく一部にしてから、それをきちんと見せるためには、常人離れしたトレーニングがいる。勝ち負けを演じるのはそれぐらい大変で、体鍛えてない人は、見える場所で勝ち負け目指しちゃいけないんだと思う
- 17:13 勝負に型を持ち込んで、勝ち名乗りを上げるのを目標にする人と、討論の目標を、勝利でなくコントロールの確立におく人と、鎌倉武士とアメリカ海兵隊の戦いみたいなもので、目指すものが違いすぎてた
- 17:53 @niminimin 見えるものを、見るに値するものへと変換するためには、バックグラウンドで、膨大な研鑽が欠かせないのは、どこだって同じなのでしょうね。。 [in reply to niminimin]
- 23:05 身体というのは実世界とのインターフェースで、能力というものは、実世界との関わりにおいてのみ評価されるべきものならば、身体を持たない人工知性の能力というものは、どう評価すればいいのだろう
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