Thu, May 20
- 00:10 @kote2tsu スティーブンキングのファイアスターターなんかも、そういえばそんなテーマでしたね。。 [in reply to kote2tsu]
- 13:15 50代の、PCに詳しい先生がたは、iTune で音楽を聴いている。楽曲リストとか整理して、便利なんだという。で、ひるがえって自分たちの世代は、もうあらたまって音楽を聴くという習慣自体がなくなっている。何となく流れているものであって、聴くものでないというか
- 13:16 たぶんこういうのも、PCという万能機械に、どこかで子供の頃の生活習慣を投影しているところがあって、今に大きなステレオがあった世代は、PCをそういうものだと見たりするんだろうけれど、じゃあそういうロールモデルを持たない人にとって、PCってどう見えるものなんだろう
- 13:17 PC98ぐらいの時代、あの「何にでも使える」、裏を返せば「どうやって使っていいのか外から分からない」機械というものが、とにかく気持ち悪かった。PCがありがたいものである、という意識だけが広告されて、家の中にアナロジーがなかったから
- 13:20 それがステレオであったり、タイプライターであったり、PCにいろんな機械を投影して理解する世代というのがたぶん今40歳ぐらいになっていて、PCをPCそれ自体として理解する人というのが、もっと若い世代として、どこかで文化が変わっているんじゃないかと思う
- 15:43 居心地のいい人というのは、相手が期待する役割を演じられる人、という言いかたでもいいのかもしれない。正弦だらけの体育会が、それでも何となく居心地がいいのは、全ての人に役割が割り振られているからであって
- 15:44 それぞれの立場ごとに、期待される役割と、その人にできることの権限が決まっているから、ある状況にあって、相手がどういう振る舞いに出るのか、ほぼ必然として決定される。
- 15:45 役割と役職とは、ずいぶん違うというか、役職というのは役割の束であって、役職を理解することは、必ずしも役割を理解していることにつながらない
- 15:46 体育会がちがちのところだと、役職と役割がほぼイコールで、実社会だとこのへんが大きく解離する。解離を理解している人は「使える」し、そうでない人は「むかつく」とか「使えない」という判定を、しばしば受ける。
- 15:47 結果を出しているのに、それが必ずしも評価につながらないことというのは、たぶん大きな会社とか、あるいは成果それ自体があんまり意味のない組織なんかだと、たぶんよくある。このときじゃあ、何が評価につながっているのかといえば、それは役割の理解度なんだと思う
- 15:48 「学生」は「生徒」の集団であって、「生徒」には「名前」があるし、状況が授業中なのか、放課後なのかで振る舞いは変わる。誰と話しているのか、どういう状況なのか、役割はさらに細かくなる。役割の次元みたいなものを、どこまで低いところまで理解できているのかどうかが、「使える」につながる
- 15:49 居心地の良さというのが制約で生み出されるんだと思う。適切な制約が課された場所は、そこにいる全ての人に明示的な役割が割り振られる。がちがちに制約のかかった場所には「使えない人」が原理的に発生しない
- 15:50 明示的な制約は、それ自体ストレスになる。制約のない空間には、ストレスにつながる自由ばかりが増えていく。制約をきちんと作り込んだ場所は、恐らくは自由に振る舞っているのに、ストレスが低く感じる
- 15:52 自分の考えかたで、ありのままに振る舞った結果が、相手がその役割に期待した台本どおりであったとき、お互いの居心地の良さが最大になる。
- 15:53 明示的なルールで相手を縛ると、縛った側のストレスは恐らくゼロになる代わり、縛られる側は苦痛に感じる。一切のルールなしでやると、今度はサービスを受ける側が、期待のギャップを吸収しないといけない。いずれにしても満足度が下がる
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