Mon, May 24

  • 12:52  その瞬間の興味に添った文章を、断片ごとに探して読んでいくのと、作者の言いたいことをとりあえずひとかたまり、そのまんま摂取するのと、同じ文字を読むのでも、頭の体験はずいぶん違う。前者はネット、後者は本とか教科書
  • 12:53  で、誰かの考えかたをある程度の量、そのまんま呑み込む体験というのは、やっぱりないよりあったほうがよくて、考えかたみたいな物を伝えるためには、やっぱり本1冊ぐらいの量があって、ようやく1パターン伝わる印象
  • 12:54  学生だった20年近く昔、そもそもPC持ってる奴は学年で1人とかだったし、ネットなんてなかった。田舎だとテレビもろくにうつらないし、ゲーム持ってなかったから、残った娯楽はといえばひたすら本だった。6年間それしかなかったから、ああいうのの貯金を今でも食いつぶしてる
  • 12:56  未だともうPC持ってるし、常時接続は安価に使えるし、今学生時代を送ったとして、文字を読むのはほとんどネット経由になるんだと思う。摂取する情報量はといえば、昔みたいに古本ばっかり山のように買うのといい勝負だろうけれど、かたまり感みたいなのが変わってくる
  • 12:57  個人的にはやっぱり、ある程度のかたまりになった文章を、それなりに大量に読む体験というのは、どこかであってもいいんじゃないかと思うんだけれど、こういうのはもう懐古趣味なんだろうか。。それこそSF1000 冊読むと、世の中にはいろんな考えかたがあるもんだなんて、発想が広がる気はする
  • 13:01  でもこう、本が製品として世の中に出るまでにかかった作業というのを実際に体験して、これだけ人手のかかった物と、その場の流れというか、思いつきで次から次へと文章の断片が流れていくネットと、文字数あたりのマンパワーは、やっぱり本のほうが多い
  • 13:03  テキストを読む、という作業が、単なる情報を摂取すると言うよりも、それを生み出すために必要な人月を摂取するための作業なんだとすると、ネットよりは本のほうが、やっぱり効率がいいような気はする。blog を本にまとめるのだって、まじめにやるとすごい手間になりそうだし
  • 13:05  編集がきちんとされた文章と、その場の勢いでばっと書いた文章と、上手に作られた打製石器とそのへんの石ころを比べるようなところがあって、「同じ石だから、価値は一緒だよ」とはなかなかならない
  • 13:06  「この本にこう書いてある」はある程度役に立つけれど、「昨日2ちゃんねるで○○さん(ハンドル)がこう言ってた」は、あんまり役に立たない。そういうもんだと思う
  • 13:28  新入社員のスパルタ研修の、ある意味完成形がアメリ海兵隊のブートキャンプなんだろうけれど、スパルタ研修やる会社は、じゃあカリキュラム作るのに、海兵隊みたいにお金かけてるものなんだろうか?
  • 13:31  スパルタ式の研修というのは、恐らくは「それを通じてこうなってほしい」という、相当に具体的なイメージが研修を行う側にないと、欠点が利点を上回ってしまう気がする。誰かを一定の規格に押し込む役に立つけれど、「何でもいいから使える奴になってくれ」みたいな漠然としたイメージだと、意味がない
  • 13:32  人を雇う側が、それこそロボットの設計図みたいな、新人に対する詳細な要件定義を文章化して持っているのなら、入ってきた人をそれに当てはめるために、スパルタ式のやりかたを選択することに、一定の正義はあるのだろうけれど、そういうの示せないなら、それは単なる虐待でしかないと思う

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