Sat, Jul 31

  • 13:00  手段を問わず、事実を引きずり出して報道するやりかたというのが、結局簡単なのかもしれない。「分析だけでも面白い記事は作れる」ということを、立花隆が大昔に証明して見せたけれど、ああいうのやるのにかかったお金とかマンパワーは、とんでもなかったみたいだし
  • 13:01  情報は、それ自体に乗っかる価値と、分析に乗っかる価値とがあって、本来はむしろ、分析にこそ価値が乗せられてしかるべきなんだろうけれど、そういうの少ない。読者も逆に、緻密な分析とか、そもそも望んでないのかもだし
  • 13:02  たとえば自分たちが、患者さんとのしゃべり方とか、問診のやりかたを教わったことがないのと同じように、マスコミ記者の人たちも、あるいは取材のしかたとか、具体的に教わる機会がないんじゃないのかな、とも思う
  • 13:03  それはたとえば、白衣を着たら、挨拶は何からはじめるべきなのかとか、誰かが亡くなったとして、その時にどういう顔をして部屋に入るのがいいのかとか。当たり前すぎて、逆に教わる機会がなくて、その時になってみないと、それが必要とも思わなかったような何か
  • 13:04  結局じゃあ、そういう状況になって、模範例みたいなのをどこから引っ張るかといえば、ブラックジャックやらドクターKやらの漫画だったり、あるいは当時なら「ふり返れば奴ガイル」だの「ええにょぼ」だの、学生の頃に見た病院が舞台のドラマだったり
  • 13:06  取材記者といえば、今でも夜討ち朝駆け、ドアをガンガン叩いて近所に聞き込みをして回って、ああいうステレオタイプがいつまでも続くのは、逆に言うと「マスゴミ」なんて叩かれるあのやりかた以外、世の中にはそもそも模範になる振る舞いが紹介されていないような気もする
  • 14:41  @zonoise 分析屋さんというのは、たぶんお金かかる割には、出来上がるのは記事1本だから、今は難しそうですよね。。  [in reply to zonoise]
  • 14:42  @motoyuki 結局「ついた先輩」というのが唯一の情報源であって、方向性とか、検証とか、やる機会なさそうですよね。。  [in reply to motoyuki]

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