Mon, Aug 16

  • 00:17  テキストをひたすらまとめて、参考文献リストと索引つくって、ラベルを参照をあちこちに巡らせて、そういうのがようやく一段落した。頭抱えて、作業を途中でぶん投げて、大きなディスプレイ導入したら一気に進んだ。インフラってものすごく大事
  • 00:18  今までは結局、ノートPCについてきた15インチ画面1面で作業をしてきたんだけれど、LaTeX の編集と、取り込んだPDF教科書と、抜き書き和訳したテキストファイルと、それぞれ参照しながら作業すると、やっぱり足りない。画面を切り替えるときに、英語が日本語になる瞬間があってあれ無理
  • 00:19  もともと使っていたノートPCの横に、今は23インチの液晶をつないでいるんだけれど、これだと3画面を横に並べて、普通に読める。こういうのは程度の問題じゃなくて、大きくして初めて見得るものって結構ある気がする。脳の限界超えられるというか。英語ネイティブなら苦労ないんだろうけれど
  • 00:20  過去記事をとにかく一つのテキストにぐちゃぐちゃに押し込んで、段落ごとに見出しを付ける作業までが、とにかくつらい。何一つ面白くない上に、出来上がっていくかんじが、全然しないから
  • 00:21  なんとか見出しを付け終えると、30万字ぐらいある文字が、どうにか段落ごとに抽象化されるから、後はブロック遊びの容量で、見出しを拾いながら、流れみたいなの作れる。ある程度固まって、ようやくこういう作業が苦痛じゃなくなる。
  • 00:22  前半というか、全行程の7割ぐらいを占める、こういう楽しくない作業が、今回は途中からだったけれど、大きな画面で同じことすると、たぶん作業時間が短くなる。形ができてからは、後は1画面でいけるから、逆にいうと小さな画面でもそんなに変わらない気もする
  • 00:24  今は地元の安売り電気屋さんで買っても、23インチ液晶が2万円だった。いいやつ買わなくてもそんなに目は疲れなかった。もっと早くこうしとくんだった。紹介状書くのとか、すごく楽
  • 00:25  @jinmensou サブディスプレイが23インチのワイド液晶なので、そっちに2つのウィンドウを出して、ノートPCを全画面でもう1枚使っているのです  [in reply to jinmensou]
  • 00:28  一番左側にエレコム書見台を置いて、正面に大きな液晶、右手にノートPCをスタンドで浮かせると、これで机の幅がいっぱいになる。視野からいってもそんなものみたい。
  • 03:00  @TakahiPo こういうのがあると、モニタ一体型のPCは、よさげですよね。。  [in reply to TakahiPo]
  • 12:38  最近ずっと、コミュニケーションに関する昔の文章をまとめて「blog 本」みたいなのを作っているんだけれど、医療過誤訴訟の対策本からいろんな想定問答集を訳していて、こういうのは案外、刑事訴訟の尋問に似てるのかもと思った
  • 12:39  米国の裁判だと、デポジションといって、裁判の前に、原告側弁護士と、被告になった人との面談があるらしい。裁判所からの書記官が同席して、全部録音して、証拠になる。ここでの応酬というのがマニュアル本になっていて、呼んでて胃が痛くなりそうな、ねちっこいテクニックが続く
  • 12:40  結局この手の本を4冊ばかり目を通したけれど、「罠」として紹介されているもののパターンはどの本も一緒だったから、こういうのはたぶん、技術として、むこうだと確立されているんだと思う。日本の裁判だと、文章中心だからなのか、このへんの話題が、全然出てこない
  • 12:41  全部記録が残っていて、被告と原告と、向かいあって尋問される情景が、じゃあ国内でどこにあるかといえば、やっぱりそれは警察の中で、机一つに向かいあって、カツ丼注文したりするあの情景が、デポジションにのイメージに、近いといえばまあ近いんだと思う
  • 12:42  で、日本の警察の人たちに、じゃあああいうねちっこい、相手に罠を仕掛けるような弁論術がどの程度あるのかといえば、それがよく分からない。民事の裁判だって、イメージがよく分からないのに、刑事とかもう無理。
  • 12:44  過去に「捜査の手引き」だったか、交通事故の検証に、ついでに警察の人が病院に寄ったときに、そんなマニュアル本を持っていたのだけれど、それが印刷されたのは、昭和50年代と書かれていた。まさか改訂していないということはないと思うんだけれど
  • 12:45  ああいうのは基本的に、追求する側も、される側も、自分が想定した「物語」をつくって、それに合致した単語を拾い上げていくんだという。これは日本の刑事訴訟の本にも同じことが書いてあった。「面白い物語」を作ることが、裁判官の心証を傾けるのだと。内面の描写が大切なのだと
  • 12:46  で、物語というものがあって、内面の描写が大切で、新聞報道はしばしば、痴漢の人とかを、「むらむら来ていた」から手を出したとか報道する。あれが警察の発表なんだろうけれど、じゃあ今の日本人で、「むらむら来た」を、交互として普段使う人がいるかといえば、ちょっとありえないと思う
  • 12:47  刑事事件の報道の、内面描写みたいなのは、そういうバイアスをかけて読むと、恐ろしく古い。現代人の思考じゃなくて、サザエさんの一桁巻台の人たちみたいな言葉。「捜査の手引き」が昭和50年代だったのと合わせると、ちょっと怖い。
  • 12:49  確かにそれで有罪がガンガン確定しているんだから、方法論を変える必要はないのかもだけれど、それはどこかこう、「それで上手くいっているんだから」と、電気メスの現代に磨製石器で手術に挑むようなところがあって、腕力が十二分に強ければ「それでいい」のかもだけれど、やられるほうはきつい
  • 12:52  真っ黒な事例を、鼻歌交じりで漂白できる米国弁護士のやりかたは、あれはあれでうへぇって思うけれど、少なくとも海のむこうでは、それが技術になって、改良されている。このへん国内がどうなのか、あんまり聞こえてこない気がする
  • 12:55  「全部見せること」というのは、確かにある意味、技術を進める側面はあるんだろうと思う。最近まで、民事の裁判は、ほとんど全部が書類仕事だった、とか日本の本には書いてあったし。医療集中部ができて、初めて面談しながらの会話に意味が出てきたとか
  • 22:24  日差しと雷と土砂降りとで、外がなんだか熱帯雨林みたいになってる

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