Sat, Aug 28
- 16:43 「自制」と「傍観」との差というのがよく分からない。ある状況を暴力的に解決できるのに、あえてそうしないことが自制だとして、それを外からみて、自制してるのと、傍観してるのと、何で区別すればいいのか
- 16:45 自分の教室にシュワルツェネッガーみたいな筋骨隆々とした大男がいたとして、そいつがじっと座っているだけで、果たしてその場は平和になるのか。一度ぐらい「切れて」見せることで、誰かを半殺しにして見せないと、抑止力というのは働かないのか
- 16:47 「心理的惰性を排除しようよ」という考えかたが好きなんだけれど、理念としては共感が得られても、これを実際にやると、現場がものすごく機械的になってしまう。個人的にはそうあるべきだと信じているんだけれど、「人間性」みたいなのに変な価値を感じる人が多くて、難しい
- 16:50 @ikutana 「抑止力」というのは実際問題、運用が極めて難しいものみたいですよね。。 [in reply to ikutana]
- 16:53 「抑止力というのは、恫喝とは違う。自制という状態は、単なる威力のひけらかしでなく、はっきりとした目的の下に、力を持った人たちが団結することで、はじめて達成される」というのがパウエル国務長官の言葉。湾岸戦争前夜ぐらい。
- 16:54 で、じゃあたとえば「抑止力は傍観とも違う。自制という状態は、単なる停止ではなく…」と文章を対比させながら続けるとして、「……」にはどんな文章を入れればいいのか。
- 16:55 湾岸戦争のときには、サウジアラビアに米軍が展開することが、「抑止力」だった。フィリピン動乱のときには、空軍基地の上空に米軍機が飛んで、その状態が「抑止」とされた。じゃあたとえば、このときに沖合に空母浮かべとくだけだったら、抑止にならなかったのか
- 16:56 それこそ「米軍が米国にいる」という状態だけでも、抑止になっていると言えばなっているし、ライフルを構えた兵士が町を歩いているような状況になっても、やっぱりテロは起きている。中間状態というのは、定義がなんだか難しい
- 17:01 @DeLa_MuNeN そういうのがたとえば、とりあえず今の為替相場が日本が「やられっぱなしである」というのが真であったとして、日本はそれをひっくり返せるだけの力があって、政治家も「状況を憂慮している」というメッセージを出して、状況が何も変わっていない [in reply to DeLa_MuNeN]
- 17:02 @DeLa_MuNeN メッセージの出しかたが、じゃああれは弱いのか、それともやっぱり「人間力」みたいなのが大事なのか、それがそうだとして、じゃあどうやったらそれを文字にできるかなとか、考えてしまうのです。 [in reply to DeLa_MuNeN]
- 17:03 @m_um_u 「これが抑止」というのは、結局のところ、状況ごとに「えい」と決めないといけないのですかね。。勘みたいな [in reply to m_um_u]
- 17:04 @ikutana 「正しいメッセージはこうあるべき」みたいなのが、アウトラインだけでもあったらなと [in reply to ikutana]
- 17:05 じゃあ山口組の総本部がある町では、子供はみんな健康で仲良し、いじめなんて無い、なんてことは、やっぱりたぶんなさそうなわけで。あのあたりはでも高級住宅地だから、どうなんだろう
- 17:09 「傍観」という言葉は、どこかこう、状況を追認する響きがある。いじめ問題の文章では、傍観することは、いじめに荷担するのと同じようなものだとか。意志の不在に基づいた停止が傍観で、意志に基づいた停止が自制なのか
- 17:10 @ikutana 湾岸戦争前夜のころは、米国議員がそれをやりまくったのだとか。。 [in reply to ikutana]
- 17:17 「極めて注意深く見守っていきたい」みたいな空虚な言葉も、本気度の高そうな政治家がつぶやけば、あるいは
- 17:40 @asma 「関わり続けていくこと」というのは、疲れるから、やりたがる人少ないのでしょうね。。。。 [in reply to asma]
- 18:26 抑止力は傍観とも違う。自制という状態は、明確な意志に基づいた、停止という決定であって、傍観は、意志の不在がもたらした現状の追認に過ぎない。
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