Thu, Sep 16

  • 15:28  「客観的な事実」と、「病院側の見解」とが、しばしばごっちゃになって伝えられて、そのことが恐らく、「病院側は事実を隠している」だとか、あるいは「真実が知りたいから訴訟」という動きにつながっていくのだと思う
  • 15:29  「何がおきたのか」と、「それをどう思ったのか」とは、分離して、しかもセットにして、伝えられないといけない。同じ「一緒に伝える」やりかたでも、目玉焼きとスクランブルエッグとでは、意味あいが全く異なってくる
  • 15:54  @yuya_bonten 受け手になるべく多くの選択枝を残すようなやりかたが、結局正解なんじゃないかと  [in reply to yuya_bonten]
  • 18:21  http://bit.ly/9X00on きれいなデザインの真空管アンプ。アンプの記事って、周波数特性と対応出力インピーダンス、トランスの重さ、筐体の厚さや堅固さにまず目が行くんだけれど、そういうのがない記事は新鮮
  • 23:43  http://bit.ly/atJnJb 記事を書いた。通過儀礼の効果
  • 23:45  「事実と判断とを峻別せよ」という教えは、トラブル回避のためにも役に立つんだと思う。恐らくはしばしば、「実際に起きたこと」と、「主治医の側からそう見えたこと」とが区別されずに語られた結果として、「病院は真実を隠している」というトラブルが起きている
  • 23:50  このへんは下手すると、見えたものをそのまま事実として語る同業者は、特にその人が苦境に陥っていると、結構ある気がする。向こう側からはそれが見えるんだけれど、こっちの側からそれが分からないから、不快に対して丁寧さで応えようとして、結果として泥沼化する
  • 23:56  恐らくはこう、説明を聞いた相手の側か、その人独自の見解を組み立てられるだけの事実を、時系列に沿って提供することで、初めてこちら側の見解を提示する準備が整うのだと思う。この手続きを端折ろうとすると、不信につながる
  • 23:57  こういうのは回りくどいし、あるいは丁寧な説明とか、誠意ある説明、みたいなのとは少し遠いけれど、恐らくはこっちのほうが正しい気がする。こういう説明のほうが、少なくとも説明する側が謝る機会が増やせる。これはいいことだと思う。

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