Sun, Sep 26

  • 13:35  http://bit.ly/cifMcS ロボットコンテストで中国が圧勝したという話、いろいろ深い
  • 13:37  もうずいぶん大昔、マイクロマウスの大会が、まだようやく一般に周知された頃ぐらいに、よちよち歩きの大会に大学の工学部が出場して、余裕勝ちしちゃったらしくて、父親がそのことをずいぶん怒っていた
  • 13:38  いい材料を使うとか、下手すると軽量高出力のモーターを一から作るとか、当時の勝ちかたというのは、言わば正攻法で、それやると、お金も人でも無限にかけられる大学は、勝って当然なんだと
  • 13:39  中国の今回の勝ちかた、ルールの裏を読むような、ああいう勝ちかたというものもまた、バックヤードでは大量の試行錯誤が必要で、その研究室にはロボットの屍の山があった、というのがなんか示唆的
  • 13:40  このへんなんとなく、「工夫はただなんだからお前ら工夫しろ。あ、当然楽しい仕事は残業代無しな」なんて上司が、工夫を命じて、屍だけ作って、「現場のせいです。日本人は覇気がなくなった」なんてため息突いてみせる絵が浮かんだ
  • 13:41  工夫で勝ちに行って、ちゃんと工夫にかかるお金を計上できるところは、いずれにしても強い。
  • 14:11  @K2nd ありがち。。  [in reply to K2nd]
  • 14:12  スパゲッティともんじゃ焼きの違いなどを考える。ぐちゃぐちゃのスパゲッティをまっすぐ整理したところで、きれいだけれど、料理は料理。半分消化されたもんじゃ焼きから食べられそうなところだけ取り出して焼いても、それは「焼いた○ロ」であって、料理じゃない
  • 14:31  見解を作る能力というものがある。あるいはある状況に対して、妥当な見解を示せる人が、専門家であるとも言える
  • 14:32  厚生労働省のえん罪事例なんかは、つかまった側の人は当初、取材に対して「知りません」としか答えられなかった。やってないんだし、じゃあ誰か真犯人がいて、それを調べる能力も、普通の人には備わってない。見解が作れないから、プロを頼まないといけない
  • 14:33  自分たちが、病院の中で何かをするときには、一応、医学的に妥当な見解を作って、それに基づいて何かの判断を下す。判断を下して、予期した結果と違っていたら、見解を修正して、また別の判断を下す
  • 14:33  自分たちの側に、事実に対する何らかの見解が作れる限り、判断はできるし、見解の衝突があったとして、単なる否定でなく、見解の相違についての議論ができる。
  • 14:34  一方で恐らく、「見解を作れない専門家」というのも、けっこう多くいるんじゃないかと思う。なんとなく「体に良さそうな」ことだけをして、あるいは目に見えるところ、分かるところだけに手を出して、それで終了宣言をする人たち
  • 14:35  見解を持っていないと、たとえば「治らないじゃないか」という言葉を受けて、「やれるだけのことはやった」とか、「それは私の仕事じゃない」とか、否定しか返せない。見解の不在が、結局トラブルを生む。
  • 14:36  自分が果たして、どんな見解に基づいて、この判断を下して、この行動を行っているのか、このへんは、見解というものをリアルタイムに生成していかないといけないんだろうけれど、自分自身それができているかといえば、分からない
  • 15:22  自分の見解が示せない人が、それができる人をまねて無理矢理決断を下すと、「えい」と何かを決めて、それが外れたらその先ノープランになって、呆然とすることになる。呆然として、「とにかく転院」になる主治医が時々いる
  • 21:43  アンビューバッグのお尻部分、空気を吸うところにアダプターを付けて、そこから気管支拡張薬を噴霧できるような仕組みを作ってくれると、どうしようもない気管支喘息を乗り切るのに、少しだけ違わないだろうか。。

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