Mon, Nov 29
- 13:30 メモ。運というものを評価軸から排除してしまうと、結果がどうであれ、プロセスに努力が認められれば、それが成功と認定されてしまう。そのルールに最適化すると、結果は二の次、プロセスをいかに正しく見せるかが、その人個人の成功を左右するようになる
- 13:31 結果はさておき、努力することが大切という価値軸は受けがいいけれど、やはり歪んでいるような気がする。「運の悪さも個人の責任」と断言したほうが、むしろ健全であるような
- 13:40 @ERnanchan 我々の口からそれを言うと、もう患者医師関係なんて吹っ飛びますよね。。 [in reply to ERnanchan]
- 17:57 明らかにうちの施設の能力を超えていそうな患者さんを電話依頼されて、「そこまで重篤だとうちでは厳しいですから、もう少し大きな施設に」なんて返事をすると、「もしも軽症だったらどうするんですか!」とか怒鳴られて、結局うちに来る。こういうのすごく嫌
- 17:58 見立てに反して軽症だったら、「よかったよかった」で万事丸く収まるのに、プライド傷つくのか、負い目があるのか、その人の脳内には「いい病院」と「どうでもいい病院」とがあって、とにかく難しいのは「どうでもいい」ほうに誘導しようとする
- 18:00 「いつも○○病院が取ってくれるので助かります」なんて、飲み会の席でこそいい顔するのに、いざ頭に責任がちらつくと、地金が露わになるというか。その人の脳内序列が見えるときというのは、やっぱりいい気分じゃない。「どうでもいい」側認定されてるだけに、余計に
- 18:06 @lucifer_af 「どうする」のバックグラウンドって、「俺が恥かくだろうが、クソが」って脳内再生されるのです。。 [in reply to lucifer_af]
- 18:58 丸山弁護士が仙石官房長官を提訴した記事、両方とも議員で弁護士で、あえて法廷という手段を使うのが不思議。自分たちだって調子悪かったら別の病院を受診するから、そんなもんなんだろうか。。
- 19:02 @kina_ 弁護士の専門分野は「話しあい」なんだから、バックグラウンドでお互いにやり合えばいいんじゃないかな、と思ったのです。。 [in reply to kina_]
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