Wed, Feb 23
- 12:43 「消化しなくてはならない情報は莫大で、必要な時間は限られている」と考える人と、「消化しなくてはならない時間は莫大で、手に入る情報量は限られている」と考える人とは、一つの社会で衝突することなく共存している
- 12:45 電子化の流れは、情報は莫大であると考える人に対してはより多くの情報を、時間こそが莫大であると考える人に対しては、より収斂した情報を、それぞれもたらした
- 12:46 時間がないと考える人にとっては、情報は無限に多様化していくように見える。消化可能な範囲は限られているから、人は多様化する。時間のある人が手を伸ばすような情報は、淘汰の結果として、むしろ特定のコンテンツに収斂する。誰もが似たようなことを考えるようになる
- 12:48 多数決ルールで集計すると、団結した少数の意見が大勢を決定する。多様な意見を持つ人たちがどれだけたくさん存在しても、それが全体を代表する何かに反映されることはなくなる
- 12:49 結果としてたぶん、メディアにしても政治にしても、「消化しなくてはならない時間は莫大で、手に入る情報量は限られている」と考えている人たちに向けて、リソースの大半を割り振る必要が発生する。それがどれだけ歪んでいても、小さなパイに誰もが殺到していく
- 14:36 @loop_ http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/1031 内容見本も読めるようにしてあります。。 [in reply to loop_]
- 14:42 @loop_ お買い上げありがとうございます! [in reply to loop_]
- 14:43 たんぶらうざテキスト (だと思う) で流れてきた、「朝その日の夜に食べたいメニューを希望しておくと、準備する側の負担が減る」、という指摘はいろんなところに使えそうな気がする。仕事の伝達方面で
- 14:44 患者さんに関するあれこれを、実際に手を出して行うのはほとんどの場合看護師さんで、手術みたいな場を除外すれば、医師は自ら手を下すというか、オーダーを通じて、誰かに何かをお願いする場面のほうが多い
- 14:45 そこで現場をあまりにも「きっちり」と縛りすぎてしまうと、看護師さんの振る舞いに許される公差がほとんどゼロになる。これをやると、わずかなぶれは全て「ミス」になる。たいていはろくな結果を生まない
- 14:46 @loop_ おごれるぐらいに、売れたらいいな、と。。 [in reply to loop_]
- 14:46 一方でこう、「とにかくよくして下さい。手段は問わない」なんてオーダーは、オーダーどころか診療になっていない。落としどころは極端と極端の中間にある
- 14:48 夕食で食べたいものの話題だと、「おいしいもの」だの「何でもいいよ」だのは、オーダーにならない。材料の指定オンリーも、厳しいんだと。メニュー自体を指定するといいらしい。山岡四郎クラスの厳しいオーダーをやると、たぶん離婚される
- 14:49 オーダーを受ける側がある程度気分よく働ける落としどころは、けっこうストリクトな側であって、「誰がやっても、結果がある公差の範囲に収まる」レベルで、もっとも緩い縛りというのが正解なんだと思う
- 14:50 「普通にやってくれればいいのに!」という叱りかたは、「おいしいものが食べられればそれでよかったのに!」なんて夕食にケチ付ける亭主関白みたいなもので、やっちゃいけないんだと思う。家庭というものを「経営」して、果たしていいものなのかどうかはともかく
- 14:51 @aod_works 夫婦関係みたいに、建前対等なときに、じゃあどこまで踏み込んだオーダーを出すのが正しいのか、考えどころかもですね。。 [in reply to aod_works]
- 14:53 @merry そのあたりを、ネットワーク経由でクックパッドのリンクをメール添付したら、たぶん夫婦関係破綻しますよね。。 [in reply to merry]
- 15:25 http://response.jp/article/2011/02/23/152240.html ランボルギーニの新車、もうミニ四駆かラジコンのシャーシにしか見えない。。
- 15:40 結局のところ、経営というものは、望ましい結果にたどり着くための道筋を、一連の制約として、可能な限り少ない言葉で記述することなのだと思う。
- 17:33 たとえば犬は手抜きをする。「こっちを見て」とか、「お座り」や「お手」みたいなのにしたところで、なるべく労力を少なくするよう、その都度やりかたを変えてくる。こっちの指示がパターン化すると、人の手のひらを前足で叩いて、ご褒美を要求したりする
- 17:34 こういうのは、犬を一種の家族として飼っている分には、むしろ手抜きを覚えられるのは楽しいんだけれど、ダンスをさせたり、警察犬みたいな仕事をさせたりするときには、こういう努力が徒になる。誉めてしつける訓練士の人と、ショードッグを訓練する人と、思想みたいなのが違う気がする
- 17:36 犬のフリスビー世界チャンピオンだったか、とにかく競技で有名な人が以前テレビに出ていて、ボランティアで犬のしつけ教室を開いているところが放映されていた。どちらかというと、叩いて教える思想に基づいているみたいで、たしかに「しつけられた」けれど、あれでいいのかなとも思えた
- 17:37 自主性は大事といいながら、子供が手を抜くと、怒る親御さんはきっと多い。じゃあ自分の子供が、いっそロボットみたいに正確な動作しかできない人間になったらどうかと言えば、たぶん誰もが「それは嫌」と答える気がする。最近はそうでもないのかもだけれど
- 22:39 こう、情報の深さと大きさとの比率というものが、以前はせいぜいピラミッドみたいな三角錐だったものが、今は東京タワーやエッフェル塔みたいな、極端に尖りつつ、下に行くといきなり莫大な大きさになるような形に変化している気がする
- 22:40 漠然とちょっと前までは、少し深くもぐると、それなりの大きさの情報にぶち当たることができて、少しもぐって知ったかぶった言葉をつぶやけば、それほど外れることなく、にわか専門家を気取ることができた。
- 22:41 いまはこう、よっぽど深くもぐっても、一面的な、「だから○○は駄目なんだ」とか、「この事例の黒幕は○○」みたいな目線ばかりが続いて、他の見かたが見えにくい。で、ある閾値を超えると、いきなり無数の目線が視野に入って、どれに乗っかればいいのか分からない
- 22:43 そもそもが「様々なにわか専門家」というもの自体が虚構だったのか、本当の専門家が口を開くようになって、そういう人がいなくなったのか、一つの極端に収斂した多数意見の下にもぐると、いきなり無数の意見にぶち当たって、どれももっともらしいから、どれに乗っかればいいのか分からない
- 22:44 どれが正しいのか分からないからこそ、「それっぽい」何かに収斂するのだとは思う。「菅直人はどう見たって無能だから、とりあえず民主党ぶっ叩いておけば、おおむね間違いないだろう」みたいな立ち位置。
- 22:46 きのこの山とたけのこの里論争じゃないけれど、異なった立場の人たちが、いくつかの陣営に分かれて議論を戦わせるのとか、むしろ減ったんじゃないかと思う。ある意見に収斂した多数と、「そうじゃないよ」といろんな角度からつぶやく、無数だけれどごく小さい言葉と
- 22:47 こういうのもどこか、間違った側に乗っかるとログが残って、ずっとそれが追跡されるから間違えられない、という状況が、痩せたピラミッドをもっと細らせているんじゃないかと思う。「いろんな治療手段」というのが、うちの業界からなくなったような
- 22:50 @YT4179 「証拠を出せよ」というのが、一つの壁になってるんだと思うのです。。 [in reply to YT4179]
- 22:50 @sento8315 「みんなこう言っているよ」というのは、安全地帯だけれど、つまんないですよね。 [in reply to sento8315]
- 22:52 「お前のその意見が正しいなら統計と数字出して証明して見せろよ」というのは、ネットで相手の意見を潰すときの一つのやりかたではあるけれど、強力に過ぎるというか、反論コストが高騰しすぎるきらいがある
- 22:53 医学論文なんかで、これはちょっと呑めないんじゃなかろうか、という論文が出されても、それにかかったお金が莫大だと、反論しようにも、もっとお金がかかって、反論すると製薬メーカーの損になると、スポンサーが見つからない、なんて事態にちょっと似てる
- 22:54 お金というか、手間のかかった意見は、そこにつぎ込まれたコストが一定の閾値を超えてしまうと、もう反論コストが高すぎて、議論を経ずに真実として通用してしまう。こういうのはこれから、広告の人たちとか仕掛けてくるんだと思う。お金はかかるけれど、見返りは確実
- 22:56 ある意見を「統計的に証明されました」と、ちょっとお金をかけた調査に基づいた結果として発信して、それに疑問を挟む人たちに対して、「数字出せよ。できないんなら口つぐめよ」なんて、片っ端から刺しに行くと、もうそれが真実になる。真実をコントロールしたい人にとっては安い買い物だと思う
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