Mon, Mar 28
- 17:39 3月30日(水)も本日同様、計画停電は実施いたしません。 http://bit.ly/dO6Gn1 すごく助かる。CT回せる。
- 17:42 今はもう非常時なんだから、政府のトップと保安院のトップ、東電のトップの3人は、トイレ以外は寝る場所も食事も全部一緒、というルールにしてもらえないだろうか。。言った言わないの問題は、物理的に解決するしかないような
- 20:39 診療をしていて、「このままでは病気に追いつけない」という、独特のすごくいやな予感に襲われることがある。患者さんの治療はそこそこにうまくいっているけれど、ベストと言うほどの反応は得られなくて、やることはやっているはずなのに、何か足りない、「追いつけない」という感覚
- 20:41 このまま状況を放置すると、ずっと「ちょっと反応が少ない」ままに状況が進んで、気がつくと「ちょっと」すらなくなって、事態が悪化していく。気がつくと数日間という期間が、根本への対処を怠ったままに消費されていて、愕然とする。こういうときに限って、十分な説明が行っていなかったりもする
- 20:42 目の前が真っ暗になるような経験を何回か繰り返して、そのうちこう、「このままだと追いつけない」ような予感が身についた。これは何かと言えば、「戦力の逐次投入」という、古来ずっと繰り返されてきた失敗パターンを当事者として体験している状況そのものなんだと思う
- 20:43 戦力の逐次投入をやらかしてしまう状況というのは、明示的に戦力をけちってやろうとか、あえて少ない戦力でかってやろうとか、そんなよこしまな動機が根っこにあるケースはむしろ少ない。あとから無能と断じられるであろう指揮官は、ただただ問題を解決したいとだけ願っていることのほうが多い
- 20:44 問題を解決するために、どれだけの戦力が結局必要になるのか、それはしばしば読めない。当事者として問題に関わっている最中には、なおさら。反応の有無だけ見ると、足りない戦力であっても、反応自体は得られる。予期より少ないというだけで
- 20:45 このときに、「ある」ことに安心を見いだすと、逐次投入の泥沼パターンに足を突っ込む。「足りない」ことに不安を抱かないといけないのだろうけれど、予期するためには経験が必要で、当事者としての経験は、当事者にならないとたぶん身につかない
- 20:47 問題が大きくなるほどに、予期は難しくなる。反応が予期したほどに返らないとして、じゃあどれぐらいの戦力を投入すれば足りるのか、それもまた、反応を見ないと分からない。たいていはもう、その時点で数日が経過しているから、ここで「様子を見る」ともう遅すぎて、すぐに動かないといけない
- 20:49 昨日検査したばかりでも、バカと言われようがなんだろうが、今日出せる検査を全部出す。みんながいなくなる前に、心当たりのある人に片っ端から相談して、頭下げて、とにかく病気に「追いつく」ために、打てる手を全部打つ。無能の振る舞いの典型だけれど、何回か災厄を回避できた
- 20:50 @lucifer_af 現場にできることは「止まる」か「進む」かだけで、そこで「考える」ことは、「止まる」と同義のことが多いような気がするのです。考えた人は、たぶんもう状況に追いつけないんだろうなと [in reply to lucifer_af]
- 20:52 @niku_name 自分たちの業界で扱う問題は、どれだけ大きくても「人一人」の大きさを超えることがないから、まだしも何とかなるのです。。今回の災厄は、何よりもまず、問題の大きさが極端に大きい、というのが対処を恐ろしく難しくしていますよね。 [in reply to niku_name]
- 20:54 「外科が3人集まって、一人が手術を決断したら、そいつの意見が正しい」という格言がある。未知状況においては、一番重たい判断をした人の意見が、たいてい正しい。少なくとも安全なことのほうが多い
- 20:55 3人投入せよという意見と、30人投入せよという意見と、3000人投入せよという意見があったなら、やっぱり3000人が正しいのだと思う。問題が大きな時ほど、意見が割れるときほど、大きな数字を述べた人にリーダーをゆだねないと破綻する
- 20:57 物量って使いこなすのに技量がいる。ランボーやコマンドークラスの超兵士3人を使うのと、普通の兵士3万人を使うのと、得られる戦力がだいたい同じとしたら、3万人を扱える指揮官のほうが優秀であると言える
- 21:00 柔よく剛を制す幻想というか、最小の物量で最大の効果を期待する美学みたいなのが、判断をしばしばゆがめてしまう。薬の量なんかも。可能な限りたくさん処方するのが正解である、そういうデータがある状況であっても、最小の量で対処してしまいたい、というバイアスを自覚する
- 21:02 @niku_name 何となくこう、東電側が想定していた撤退ラインに、廃炉はなかったような気がしますよね。。 [in reply to niku_name]
- 21:04 退却戦やるときには、最深撤退ラインみたいなのをあらかじめ想定しておかないといけない。状況が悪くなったときに「ここまで退く」というラインがあって、そこを地盤に作戦が作られる。最深撤退線は兵站要素が決定するものでもあって、「退かない」戦いをやるなら、それだけの物量がいる
- 21:06 お金を払う気はない、人を入れる予定もない、でも退くな、というときに作られるのが奇襲の作戦だけれど、これはそもそもリスクがある。歴史的に、奇襲の成功は華々しく取り上げられて、失敗した奇襲は単なる無謀だから忘れられる。そもそも奇襲に学んじゃいけないんだと思う
- 21:07 @zaw なんというか、状況に対して一番しっかりと腹をくくった人の決断が、結局正しいんだよ、という教えなんじゃないかと思うのです。 [in reply to zaw]
- 21:09 奇襲というのは「きっとこうなるだろう」という予期の元に、それが正しい前提で裏をかく。人間相手でもこれは危ないのに、自分をはじめ、同業者はしばしば「病気の裏をかこう」と考えてしまうし、自然災害を相手にする人たちですら、自然に対して予期を行って、「きっとこうなる」なんて仮想する
- 21:12 10人を指揮できる人でも、10000人を指揮できる人でも、5人しかいない部隊を指揮することはできる。でも10000人の部隊を指揮しようと思ったならば、10000人を指揮できる人を連れてこないといけない。
- 21:13 10人しか指揮できない人に10000人を任せると、9990人の兵士に休養を命じたあげくに、10人に「奇襲」を命じてしまう。10000人いないと解決しない問題が、10人の奇襲で解決できることは滅多にない
- 23:02 有能な人間なら一人で解決できるやりかたと、平凡な人間でも10人いれば解決できるやりかたとがあるのなら、後者を選択したり、それを目指して発想するほうが、結局手堅い結果が得られるのだと思う。おもしろい解決は前者で、英雄的な解決も前者で、後者を選ぶと、無能と馬鹿にされるにせよ
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