Tue, Apr 26

  • 04:55  パワーインフレ不可避の対決物語は、大きく拡散系と収斂系という分類ができるような気がする
  • 04:56  魔まマをはじめとする魔法ものは、たいていは拡散系で、敵が強くなった結果として、主役が対峙する相手は、最後は世界そのものだとか、何かの因果律だとか、人と背景との境界が曖昧になっていく
  • 04:57  北斗の拳とかバキ、高校鉄拳伝タフとか、格闘物語の伏線はたいてい「家族」であって、みんなが鍛えて強くなった結果として、世界最強を目指した物語は、最後はちゃぶ台はさんだ親子げんかへと収斂していく
  • 04:59  車田政美の漫画というのは、そういう意味で拡散系のものが多いような気がする。リングにかけろもそうだし、風魔の小次郎は神様の世界に行って、最後とってつけたように故郷に戻った。聖闘士 は言うに及ばず
  • 05:00  魔法少女が主役の物語にあって、なのはさんたちの物語というのは、あれは相手方の家族喧嘩の尻ぬぐいに巻き込まれた主役の物語、という味方もできるような気がする。伏線の回収を気合い入れすぎるとしばしば収斂に傾く
  • 05:01  そのへんこう、作者がなまじっかまじめに伏線をたたもうとすると、世界の大問題がお茶の間に収斂する。うしおととらとかからくりサーカスとか、相手はどう見ても世界なのに、どこかお茶の間っぽいというか、家族のけんかだった
  • 05:02  車田政美は投げっぱなしの人だけれど、じゃあバキの作者がどうしてお茶の間に回帰できたのか、そのへんよく分からない。キン肉マン
  • 05:03  拡散と収斂とを両立させる、それなりのエリートキャラクターを残して、必要なメンバーをきっちり世界の問題に対峙させることができる作者というのは、ある意味キャラクターに対して冷淡であるような気がする。ドラゴンボールにはそんなイメージを持ってる
  • 05:04  物語それ自体の面白さと、そんな分類とは全く無関係、というのが面白い。バキは今でも楽しみだし、風魔の小次郎で紅蓮剣が負けた回は、日能研でその話題で持ちきりで、授業にならなかった
  • 05:05  @dankogai ドラゴンボールはこう、作者はあくまでも読者を見ていて、キャラクターを見ていなかったというか、良くも悪くもとても良くできた物語だったんだろうな、と。。  [in reply to dankogai]
  • 05:06  @KKanehira 編集の力というのは、きっと大きいのでしょうね。。  [in reply to KKanehira]
  • 05:06  @SHIO_TARO BLEACH は、さすがに世代が違いすぎで追っかけてないのです。。  [in reply to SHIO_TARO]
  • 05:07  @tkomatsu まままと星矢は、ちょっと似てるな、と思ったのです。。  [in reply to tkomatsu]
  • 05:08  まままがあまりにも面白くて、でもこれ性別ひっくり返してちょっとホモっぽくしたら星矢だったりキャプテン翼だったりするよな、なんて思った。
  • 05:10  SF仕立ての少女漫画は、スターレッドもそうだし、樹魔伝説もそうだし、主役は最初っから世界を目指して、家族は一話目で切り捨てられる。そのへん少年漫画との対比とかありそうな気がする
  • 05:11  こう、世界との、感応や同化を目指す物語と、対話を目指す物語とがある。別枠で、世界に背を向けてちゃぶ台に回帰する物語と
  • 05:18  @SHIO_TARO ワンパターンであることは、それが支持されているかぎりにおいては叩く対象になりませんよね。。  [in reply to SHIO_TARO]
  • 05:22  @dankogai あれは実家に朝日ソノラマ版の奴を持っているのです。すごくきっちり組まれた物語ですよね。。世代を重ねるのは、作者がよほど物語を管理しないと難しいのかも  [in reply to dankogai]
  • 05:24  @d_doridori 伏線て、投げるなら思いきりぶん投げたほうが面白いのかもですね  [in reply to d_doridori]
  • 05:26  @KKanehira 物語を無限に大きくするのは、作者も大変ですよね  [in reply to KKanehira]
  • 13:20  実例と寓話っぽいの、どちらの路線で文章を書けばいいのか、時々迷う。お役立ち狙うなら、やっぱり自分で見て、体験したことをそのまま書いて、教訓の引き出しは読者に任せる方がいいんだろうけれど、はてブ稼ごうと思ったら、結論だけ書いて、経験部分すっ飛ばしたほうが受けがいい
  • 13:22  畑村洋太郎の失敗学が話題になるちょっと前、「実際の設計」シリーズを追っかけていて、「失敗から学ぶ」の巻と、ベストセラーになった失敗学の一般書と、面白かったから上司に貸した。で、「これは本当に面白い」と指さされたのは「実際の設計」のほうで、一般書のほうじゃなかった
  • 13:23  自分で赤線引っ張ってたのは一般書のほうで、専門書のほうは、分野が違いすぎて、あの頃は逆によく分からなかった。むしろエピソードばっかりで、歩留まりが悪いような気がした。今読むと逆で、事象から教訓引っ張り出すには、経験値みたいなのが必要になる
  • 13:25  本にまとめた奴は、そういう意味で、寓話にならないような心がけかたをした。なるべく実体験を引いて、結論を書くことを避けて、「私は暫定的にこうしています」とまとめるようにした。そのほうが役に立つだろうから。でも逆に、分野が違いすぎて役に立たない、という感想をもらったこともある
  • 13:27  自分で普段本を買うときには、なんというか、その分野の普通が具体的に書いてあるものを選ぶ。作者の人があえて一般的な結論に持って行こうとしている本は買わないことのほうが多い。読みたいのは体験で、思考じゃない。個人的には。
  • 14:09  「よく考えて判断しろ」と部下をしかる上司が、往々にして一番頭を使っていない
  • 17:15  http://bit.ly/i42U17 書いた
  • 18:08  @fuka_fuka_mfmf 朝生と、ディベートとは、そういう意味で根っこから違うものなのですね。。  [in reply to fuka_fuka_mfmf]
  • 20:28  @moutoku お買い上げありがとうございます。。。  [in reply to moutoku]
  • 21:06  @dasukichi 「スペルカード持ってないと諍いが全部殺し合いになるよ」ということなんだと思うのです  [in reply to dasukichi]
  • 21:12  http://bit.ly/fQc4hU 三原順なつかしい。これオリジナルのマンが持ってるけれど、コラじゃなくてこのまんま。
  • 22:18  ゲームでも、気持ちよく負けられるゲームと、ただ負けるゲームとがあって、負けデザインを作り込まないと、勝ったときの喜びが減ってしまうような気がする
  • 22:21  金閣寺の一枚天井は、どこかこうジレンマを超克していく雰囲気があって、負けたときにも自分の心の弱さに負けた、という印象がある。これが気合い避けオンリーの弾幕だと、負けてもどこか、「ただ負けた」というイメージ
  • 22:22  ボスを強くすれば難しいゲームになるかといえば、それは単に理不尽なゲームになってしまう。勝ったときの喜びが、「ただ勝った」というのでは、報酬としては弱い。
  • 22:23  「今のはここが悪かった」とか、敗北を通じて、何かの学習が得られるデザインが、いい敗北デザインなんだと思う。弾の量がやたらと多くてただ速い、プレイヤーの操作を無視したランダム弾ばっかりだったら、勝てばうれしいだろうけれど、二度やりたいとは思わない
  • 22:25  このあたりがじゃあ、パターンゲームになったらそれでいいのか?ということになると、それも何か違う気がする。気合いを強いるにしても、その前にボムのストックを増やす機会を作っておくとか、学習要素を入れるといいのかも
  • 22:26  いい負けかたをデザインとして盛り込むためには、プレイヤーがゲームに対して介入できる余地を十分に多くしておく必要がある。パターンゲームにしても、そのとおり動けば絶対安全、というところまでやってしまうと厳しそう。斑鳩はそうデザインされているにせよ
  • 22:27  初見殺しのデザインは、それはそれでいいのだと思う。その代わり、一別して安全地帯が見つかるようなものだと、浅すぎて、最初の敗北の価値が薄れてしまう
  • 22:28  @akatsukin 巻き戻されて、また一面からやり直しだと、厳しいですよね。。  [in reply to akatsukin]
  • 22:33  @akatsukin なんというか、ルールに隠された正解を探すことがゲームにおけるコミュニケーション要素であって、純粋な気合い避け弾幕は、コミュニケーションの相手がいないから、実はつまらないんじゃないかと思うのです。  [in reply to akatsukin]
  • 22:35  「ルールデザイナーまたは他プレイヤが提示したルールからプレイヤが最適解を求めようとする」という関係が成立する時、それはゲームだと言える。最適解を自己の内側から導くしかない気合い避け弾幕は、そういう意味でゲームとしての関係が成立していない。
  • 22:37  関係というのはけっこう大切なんだと思う。小学校でお相撲の授業があったとして、本気モードの朝青龍が出てきても、それは無理ゲーでこそあれ、ゲームであると言える。命賭けても突っ込んでく奴は学年に1人ぐらいいる。
  • 22:38  これが岩の固まりみたいな無生物相手だと、よしんばそれが朝青龍より弱くても、それに挑むのは小学生でもばからしいと思う。ここにはゲームに通じる関係が成立していないと言える
  • 22:39  じゃあ重たい金属持ち上げるだけのバーベル競技がゲームじゃないかといえば、あれには競技者が複数いて、ごくごくシンプルなルールにもかかわらず、他プレイヤーとの関係が、あれをゲームとして成立させている
  • 22:40  敗北のデザインに良さのパラメーターを乗せるなら、それはルールデザイナーとの、審判との、他プレイヤーとの関係から評価されるべきなのだと思う。
  • 22:41  ゼット会や進研ゼミは、コミュニケーション要素があれをゲームにしている。公文はじゃあどうかといえば、あれは自己との戦いで、ゲームじゃなくてお勉強に見える
  • 22:42  数学オリンピックでいい成績を出す奴には公文出身者が多い」という観察があるらしい。何かの本で昔読んだ。あれは要するに、理不尽ゲーをやり込めるような廃ゲーマーが、公文にいっぱいいるということなんだとおもう
  • 22:46  @yumihariduki もう目と手が着いていかないから、ニコ動でルナ動画見て、すごいもんだと感心するぐらいしか、楽しみようもないのです。。。  [in reply to yumihariduki]
  • 22:49  @rinnou 何となくこう、ああいうのは公文がすごいんじゃなくて、公文のあのうんざりするような物量をやり通せる人がすごいんじゃないかと思うのです。。怒首領蜂大往生デスレーベルみたいなもので。  [in reply to rinnou]
  • 22:49  @nash_bridges 私も昔、あれは無理ゲーだと思ったのです。。  [in reply to nash_bridges]
  • 23:02  @lucifer_af ランキングとか、そういうシステムちゃんとあるのですね。。  [in reply to lucifer_af]
  • 23:03  @takomark 大昔のテレビだと、「カール君との競争」というのは、観客の存在が、あれをゲームにしていましたね。。  [in reply to takomark]
  • 23:04  @rinnou 個人的には、あの「自己との対面」以外の道筋がない公文式というのがストイックに過ぎて、続かなかったのです。。  [in reply to rinnou]
  • 23:05  斑鳩ってそういう意味で、パワーアップなし、ボムなしでちゃんとゲームとして成立しているんだからすごい。
  • 23:06  @tot_main 「敵は全国」なんてかけ声は、いとうせいこうの「ノーライフキング」に出てくる塾がやってましたね。。  [in reply to tot_main]
  • 23:11  @orehaimomushi あのゲームは世界観だとか色遣いだとか、細部に至るまでデザインされてる感じがして、かっこいいですよね。。  [in reply to orehaimomushi]
  • 23:52  魔まマのシステム改変て、高速増殖炉軽水炉に戻すようなものか。。
  • 23:53  @takomark テトリス出たばっかりの頃は、ギャラリーとか意識することなく、不思議とみんな猿みたいにやりこんでましたね。。  [in reply to takomark]

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