Thu, May 05

  • 12:33  @Drickurs webmoneyコンビニエンスストアで購入できるはずなのですが、田舎だと使う人が少ないからなのか、「下さい」と言っても、店員さんから「ハァ?」と言われちゃうのです。。  [in reply to Drickurs]
  • 15:12  @twit_shirokuma 変体少女文字の研究―文字の向うに少女が見える 山根 一眞 がほんの少しだけかすってるかも。 陸奥A子の自己紹介漫画に出てくる部屋にはドアが欠けているとか、そんな考察  [in reply to twit_shirokuma]
  • 15:16  @twit_shirokuma グッズがやたらと多くて外に対して閉じてるのって、どこか仏壇っぽいというか  [in reply to twit_shirokuma]
  • 15:21  @twit_shirokuma たしかに仏壇というのは、あれは集まる部屋に置くものですね。。そういう意味で、閉じた部屋というのは、仏壇作りたいんじゃなくて、仏壇の中に入りたいのかも。。  [in reply to twit_shirokuma]
  • 15:59  @twit_shirokuma あとはたぶん、大塚英志の「少女民俗学」 が仏壇系の話題を扱っていたはずですが、なにぶん読んだのがもう何十年も前なので。。。  [in reply to twit_shirokuma]
  • 17:32  そういえば公務員の恩給削って災害復興を、という話はあまり聞かない。あれは一生保証だから、延べ人数でいったらけっこう大きいと思うんだけれど
  • 22:42  焼き肉屋社長の最初の記者会見というのは、記者の人たちに対して、むしろ誠意があったのだと思う。現場を明らかにすることで、今後に向けて、場の認識を共有しましょう、対話しましょうというような。読み違えたのは、そこに来た誰も、誠意や対話、認識の共有なんて求めていなかったということで
  • 22:43  「お客さんのほしいものを提供する」というのが商売の基本であって、あの社長もまた、曲がりなりにもそれを実戦して成功したのだと思う。どこかでそれを、「自分の才覚がお客の想定を上回ったから成功した」と、成功体験を書き換えてしまうと迷走する
  • 22:45  謝罪会見の席にあって、「お客さん」たる記者の人たちが求めているのはうなだれて落ち込む男の絵図であって、誠意なんかじゃなかった。商売の道理で、お客さんが求めるものは何なのかを考えればそれは明らかだったのに、誠意とか、説明をしようという、道徳的にはむしろ正しい態度が、状況を悪化させた
  • 22:47  RT @shibata616: 「謝罪」と見なされるものは儀式だから、常に決まった手順を踏まなくてはいけない。えびす社長のように、儀式を無視して自分の言葉で自分の気持ちを普通に語ってはいけない。やるべき事は最初から決まっている。それ以外の事をすれば全て「態度が悪い」「反省 ...
  • 22:48  そのあたりはこう、謝罪だろうがサービスだろうが同じで、暖を求めてお店に来た人に山盛りのかき氷を無料で振る舞ったところで、それがどれだけの誠意に基づいた行動であれ、お客さんは普通に怒る
  • 22:54  隠れたニーズを掘り起こすのが商売の基本かもしれないし、お客さんはしばしば、自分が本当にほしいものを認識していない、というのも真実だけれど、この原則をサービスでなく、謝罪の場に適応して成功した人はほとんどいない気がする
  • 23:00  最初の会見は、どこかでこう、転んでもただでは起きないとか、この失敗を大逆転の起爆剤にとか、そんな前向きな意図で行われたんじゃないかと邪推する。水で消せば済む火にあえてガソリンをまいて、ついでに庭の雑草処理を試みました、という無茶をやっているように見える
  • 23:01  サービスは、面白さとか感動、お客さんをいい意味で裏切ることがしばしば成功につながるけれど、謝罪の会見というのは、すでに裏切られた、あるいはそうした大義を背負ってくる人たちを相手に何かを行うわけで、その人たちの意図を正確に当てに行かないといけない気もする
  • 23:02  @picaoika あれは火消しとしては成功なんじゃないのかなと。。  [in reply to picaoika]
  • 23:03  落ち込む。泣いてみせる。説明を放棄してうなだれて黙る。いっそ土下座する。どれも底が浅くて陳腐でつまらない。でもつまらないからこそ、それが火消しに役立つんだと思う。
  • 23:54  「とっさの時の平凡な対応」というものが求められる機会はけっこうあって、でもそういうのは本屋さんに売っていない。本になるのは「根本的で画期的なやりかた」である場合がほとんどで、とっさの時、今すぐ暫定的にどうにかしたいとき、役に立たない
  • 23:56  病棟に出たての研修医が、上級生から「明日までに内科症例検討会のスライド作っといて。引用論文は適当でいいから。できたら明日朝一で見せてね」なんて言われたら、目の前真っ暗になる。こういうときに、「そもそも」の本をひもといても何の参考にもならない
  • 23:57  「そもそも症例報告とはどうあるべきか」はいらない。論文の批判的読解の本も意味がない。知りたいのはたとえば、こういうときにスライドは何枚ぐらいが普通なのか。1枚目に病歴載せるとして、検査所見は1枚目の方がいいのか、それともスライドを分けた方がいいのか。そういうのは本に書いてない
  • 23:59  作者にとっての最高は、書く側からすると難しくない。できないことを考えて、それを文章化すればいいだけのことだから。その分野にとっての平凡は、平凡の定義はみんな違うし、取材したところで「平凡」だから、つまらない。書く側にない何かが、読者にはしばしば役に立つ

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