Mon, Jun 06

  • 12:53  原発に関する政府の発表というものは、よしんばそれがリアルなものであったのだとしても、情報を受け取る側からするとビリーバブルなものにはなっていないんだろうと思う
  • 12:54  信用というものは、往々にして敵が作り出す。特に味方が頼りにならないときに。100%大丈夫です信じて下さい、と100回繰り返すよりも、自分の立ち位置に反対してきた人に審査をお願いして、まあ納得できる、という言葉をもらったほうが、信頼を生む
  • 12:56  原発方面の人たちも、有能な敵を頼むことを考えていいような気がする。原発に反対する様々な団体の人たちに生データを見てもらって、「納得は行かないが状況は分かる」程度の言葉をもらうだけで、状況はずいぶん変わる。有能な敵が本当にいるのかどうかはともかく
  • 13:00  タレーランフーシェを頼ったり、アップルがマイクロソフトを頼ったり、有能さを備えた敵というものは、しばしばもっとも頼りになる味方であって、たいていの場合、敵対する相手というものもまた、信用に足る敵を求めている
  • 13:01  有能な敵を探しておく、敵対の中に信頼関係を見いだすことは大切だし、裏を返せば、手強い敵のいない人というのは、もしかしたら誰からも信用されていない、ということなのかもしれない
  • 13:03  学会もそうだし、議会もそうであってほしいけれど、利害を共有しない人たちの集まりには、必ず主流の意見とそれに反対する意見とが出現するから、こういう仕組みは本来、有能な敵を育てる装置としてもよくできているのだと思う。
  • 13:04  学会や議会の「空気」で全員が一つにまとまる、というやりかたは、意志決定の速度を短縮する効果は期待できるかもしれないけれど、敵のいなくなったそうした組織は、敵を育てる、信頼を生むという大切な機能を手放すことにもつながる。
  • 13:07  主人公というか、旗を振る人を形容する言葉として、「敵がスルーする状態」というのが最悪なんだと思う。敵に見放されるというか。「俺はまだがんばれる!」なんて宣言した翌日に、そのほか全員が和解の先に向けた議論をはじめている現状とか
  • 16:46  @nawamura お買い上げありがとうございます。。書いたものを本にしてまとめると、自分の中にもまた「一貫性などなかった」ことに気がついたりして、自省することしきりだったりもするのです。  [in reply to nawamura]
  • 17:54  http://bit.ly/djETAX F1ドライバーのカート対決。無茶苦茶に面白い。こういうの見ると、じゃあ高性能な車ってなんなんだろうと思う。
  • 18:11  @KKanehira ドライバー要素って、こんなにも面白いものであったのか、と感慨ひとしお。。  [in reply to KKanehira]
  • 20:58  ネットはどこか文脈依存というか、自分が見たいものを引っ張ってきて読む結果として、好ましいもの、引っかかってこないもの、初めて読むのに、読むというよりも思い出すような印象を持つ文章ばっかりが目に入る。Tumblr なんかは、自分の文脈が入る要素がないのに、それでも
  • 20:59  今はもうそういう習慣もなくなってしまったけれど、仕事の帰りに本屋さんによって、ベストセラーの平積みをちょっと眺めるときには、そういう「もう知ってるよ」感がなかった。文字数からしたら、Tumblr 1日分と本屋さんの平積みと、比べようもなくネットのほうが多いのに
  • 21:00  このあたりが未だに、リアル本屋さんにあってネットに載せきれてない何かの機能というものなんだと思う。今はもう、住んでいる場所に、「駅前」も、「立ち寄れる本屋さん」も、物理的になくなってしまったから、そういう習慣が無くなってしまったのだけれど
  • 21:03  平積みの表紙というのも表現の一種であって、自分とはなんの縁もゆかりもない、好みや生活習慣が全然違う誰かの表現が、否応なしに目に入ってくる、という機会は貴重なんだと思う。どれだけたくさんの文章量を摂取しても、それとは違う
  • 21:04  学生の頃、お金なかったし、毎日2件ぐらい、本屋さんをはしごしては平積みを眺める、書棚を眺めるのが日課だった。新刊本は買えなかったから、たいてい古本だったにせよ。で、東京みたいにアートがごろごろしてるところはともかく、田舎だと誰かの表現といえば本屋さんだったのだと思う
  • 21:05  @TanTanKyuKyu 「見つける」のと「出会う」のと、機能は同じでも、意味合いが全然違うのでしょうね。。  [in reply to TanTanKyuKyu]
  • 21:08  「引っかかってくる」感覚というのは、むしろ普通の本屋さんにあって、ビレッジヴァンガードみたいな本屋さんには、むしろ少ないのが不思議。自分だけかもしれないけれど。それを「表現だ」と認識してしまうと、もう丸ごとでしか見ることができなくて、引っかかって、自分が何か変化する要素がなくなる
  • 21:09  「これはアートだ」と構えると、どれだけそれがものすごい表現だろうが、その体験は「すごいアートを見た」というフォルダに入ってしまって、なんというか、ディレクトリ直下に間違って置いたアプリケーションでとんでもない目に遭う、という状態にならない気がする。それこそが目的なのに
  • 21:10  @fenneggie 新聞とかテレビにあって、ネットにないのは押しつけがましさなんじゃないかと思うのです。。  [in reply to fenneggie]

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