Thu, Jun 16

  • 00:40  頭痛のWikipedia群発頭痛心筋梗塞、尿路結石と並ぶ三大痛、と記載されていたけれど、解離性大動脈瘤とか、急性膵炎のほうが痛いんじゃないだろうか。。
  • 12:51  整体みたい背中を預けるようなサービスは、お客の側はお店の人に対して無防備になる。相手が見えないのは怖い。サービスの前提上、その姿勢は変えられない。怖さは誰だって減らしたいから、結果として頭は、「このお店の人は信頼できる人だ」という判断を暗黙に下す。
  • 12:52  お客さんが無防備な状況になるのが前提のサービスは、恐らくはお客さんの説得閾値を大いに下げる。整体師の言葉が説得力持っちゃったりするのもそうした影響があるのだろうし、昔あった耳かきのお店なんかも、そういう危険があったんだろうと思う
  • 12:55  視界から隠れる、あるいは目隠しをする、耳かきみたいに動いたら危ない状況を作る、とにかく本人が「無防備だ」と感覚する状況は、その人の説得閾値を下げる。それを延長することが正統なのかどうかはともかく、災厄の直後は、指導者に対する信頼性は通常跳ね上がる
  • 12:56  耳かきをそれ自体を販売するサービスとしてでなく、そこに来た人を説得する、別の何かの目的に悪用するとけっこうおっかない気がする。目隠し膝枕、耳を店の人に固定された状況で「こんなの買いませんか?」とかやられると
  • 12:58  病院は普段、お客さんと話すときには1m ぐらいの間合いを取って、相対して会話する。あれはそういう意味で、「私たちは他人同士ですよ」という、説得閾値をむしろ上げるやりかたであって、そこから説得すればいいだけの話なのだけれど
  • 12:59  催眠術の実演が、相手を目隠しした上で、背中に手を当てながら、催眠術師が後側から語りかけるのは、あれは一応理にかなってるような気がする
  • 13:01  「説得」と「恫喝」というのは地続きというか、車の両輪みたいな関係なのかもしれない。相手を無防備な状態におくことは、相手に恐怖を与えるけれど、その状況で「説得」に応じることで、恐怖は減じる。この時点でたぶん、どんな恫喝であれ、恫喝された人は、相手に対して何らかの信頼を持つ
  • 13:02  @iwtkf15eagle やりかた間違えるとセクハラですけれど、肩を抱くとかああいうのは、実際に効果があるのだろうなと  [in reply to iwtkf15eagle]
  • 13:02  @rinnou 以前飛ばされてた田舎の床屋さんでは、実際に耳かきのサービスがあって、あれがおっかなかったのです。。。他人にやられると、こうも怖いものなのかと  [in reply to rinnou]
  • 13:04  整体の考えかたと整形外科の考えかたはまるで異なって、だから「効かない」というのは違うのだと思う。広義の説得技術として、あのやりかたは相当に強力なものであって、治りましたよ、と説得されたら、たぶん治る人はいる
  • 13:18  暴力をふるって見せてから、「私はこれ以上の暴力を行使しません」と宣言すると、最初から何もしない人よりも信頼が高まる。DVなんかはそうなのだろうし。
  • 13:19  @fenneggie 異業種のやりかたは、自分たちの業界に持ってくると強力なんだろうな、と。。  [in reply to fenneggie]
  • 13:21  昔悪だった人がちょっと更正するとすごく持ち上げられたりとか、ああいう強引に信頼を生み出すやりかたは、どこか間違っているけれど、実はいろんな場所で有効なんじゃないかという気がする。
  • 13:21  @ub7637 みんながそれを行使すると、地獄になりますね。。  [in reply to ub7637]
  • 13:23  自分がしばしば体験していた、外来ブースでの応対が今ひとつだった患者さんがいたとして、そのあと会計の待合まで自ら出向いて一言会話を交わすとすごく信頼される、という事例なんかも、やってることは暴力ふるう男とそんなに変わらない
  • 13:23  @NaOHaq ふっとインザドアテクニックの逆のやりかたも、けっこう有効ですよね。。  [in reply to NaOHaq]
  • 13:40  @KKanehira 歯科椅子というのはそういう意味で、患者さんの説得閾値が相当に下がりそうですが、「痛い」という恐怖は、そんなもんじゃぬぐえないですよね。。  [in reply to KKanehira]
  • 14:21  「権力に翻弄されないための48の法則」に、パワーを得ようと思ったならば、一番無能で人望のない指導者に味方せよ、という記述があった。大勢につくよりも、そのほうがコントロール楽なんだと。孫社長と総理の自然エネルギー宣言見てて、たしかにそうだなと思った
  • 15:07  「無防備な状況」と「猜疑心」との積が「恐怖」の総量となる。信頼と猜疑心とは逆比例する。恐怖量を固定したまま状況をより無防備にすると、猜疑心が減って信頼が高まる。無防備な状況に変化がなくても、何らかの宣言で恐怖を減じてみせると信頼が生まれる。
  • 18:39  原発の識者や学者の人たちがみんな高齢で、お爺ちゃんたちが口をそろえて「予見できなかった」というのなら、もう原発は無理なんだと思う。若い人はそこにいないし、お爺ちゃんたちの性能は、これから先上がることはないのだし
  • 18:50  @ERnanchan これは現場のニーズと真っ向から対立するかも。。現場は「取ってほしい」のであって、指示がほしいわけではないでしょうし  [in reply to ERnanchan]
  • 18:51  トロポニンT の定量キット、プラスとマイナスしか出ない道具を導入してみて思ったのだけれど、あれは患者さんを専門病院に押し出す力を強くしてくれる。心電図がこうです、病歴がこうです、とお願いしても、今はなかなか取ってくれないときがある
  • 18:52  結局のところ、解釈に幅がある検査をいくら積んだところで、相手の決断を押せないし、断られて、悪くなっても、「あのときちゃんと説明してくれれば取ったのに」なんていわれてしまう
  • 18:53  プラスとマイナスしか出ない検査というのは、正直今の診療を変える力はないんだけれど、専門病院に「胸痛です。トロポニン陽性です。取って下さい」なんて、阿呆みたいに頼んだら、むこうは取るしかなくなる。否定するには診療しないと無理だから
  • 18:54  患者さんの移動に関しては、お願いする側がどこまで阿呆に、馬鹿になれるのか、というのが患者さんを押す力を左右する。賢しい人間が現場を回すと、結局はそのさかしさが自らの首を絞めにくる
  • 19:42  http://bit.ly/lv1dS5 書いた
  • 19:48  まだそういう人が来たことはないけれど、「この症状は放射線由来ではないでしょうか?」という相談をされたときに、病院の機材ではそれを否定するのが相当に難しい。採血して正常であることは言えるけれど、逆に言うとそれしかできない。核医学の設備のある施設ならまだしも
  • 21:01  判定を下すことは、操られるリスクを受け入れることと等しいのだと思う。特に判定の手段が厳密になるほどに、両者は等価に、判定する側のリスクは増していく
  • 21:02  何かを判定される側は、「判定を止めろ」と訴えるのではなく、「判定の根拠を明確にせよ」と訴えるのが、喧嘩のやりかたとして正しいのだと思う。判定それ自体の正当性は、判定する側はきちんと準備しているだろうから
  • 21:03  判定者を安全地帯に置く限り、議論はいつまで経っても平行線が維持される。それが一番楽なのだろうから。彼らを安全地帯から引きずり出せば、そこで初めて、考えかたが変わる前提が整う。
  • 21:05  判定の根拠が明確に、厳密になってしまうと、今度はその結果を示された判定者は、たとえ「直感で」そう思わなくても、ある判定を下さざるを得なくなる。ある種の心理テストを逆利用する犯罪者なんかもそうだし
  • 21:47  http://bit.ly/k0ikL8 福島県の農家の日記。内容がとても重たい。。
  • 21:49  現場にとっては「風評被害ではなく実害だ」というのは本当なんだろうと思う。無害だ、大丈夫だといくら連呼したって、むしろ連呼するほどに、ごくごくわずかな線量が、実体としての損害を生む。

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