Wed, Jul 13
- 16:07 http://bit.ly/nwz0n1 書いた
- 17:14 「訴訟が現場の医師を萎縮させる問題」の暫定的な落としどころは、個人名での訴訟のみを禁じることなのだと思う。全ての訴訟を「病院名」で引き受ける制度。怖い人は大きな施設に身を寄せるし、施設もまた、危ない職員は再教育したり、パージしたりするだろうし
- 17:16 「病院に恨みはないがあの主治医だけは刺してやりたい」という需要を満たすことはできなくなるけれど、その場所にふさわしい能力を持たない人がクリティカルな場所に居続けることはできなくなるだろうし、「正しくやれば大丈夫」と病院長が言う限り、まさにそのとおりにならざるを得ないわけだし
- 17:16 @sanchang3159 よろしくお願いします。。 [in reply to sanchang3159]
- 17:17 マスメディアだって、クレームは会社として引き受けよう、という態度を取ることで現場を守るし、企業は逆に、記事を書いた個人を狙い撃つことが戦術としてたしかに通用している。それをやっていい状況と、それをやってはいけない状況とはどうしたってあるんだと思う
- 17:18 組織に属するのか、それともフリーランスで一匹狼やるのか、それは個人で引き受け可能な責任量で決定すればいいように思う。どこにいても個人の責任を問われるのならば、わざわざ待遇の悪い大きな組織にいる道理もないわけで
- 17:20 そういう意味で、訴訟という圧力は医療の業界から選択枝の多様性を減らして、パラメーターが減った結果として、「給料」というずいぶん身も蓋もないパラメーターで進路を決定せざるを得ない人が増えたんだと思う
- 17:36 組織というものの役割が少し変わってくるのではないかと思う。昔はそこでないと手に入らない、大きな力を付与してくれる存在だったけれど、いまはこう、そこでないと引き受けられない、大きな責任を担保してくれる存在に。まだそうなっていないけれど
- 18:18 @KKanehira 今はもう、さすがにノーガードの人はいないですよね。。 [in reply to KKanehira]
- 18:26 逆のサイボーグ化、という方向が来るかもしれない。労働運動の延長として。人の機能を拡張するために機械を入れるのでなく、誰が見ても客観的に「壊れる」ために機械と接続するような。根性とか気合いが通用しない部品と組み合わさらないと、人単体ではもはや疲れることすらできない
- 19:26 「枝野」「シンガポール」で引っ張れる騒動、「あれは全部根拠のないデマです」という否定は、何となく火に油注いでいる気がする。「このときの家族のスケジュールはこうでした。日本です」という否定は、すぐ火が消えそうな気がする。両方ともデマに対する否定だけれど、何か違う
- 19:28 山本七平は、「前提が書き換えられている物語を外から否定しても駄目なんだ」みたいなことを書いていた。否定したいのならば、まずは相手の物語の中に入っていって、そこで取り上げられている「事実」を原典に当たって検証しないと、書き換えられた前提を覆せないんだと
- 20:20 @hohoho327 日本医療って結局公務員ですもんね。。 [in reply to hohoho327]
Powered by twtr2src