Wed, Dec 14

  • 13:07  http://t.co/bGci2Nnk 広告における気付きとは、コーヒーを飲んでいる人を見て、「人は上を向いて飲む」ことを発見すること
  • 13:09  結局発想というものも、言い換えの要素を含んでいて、語彙や表現の在庫量が、発想の幅を決めるのだと思う。コーヒーを飲んでいる人を見て、「この人はコーヒーを飲んでいる」という表現を禁じて、じゃあその状況を「コーヒー」と「飲む」を抜きにしてどう言い換えるのか
  • 13:10  上を向いている。コップと顔が近づく。コップの表面を見つめる。飲み干したあと深呼吸する。あるいはため息をつく。最後に必ず「間」が残る。たかだかコーヒー飲むのにしても、様々な動作コンポーネントが見いだされて、そこに何らかの感情を載せられる
  • 14:10  RT @kaminagi: 初めてのキスは液晶ディスプレイの味がした。
  • 14:17  病院の業務を、「医学的、経済的常識に照らして妥当なサービスを提供する場所」であるという理念を共有できるのならば、クレームの発生余地はゼロになる。スタッフが100人いたとして、誰かが「病院とは患者さんが治る場所」なんてつぶやくと、こうした効果は吹き飛ぶ
  • 14:18  理念の共有とか、理念を唱えることと言うのは、特にサービス業においては大切なのだろうと思う。「お客様は神様です」のあの人が、どうしてあれだけ成功できたのかと言えば、あれが組織でなく個人の理念であったこと、防御力が強い個人が唱えた理念であったからで
  • 14:19  外部からの運用可能性が少ない、できればそれがない理念を発想して、自らの仕事を定義して、それを全ての職員が共有できて、初めてたぶん、感情労働は普通の労働になれる。その代わりそういう理念を発想するのは面倒で、それをやるとむしろお客は確実に減る。
  • 14:20  理念を発想して、ある程度の負けを折り込んで組織を運営するのと、隙だらけの美談じみた理念をぶち上げて、疲弊した現場を新鮮な職員と取り替えながら運営するのと、人的コストをほぼゼロに見積もっていいのなら、後者のほうが圧倒的に競争力が高かったりもする
  • 14:27  ありきたりの風景を、様々に不自由な言葉で描写してみせる試みが、要するに発想なのだと思う
  • 14:31  橋をデザインしても、陳腐な再発明しかできない。川の向こう側に渡る手段をデザインすれば、もしかしたらそれは発明になる。洗濯をしている人を見て、「洗濯だ」でなく、「水と衣服とを攪拌している」ことに気がついた人が、電気洗濯機を発想できた
  • 14:33  恐らくは発想に必要なのは不自由の引き出しであって、曇りのない自由な心で、どれだけ静かに瞑想したところで、陳腐な記号の海を迷走することしかできないのだろうと思う
  • 14:37  「まずは共通の場面意味を外せ。物語にはまったら停止する」「たったひとつの真実という感じに、馬鹿らしいほどたくさんのルビを振り続けよ!」解体屋外伝の言葉。
  • 14:40  暗示とは記号に満足している状態であって、暗示の外に出ようとしても、満足を壊さない限り難しい。満足している人が、満足に安住したままどれだけ考えたところで、満足は深まりこそすれ、そこから出ようという発想は浮かばない。じゃあどうすればいいのか。考えちゃいけない。言い換えればいい
  • 14:43  発想した人は、しばしばたぶん、発想できた自分に気がつかない。思考の結果としてたどり着いた、認識可能な「発想できた自分」は、たぶん何も発想していない。機械的な言い換えを繰り返していたら、気がついたらとんでもない場所にいた、というのが発想であって
  • 14:44  RT @igi: 旅人wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww / "地上の楽園がここにある!" / NHK 地球イチバン http://t.co/5aqIGQsX
  • 16:49  単純作業としての発想
  • 17:32  AndroidGoogle 日本語入力、お約束で東方Project のキャラクターがたいてい一発変換できる。地味に便利だったりする
  • 17:49  http://t.co/AAe2E16A タイ捨流剣術師範のインタビュー。いかにもいい人そうなお爺ちゃん先生が、にこやかに「ここで目を潰す」とか語ってるのがおっかない
  • 17:56  http://t.co/EsfyDdM9 ロシア格闘「システマ」の先生。気持ち悪いぐらいに柔らかく動く。動きはゆっくりなのに、相手が倒れるまでに3回ぐらい殺される。こういうの、漫画や小説で再現するのは案外難しそう。
  • 17:58  打撃はまだしも表現できる。力のいれかたや、絵図が上手なら関節技まではなんとか。捌きかたとか駆け引き、相手の固さを利用したりするやりかたは、表現がすごく難しい。難しいからこそ直接教えることに意味が生まれる。何かヒントがありそう
  • 18:00  詳しく書かれていることは、それが伝えやすいからであって、それが大事であるのかどうか、もしかしたら別問題である可能性がある。大事なこととそうでないこととの分布、伝えやすいことと伝えにくいこととの分布は、分野によっては相当に異なってる
  • 18:03  昔の「高校鉄拳伝タフ」にシステマの人が登場していたけれど、ロシア人がマーシャルアーツやってるみたいだった。描写しやすい武道とそうでない武道がたぶんあって、ボクシングやカポエラなんかは、見た目も派手で描写しやすそう。中の人は「違う」と言うだろうにせよ
  • 18:08  @aod_works とみ新蔵の劇画は、武士が無茶苦茶暑苦しく描写されていて、あれ泥臭くてかっこいいんですよね。。  [in reply to aod_works]
  • 18:10  @m_um_u 武道の人達は、別に漫画に載りたくて鍛錬してるわけじゃないですもんね。。  [in reply to m_um_u]
  • 18:11  シグルイ」が時々、戦ってる人達がいきなりふんどし1枚で描写されるのも、今から思えば体の使いかたの表現なんだろうか。。服着てると「こんなに体使ってるんだ」というびっくり描写が難しそうというか
  • 18:14  @aod_works 墨攻はなんというか、土の臭いの描写がすごい漫画でしたもんね。。  [in reply to aod_works]
  • 18:15  @mi_sen 危ないけれど、剣道の上手な人達が、シグルイスタイルで演舞してくれると、きっと参考になるんだろうな、と。。  [in reply to mi_sen]
  • 19:26  @onnkotisinno 「伝えかた」と「見せかた」は、もう根っこから考えかたが違いますもんね。。  [in reply to onnkotisinno]

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