Fri, Mar 09
- 00:56 @hyuki 特別な状態が日常である誰かの、その日常に欠かせない何かは、他の日常を生きる人にとって目新しく、なおかつとても魅力的に見えるんじゃないのかなと。 [in reply to hyuki]
- 00:58 @kumabcdefg みんながそれしか選べない状況は、今度はそれを前提にした特別な日常への変遷を生み出しますよね。。 [in reply to kumabcdefg]
- 03:43 大きな事件をきっかけに、多くの人はたぶん、変わるのではなく忘れるのだと思う。
- 03:46 比較の対象が失われるから、差分はたしかに変化として観測されるけれど、当事者として巻き込まれた人にとっての変化と、観客の感覚した変化とは、絶対的な量こそ同じだけれど、ゼロ点の場所が全く異なる
- 12:42 「主張はしたくないけれど発見されたい」人は、かなり多いんだろうと思う。暑苦しく叫びたくはない、そう思われたくはないけれど、たくさんの人につながった誰かに、「こんな面白い文章を見つけたよ」なんて紹介されるのはかまわない、むしろそれを目指すような立ち位置
- 12:45 blog ツールは主張しやすいけれど、野良で作ると発見されにくい。mixi なんかは被発見域値をけっこう下げて、twitter は主張はやりにくい代わり、発見されやすさはかなり高い。RTの連鎖とか、「いいね」で言葉の拡散が目に見えるのとか、あれを魅力と思う人はたぶん多い
- 13:11 顔本世間だと、デマの検証みたいな記事は、せっかくみんなが盛り上がってるのにヲタク臭いとか後ろ指指されそう。水を差す人間が嫌われるというか
- 13:35 http://t.co/UQtElh4I 「これは戦争だ」なんだと。じゃあ今の人達が政府やってて、本当に戦争になったらどうするつもりなんだろう?
- 13:37 悪役のテロリストがちょっとした武力を行使して、テロリストの予想を超えて無能に過ぎた日本政府が右往左往していく中で、事態がどんどん悪い方向に進んでいく、という筋立ての小説がいくつかあったけれど、事実は作家の予想を超えてた
- 13:38 石原都知事が当選したとき、「作家が政治をやるなんて」みたいな叩きもあった気がするけれど、事態の無惨さが作家の想像力を超える昨今、政治家よりも作家のほうが、よっぽど実際的に物事見てるんじゃないかという気がしてくる
- 15:04 RT @shibata616: 「いい話なんだからデマでもいいだろ」ではなく、「この話が実は作り話で、いい話でも何でもなかったという事になると、信じた自分は非常に不用意で頭の悪いマヌケという事になるので、デマでもいいだろ」と正確に表現すべき。
- 15:36 ある無能を観測して、それを「無能だ」と受け止める場合と、それを「陰謀だ」と受け止める場合とで、あれは何が違うんだろう?自民党の昔、政府を無能と断じる人は多かったけれど、今ほど陰謀を唱える人は多くなかったような気もする
- 15:37 それを「自民党は有能であったのだ」と総括しても良いのかもしれないけれど、両方の政党とも、「無能度」みたいなものを測定できて、それがそんなに変わらない、という前提を置くと、じゃあ受け止められかたの違いというのはどこから生じるのか
- 15:38 @hashiboso 「想定外」って本当に怖いですよね。。 [in reply to hashiboso]
- 15:40 文章を書いていて、ある事象を「想定外」にすることで、物事がきれいにまとまる場合はけっこうある。そこを想定に入れると、今度はそれを例外処理できず、根っこから書き直す羽目になって、それをやると論旨もぐちゃぐちゃになってしまう
- 15:43 @jinon 「おちゃらけ」で切り捨てちゃうのって、あれ上手ですよね。。 [in reply to jinon]
- 15:43 @ub7637 自民党もいい加減嫌われていたはずなのに、陰謀論はそんなにでなかったのは、どうしてだったのかな、と。 [in reply to ub7637]
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