Sat, Mar 10
- 15:55 土木も政治なんだな、と今さら思う。道路や建物は、それがそこに造られれば、否が応でも人はそれに合わせて生活のスタイルを変える。土木は強力な約束事として機能する。文章化された法律に比べて、ルールの不変に対する信頼は、むしろよほど強力であったりもする
- 15:56 どれだけ強力な法律を作ったところで、それを書いた人に対する信頼がないのならば、それは破られるためにあるルールになってしまう。道や橋、建築物の機能はごくシンプルなものだけれど、「俺はこのビルを無視するぜ」なんて人がいて、ビルの壁を透過できる人はあんまりいない
- 15:58 原発の事故を防ぐために、たとえばどれだけ強力な法律を作ったところで、今政治をやっている人に対する信頼はほぼゼロだろうから、その法律にはなんの信頼も置かれない。結果としてたぶん、信頼を取り戻すのに、今の政治家にできることはほとんどない
- 15:59 それが文章でなく、土木であったのならば、どれだけ嫌いな、信頼できない人間が造った建築物であっても、それがそこにあれば、それを前提にした振る舞いをせざるを得ない。ある状況を否が応でも押しつけるだけの効果が土木的な何かにはあって、信頼の再起動は、それやらないと厳しい
- 16:02 信頼を失った人が叫ぶ「信頼してくれ」という悲鳴は、冗談にしか聞こえない。信頼を失った人はその代わり、文字や言葉ではなく、石やコンクリートを行使することで、信頼を得られない状況にあっても、人を動かすことはできる。動かした結果が良好であれば、信頼も戻る
- 16:07 @templa_3 強力な法律って、それを運用する人が信頼されていない限り、絶対に使えないですもんね。。 [in reply to templa_3]
- 16:17 「原発は正しく作られていたにもかかわらず、菅総理があまりにも無能であったために事故が起きた」という言説は、よしんばそれが真実であったにせよ、「だから原発の再起動は安心だ」という結論には結びつかない。一人の無能でこれだけの災厄を引き起こすのならば、システムとしては破綻しているわけで
- 16:18 民間団体の報告書というものが、原発の再稼働を目指す意図に基づいて作られるのならば、「あの事故は原発自体の機械的な問題だった」とか、そもそも設計ミスだった、という方向の結論にしならないと厳しい。機械の信頼はお金で買えるけれど、人の信頼は、どれだけお金をかけても無理だから
- 16:21 結論をリーダーの無能に求めるのならば、「次は有能なリーダーを選ぶようにしよう」では、なんの対策にもならない。「リーダーの椅子を無くしてしまおう」ならばまだしも。問題が無能なら、有能を期待するのではなく、問題それ自体を潰していかないと
- 16:23 「菅の代わりに信頼できる○○さんが座ります」だと、問題の解決にならない。「その場所に空き缶を置いてもこの組織は問題なく動きます」なら、それは対策された、と見なせる。
- 20:19 十羽一唐揚は、そのうちデイリーポータルZあたりが本当に作りそう。
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