Tue, Apr 03

  • 15:10  ボランティアというものを、「専門家が無償で技能を提供する代わりに、責任は追求されない場所」であると定義できたらいいなと思う。誰にでもできる仕事はあくまでも有償で、雇うだけでものすごいお金のかかる専門家は、逆説的に無償で働くような
  • 15:12  ボランティアに出向く人たちのモチベーションは疑いようもなく高いのだろうけれど、物資もマンパワーも足りない場所で、専門家なりの責任を引き受けつつ、専門技能を発揮するのは難しい。責任があるのなら、「もっとちゃんとしたところに行きましょう」とアドバイスすることしかできない
  • 15:13  緊急事態に向かった専門家は、その人が引き受ける責任が重たいほどに、もしかしたら専門家ではなく、「連絡係」になってしまう。そうなるともう、そこに専門家がいる理由がなくなってしまうし、その期間はその人にとって、履歴の空白になってしまう
  • 15:15  専門技量と、それを支えられるだけの物資と、責任と、たぶん3つの中から1つだけ選べる状況がある。ボランティアが要請される場にはそもそも物資が足りず、そこで責任を求めると、技量が出てこない。その逆は、その代わりありうるんじゃないかと思う
  • 15:16  技量を持った人は、物資のない状況であっても、「そこにあるもので間に合わせる」ことは、恐らくはけっこう出来る。それはリスクが高かったり、いい道具があればそもそも選択されないやり方なのだろうけれど
  • 15:17  「物資はないけれど責任は問われない状況」において、専門家は、無償であることと引き換えに、もしかしたら貴重な経験を得られる。そこで働くことは、普段なら手に入れることが難しい経験摂取の場として、履歴に書ける。
  • 15:26  「最もたくさんの失敗を経験した人」が専門家であって、技術が成熟して、成功するやり方を教わりつつ失敗が許されなくなってしまうと、もはや専門家は育たないことになる
  • 15:29  @gnsi_ismr 実際問題として、ここ10年ぐらい、確実性の向上と引き換えに、それができる人の数は、むしろ減っているんじゃないかと思うのです。  [in reply to gnsi_ismr]
  • 15:34  @gnsi_ismr ある領域に存在する怨嗟の総和は実は一定であって、100件の失敗事例を1回に減らすことに成功すると、1回の失敗で、100倍の怨嗟ダメージを被ることになるんですよね。  [in reply to gnsi_ismr]

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