Fri, Apr 13
- 00:11 ゆれゆれ
- 12:33 抑止力とは、「戦う意思を持たない暴力」ではなく、「戦わない意志を持った暴力」のことなのだと思う。小さな違いだけれど、意思を示さない限り、それは「力」たりえない。
- 12:35 横柄で、恐ろしく態度の悪い取引先と何かの交渉を行うときには、嫌な空気になる。ストレスが溜まるから交渉は失敗しやすいし、一歩間違えれば暴力沙汰になる。たとえばそんな空気に、格闘家みたいなものすごい筋肉の持ち主に同席してもらうと、空気が変わる
- 12:37 相手が余程の馬鹿でない限り、「自分が殴られるかもしれない」という想像は、筋肉という物理が惹起する。同席する格闘家が顧客をぶん殴ることなどありえないのに、そこに筋肉があるという事実だけで、少なくとも言葉遣いは変わる。外面の変化は、結局空気を穏やかに変える
- 12:38 たとえばそれを「脅された」と感じた顧客が、自分の側にも格闘家の同席を求めると、抑止力は打ち消されるかといえば、むしろ増加する。場の安定は投じられた筋肉量に比例して、そこに筋肉があるだけで、「言葉だけの」人間は、穏やかに波風を立てないような話し方しかできなくなる
- 12:39 相手を笑顔で罵倒するのは難しい。穏やかな言葉遣いで相手を不愉快にするのも難しい。それは「本当の穏やかさ」ではないかもしれないけれど、外から見えるものを制限されるだけで、穏やかな空気、少なくともその交渉で不愉快な思いをする人を減らすことができる
- 12:40 ここで投じられるのが、格闘家でなくヤクザであったら、それは「戦う意志を持った暴力」であるといえる。そういう人を連れてきたその段階で、すでに言葉による交渉は破綻しているわけで、交渉を打ち切るか、あるいは暴力による交渉フェーズに状況は切り替わることになる
- 12:41 そういう意味で、抑止力としての暴力には「戦わない意志を示して場を安定させる」という役割があって、動かないことが目的であっても、総暴力量、筋肉量は多ければ多いほど良いことになる。
- 13:06 @sirouto 病院なんかだとそれでも、今は警察OBの人達に来てもらうことが、本当に切実だったりもするのです。。 [in reply to sirouto]
- 13:31 @aod_works 高抑止下の話し合いって、その代わりお互いの能力差がもろに出るから、政治家に能力欠けてると、もうやられ放題なんですよね。。 [in reply to aod_works]
- 16:18 恋愛は非正規雇用で、見合いは正規雇用。
- 16:20 @Patric7777777 恋愛で何年も引っ張って、「君は結婚対象じゃない」みたいな話を読んで、あれはリスク高すぎるよなと。 [in reply to Patric7777777]
- 16:21 @ymonymon 「レンタルお姉さん」みたいなもんですかね。。 [in reply to ymonymon]
- 17:52 http://t.co/sxdM30bf 蒸気機関車のボイラーと石炭スコップを使った料理の動画。こういうのやりたい。
- 19:33 @Cottoncolo 今の時代、林間学校みたいなカリキュラムを引率する人なんかは、もう「事故だけは起こってくれるな」と祈るような気持ちなんでしょうね。。。 [in reply to Cottoncolo]
- 19:38 救急方面のまとめをしていていつも思うのだけれど、一つの科で普通の成人と小児、妊娠した女性を同時に診察するのって絶対無理だと思う。調べるほどに、用意すべき鑑別診断のリストや注意が必要な病名が異なって、通常成人の知識を応用するのが厳しくなっていく
- 19:40 大昔、「小児を小さな大人と思ってはいけない」と小児科の上司から教わったけれど、まさにそのとおりなんだと思う。要求される安全の水準が高まると余計に。「勉強すれば小児も妊娠女性も診察できる」なんて、勉強するほどに嘘だと思えてくる。
- 19:42 @nayamibito 家庭医って、ぬるくやっても、深くやっても、結局「大きな病院に送る」以外の選択肢が取れなくなって、勉強するほどに身動きが取れなくなるんじゃないかと思うのです。要求安全率が高まるほどに、「できる」の範囲が狭まっていくというか [in reply to nayamibito]
- 19:49 ルアー釣の実習で同級生の顔を釣っちゃった子供とか、大昔だからごめんですんだけれど、今だったら誰かが責任問われますよね。。
- 20:46 今研修医に「これを読みなさい」と勧めるのはどんな入門書が主流なんだろう? PocketMedicine は現代の王様で、あれを勧めて外すことはないだろうけれど。個人的には国際医療センターの研修医マニュアルが、読んでいて面白かった。
- 20:48 「ハリソンの原著を研修医に勧める」というのは、研修医の頃は古典的な嫌がらせにも思えたけれど、実際問題としてハリソンは確かに分かりやすくて、図版やら表が多くて、上級生の指導がなくてもよく読める。今の年齢になって、結局自分も「ハリソン読みな」をやらかすような気もする
- 20:50 ワシントンマニュアルや、税金のように毎年買ってるCMDTの立ち位置が、最近良く分からない。CMDTは、昔はあれは教科書だと思ったけれど、それに基づいて何かを決断できるほどには詳しくなく、かと言って「ちょっと見る」には大きさが電話帳で
- 20:51 ワシントンマニュアルは、自分たちが研修医の頃は、あれこそが入門書だったけれど、理解深度を変えないままに版を重ねた結果として、あの本は大きく重たくなった一方で、普段使うには立ち位置があやふやになったような気がする
- 20:56 こう、How よりも Who が大事になっているような気がする。昔の研修医に求められたのは「病態を理解できていること」だけれど、今はむしろ、その判断がどんな文献やガイドラインに基づいているのかを覚えていないと、医療行為が成り立たないような
- 20:58 もちろん読者に理解してもらって、なおかつ根拠やガイドラインが示せるのが一番いいのだけれど、それをやると本のサイズが収集つかなくなる。ワシントンマニュアルの今の版がいきなり分厚くなったのは、How からWho への舵取りに失敗して、両方追っかけて沈没した感がある
- 20:59 PocketMedicine はそういう意味で Who 志向というか、「こうしろ」としか書いていない代わり、あらゆる「こう」に参考文献が添えられていて、あの気合はすごいと思う。一行たりとも出典なしでの記載など入れるものか、という。
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