Mon, May 28

  • 04:21  経験から原理を導くの営みが科学なら、経験を通じて実用的な偏見を育てる試みが工学なのだと思う
  • 04:26  外科医は何も知らないがなんでもやる、内科は大抵のことを知っているのに大抵何もできない。病理医は何でも知っていて、何でもできるのに、それはもう遅すぎる
  • 04:28  原理と偏見とは、完璧な原理というものが存在不可能な以上、対立概念ではなく地続きのものだと言える。トレードオフになるのは速度であって
  • 04:33  教科書にはこう書いてある、というのが判断の根拠となるのなら、その人の代わりに教科書を置いておけばいい。なぜそこに人間が要請されるのかといえば、偏見で持って物事を眺め、暫定的な回答を返せるのは人間だけだから
  • 04:37  原理は結果を保証する。その代わり、それを駆動できるだけのデータが集めるのには大抵時間がかかりすぎる。原理に基づいた見込みというものはあり得ない。前提となるデータが僅かでも欠けたその時、原理は一切の保証を拒絶する。それはもう偏見であって
  • 04:40  教科書の記述に基づいた判断を返す上司は矛盾している。それが本当ならば、その上司は必要ないし、その人が必要な人材ならば、その判断は常に、その人の偏見に基づいている
  • 04:43  上司はだから、自身の偏見をマニュアルとして記述、公開する義務がある。判断の根拠を教科書に外部化するのは欺瞞であり、怠惰の隠蔽であるとも言える
  • 04:45  @p_shirokuma やっぱりこう、自分の判断に絶対の文字を入れるのは危ないな、と。これはあくまでも偏見なんだという態度が、何かの戒めになるような  [in reply to p_shirokuma]
  • 04:48  上司に偏見の隠蔽を許してしまったことが、努力賞狙いの判断しない組織を作ってしまうのだと思う。
  • 04:52  偏見は記述、公開されることで欺瞞が排除され、改良可能性が増す。隠蔽は欺瞞を生む。正解だけを要求する、努力を見せつけるのが好きな人たちが椅子にしがみつく。
  • 04:55  @p_shirokuma あやふやな情報に基づいて、まさに今の判断が求められる場所では、科学の手法は効果を発揮しにくいのではないかと思うのです  [in reply to p_shirokuma]
  • 12:31  某役所の産休制度は育休につなげることができて、育休期間に2人目の子供ができたらさらに産休につなげられる。ハイパー中にオーラ撃ちでゲージを貯める、なんだか怒首領蜂大復活みたいに見える
  • 12:33  RT @kotoriko: 家入さんとつながりあるってバレたら大変だから昨日帽子を全部処分したわ。
  • 12:45  「ざまあみろ」という言葉は、もしも状況が逆転した時にそのまま自分に跳ね返ってくる。「世の中には寂しさを罵倒でしか表現できない人がいる。悲しいことだ」と嘆いてみせれば、相手に与えるダメージ量は変わらないけれど、状況が変わっても打ち返しがこない
  • 12:47  「ざまあみろ」とという言葉の先には、実体としての誰かが仮想されている。「○○は悲しいことだ」みたいな言い回しは、たとえ誰かを罵倒するためのつぶやきであっても自己完結的であって、嘆かれた誰かがそれを叩こうにも、叩く場所がない
  • 12:48  ネットで喧嘩が上手な人達はなんとなく、このあたりを上手に使い分けて、実体としての誰かに届く言葉は、本当に「ここ」という場面でしか出してこないのではないかと思う。より守備的というか
  • 13:33  http://t.co/m4GJvyXE 人を罵倒するコスト 最初この題名を読んだときに、まさに「ざまあみろ」と発言する代償みたいなものが書かれてるんだと想像した。逆だった。
  • 13:34  人を罵倒するコストが安くなったと言うよりも、シューティングゲームで言ったらグラディウスの2週目みたいに、撃ち返し弾が新しいルールとして加わった、ということなのではないかと思う。「俺様無敵」で拡散弾撃ちまくっていると、2週目以降は撃ち返しで詰む。
  • 13:36  自機の火力がどれだけ強力であっても、撃ち返し前提のゲームなら、雑魚の群れに最大火力を撃ちこむと、敵弾の群れに追い詰められることになる。やり過ごしつつ、逃げ場を常に意識しつつ、必要な場所でのみ最大火力を出していくようにしないと先に進めない
  • 13:40  そういう意味で、HTML の昔だったら、誰かに向けてどれだけひどいことを書いたところで、ホームページの掲示板を閉じてしまえば、もう声は返ってこなかった。今はそういう意味で、何かを書いて発信したその途端、もう反応が戻ってくるというか。
  • 13:40  昔はこう、文章をFTP でアップロードして、反応が戻ってくるのは3日後とか2週間後とか、えらく長かった。長さに焦れて過激な表現をしたところで、そもそも反応それ自体が少なかったから、それが大きな問題になることもめったになかったし
  • 13:42  「研修医の潰しかた」みたいな、相当に露悪を意識した文章を上げた時でも、今から思えばはてブでせいぜいが50ぐらい、ふだん書いている日記よりも、へたすると少ないぐらいの反響しか来なかった。あの当時としては、それなりに反応があったと感覚していたにせよ
  • 22:18  http://t.co/srh9S0df 書いた。マニュアルとリファレンスについて
  • 22:49  @SaitoSeiji 上司が「これ」と示せるようなマニュアルを作っていないチームは、きっと部下が潰れちゃうんだろうなと。。  [in reply to SaitoSeiji]
  • 23:50  経験から導かれた「原理」の記述がリファレンスなら、経験を通じて育てられた「偏見」の記述がマニュアルなのだと思う
  • 23:52  マニュアルとは「偏見に基づいたリファレンスの要約」にすぎないけれど、それがリーダーによって作成、公開されることに意味がある。マニュアルが公開されることで、チームからはリーダーの欺瞞が排除される。公開された偏見は改良可能性を得る。チームには経験を蓄積する機会が保証される。
  • 23:55  偏見を公開できない、「教科書に基づいた判断」を行うリーダーが率いたチームは、成功しても、失敗しても、その原因を学習できない。結果としてそうしたチームには経験を蓄積されない。たとえ成功を100回繰り返しても、101回目の成功はおぼつかない
  • 23:57  100回の試行錯誤を通じて身に着けた経験は、成功確率を高めてくれる。教科書どおりの手順を100回繰り返した人は、101回目の成功をより熱狂的に願望できるかもしれないけれど、願望や祈願は経験とは違う
  • 23:59  経験とは、偏見という、あえて不足のある立ち位置で持って状況に当たることで生み出された、許容可能な大きさの失敗であるのだとも言える。リファレンスがすでに存在する場所で、あえて不足のマニュアルを再発明する意義は、自分自身に知識の「穴」を作ることにある

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