Fri, Aug 10

  • 00:01  教科書にはたいてい、病気の説明があって、その疾患を生じうる原疾患のリストや、似たような症状を呈する鑑別診断のリストがあって、治療の解説がそれに続く。「要するにどうすればいいんだ?」 という問題を抱えて教科書を開いても、解決はけっこう遠かったりする
  • 00:02  そういう「要するに」は、コンパクトな本よりもむしろ厚い本にはそれなりに書いてあることが多くて、Current ではまだ足りなくて、ハリソンを開くと「ああ」と思うことがけっこう多い。救急だったらTintinalli とか。鈍器って結局役に立つ
  • 00:04  結局こう、一番切実な「要するに」のやりかたを記載するためには、言い訳的な膨大な文章をその前に記載する必要があって、コンパクトな本だとそれをやる余地がないのだろうと思う。「要するに」だけをまとめて本にすると乱暴に過ぎて、本と言うよりも単なる道具みたいなものができる
  • 00:07  @Matanuki 昔からそれをやろうとしてことごとく失敗したので、誰か頑張ってほしいな、と。。  [in reply to Matanuki]
  • 00:17  @Matanuki ありがとうございます。。  [in reply to Matanuki]
  • 13:14  あと3年ぐらいすると、PTAを経由してガーディアンエンジェルスの人たちが学校を闊歩するようになる
  • 13:16  @taninon たぶん「警察は嫌」という意識と、「自分の手は汚したくない」という意識が合体して、「民間の綺麗な暴力」みたいなのを求めるんだろうなと  [in reply to taninon]
  • 13:18  「ふつうの人が口を開く」というのが、これからの大きな流れというか、流行になるんだろうと思う。弱者の声を取り上げる時代から、「ふつう」の人の声が大きくなっていく。「普通」は案外、自由よりもいっそ監獄みたいな環境を「安全だ」と認識したりする
  • 13:21  こう、石原慎太郎閣下を小物っぽくしたようなトップがいて、その下に保守っぽい空気を好むベレー帽か何かかぶった若者がたくさんついて、「子供たちの安全」や「学校の治安」を守るために教室に入ってくるような。それが風景になると、今度は授業の内容にも制約が加わる
  • 13:26  「こうした弱者に配慮できないお前の想像力は貧困だ」、「それは不謹慎だ」という言葉は今の文化の抑止力であって、これが逆転して「不謹慎でいいじゃないか」「不謹慎なのはかっこいいんだ」に変わっていくんじゃないかと思う
  • 15:28  http://t.co/bwAlqR7Y アジャイルの話。「品質を保ったまま変化ができる」ように何かを書くのってけっこう難しい。
  • 15:30  ある程度まとまった文章を書こうと考えたときに、無駄な文章はできるだけ省きたい。論の起こしかたが異なっても、似たような結論に導く段落が2つあったら、2つ目の結論部分が余計に思えて、それを省いてしまったり、ひとつの大きな段落を作ったりする。これをやると変化に弱くなる
  • 15:31  文章はどうしても、状況の変化に応じて訂正を行うことになる。それは編集者の意向であったり、底本の改訂であったり、その都度文章を変えることになるのだけれど、大きく固まった段落を作ってしまうと、こうした変更が難しくなる
  • 15:33  文章には大きく起承転結があって、いくつもの段落がそうした流れを作る一方で、それぞれの段落にも小さな起承転結が存在する。これを繰り返すと、なんだかすごく無駄なことをしているようにも思えるのだけれど、定形の繰り返しとは、大きな文章に関節を付け加えることにほかならない
  • 15:34  関節がない場所に力をかけると折れる。段落を大きくまとめてしまったり、あるいはある段落の論拠が別の段落に存在していたりすると、ある場所を改訂すると、そのへんかが別の場所に及んだりして収拾がつかなくなる。
  • 15:37  段落をカプセル化することが大切になる。大きくはなれた段落から論拠を引っ張ってくるのは、メモ書きに伏線を引くみたいで書いていて面白いのだけれど、これをやると改訂で地獄を見る。細かい変更を加えるつど、文章全体に矛盾が増えていく
  • 15:39  段落をある程度細かく分けること、大きすぎる万能装置的な段落を可能な限り分割すること。それぞれの段落は、段落内で論を完結させ、他からの引用を避けること。マンネリ感を怖がらず、段落にはちゃんと起承転結の各部品を記載すること。
  • 15:40  メモ書き作って大きく育てるときに、将来的な様々な変化に対して、変化できるように文章を書くことを心がけておかないと、メモ書きが手に負えなくなった時点で勉強が止まることになる。メモが続かなくなったら、もう教科書を読んでもそこから知識を引きだしたり、日常に応用できない
  • 15:42  几帳面な人が、研修医の頃にはすごく熱心にメモをまとめていたのに、中堅どころになるとそういうのをやめてしまったりする。あれは「メモが要らなくなった」のではなく「メモを書けなくなった」可能性がけっこうあって、メモの成長が止まった時点で、下手するとその人の成長も止まっている
  • 15:55  @Drikurs 人それぞれに「ベスト」は異なってくるのでしょうね。。  [in reply to Drikurs]
  • 16:09  @KKanehira 学習のコストが更新のコストを上回った時点で、成長は止まるんだろうなと  [in reply to KKanehira]
  • 16:11  それが物理メモでも脳内メモでも、メモを更新するためにはコストがかかる。メモの更新コストが、それによって得られる利得を上回った時点でメモの成長は止まり、学習は無意味化する。成長とはだから、更新コストのなるべく少ない構造を早いうちから実装することでもあって
  • 16:13  そういう意味ではやはり、徒弟制度は危険なのだと思う。学習した知識をどう格納していけばいいのか、そうした「型」みたいなものが弟子ごとにまちまちで、結果として成長の限界が大きく異なってしまう。それを「素質」で片付けるにはあまりにももったいない
  • 19:24  http://t.co/8ArvLDnJ 更新コストと能力
  • 23:47  RT @drug_discovery: ひとのことを無能呼ばわりする人の中で有能な人はどれだけいるんだろ?

Powered by twtr2src