Thu, Nov 08

  • 17:02  本棚とか、特に平台の配列はその人の思想や哲学が強く反映される場所だから、書店を一種の闘技場のように見立て、店員さん同士の勝負みたいなのをやってほしい
  • 17:03  同じ大きさの平台を2つ並べて、月の新刊でもいいし、誰か特定の作家のフェアでもいいけれど、「お題」に従って、2人の店員さんが、平台に本を並べる。その週の売上が大きかった店員さんが「勝ち」を得て、お店やチェーンで得点を競うみたいな
  • 17:04  お客にとっての「投票」は、その本を買うことに他ならないし、密林と比較した場合の、リアル本屋さんが行使できる最大の武器はといえば「配列」そのものなのだから、それをもっと全面に押し出しても面白いような気がする
  • 17:06  こう、全日本チャンピオンの平台と、そのお店の一位の平台と、同じテーマなのに何が違うのか、どうして売上が異なるのか、あるいはお客として、自分ならどちらの配列をより好むのか、配列というものに対してお客の目をもっと集めることができると、リアル書店に生き目が出てくる
  • 17:07  一時期やってた「作家の本棚」フェアみたいなのは、やっぱりやる側の労力が厳しいんだろうか。。ああいうの田舎でもやってほしいのだけれど。配列の思想を「アート」にしちゃうとヴィレッジヴァンガードになるけれど、あれは個人的には、個性ではなくひとりよがりに見える
  • 17:08  RT @heimin: 警察…… / “警察 結婚後の名前など読み上げる NHKニュース” http://t.co/gtX5SFr5
  • 17:10  本棚というのは「できる」ものではなく「作る」ものなんだ、という視点はもっとごり押してもいいように思う。本を買った結果が本棚なのではなく、むしろこう、自分の考え方を本棚に反映させるにはどんな本が必要なのか、という視点。それを教える場所、配列のお手本を本屋さんで学ぶような
  • 17:11  日刊マルスニュースの中の人が昔書いておられた、「本屋さんというのは配列の専門家なのです」という自己規定は、けっこう大事に思える。その職業を一言で説明すると何なのか。どうしてそれが大事なのか。言葉を持たない仕事は淘汰される
  • 17:13  リアル書店にあって密林にないものは「配列」であって、「あたたかみ」とか「ふれあい」とかどうでもいい。そっちに行くと、湿っぽくて暑苦しい、在庫が少なく検索もできない劣化アマゾンになる。だいたい密林は湿っぽいし暑苦しい
  • 17:19  バラバラに書いたメモ書きをどうしてまとめるのかといえば配列するためだし、教科書なんかを読んで、線を引いて、さらにそれをメモに書きだしたりするのも、要するに自分で配列するためだったりもする。
  • 17:21  教科書があるのにどうしてノートが必要なのか、パワーポイントのプリントアウトが配られる昨今、どうして今だにノートが販売されているのか、結局それは、「配列」という行為に暗黙の需要が確固として存在するからで
  • 17:23  何も考えずに適当に並べた本棚にだって、その人の個性や考え方が反映される。でもじゃあ、ある本の左側にどうしてこの本があるのか、それを言語化できる人はそんなに多くない。配列というせっかくの知的作業を、言語化して外に出せないのはいかにももったいない
  • 17:24  本を書くときに、どうしてこんな目次になるのか、自分の論はどうしてこの配列でないといけないのか、作者はたぶん説明できる。でもたぶん教科書を読むときに、そうした配列を気にする人は少ない気がする
  • 17:25  いわさきちひろが大昔、絵本を読む作法として、まずは表表紙を眺め、次に裏表紙を眺め、ちょっと休んでから中を開いてほしいとか書いてた。で、そうしている人はたぶんそんなに多くない。そういうのもったいないと思う。
  • 17:32  @k1h 実家に戻れば、いわさきちひろにしても、ピーターラビットの絵本にしても、かなり貴重な初版がたくさんあるのですが、自分が子供の頃に読んだものだけに、よだれから落書きからでボロボロで、見せたら作者に怒られそうなレベルという。。  [in reply to k1h]
  • 17:36  坂井三郎 の褌姿を見た記憶を持つ人が、もっさんの水着見てたりする可能性もあるのか。。
  • 17:44  @apapaodori 考えてみれば、洋服なら合わせにこだわるのに、本だと「適当」というのは、おかしいですもんね。。  [in reply to apapaodori]
  • 18:50  背広の下にジャージを履いて裸足で歩いたら変な人だと思われるけれど、本棚の配列で似たようなことをして気にしない人はきっと多い
  • 19:53  http://t.co/diMrzlty 配列の話を書いた
  • 19:55  http://t.co/PQu67Uy6 「本棚はファッション」というのは、本当にそのとおりだよなと思う。
  • 19:56  @unaden 「今泉棚」は初めて知りました。。ありがとうございました。  [in reply to unaden]
  • 20:51  実際問題として、Word で本一冊ぐらいの分量を持った文章を書く人って多いんだろうか ? プロである出版社の内部の文章は、Word を使っているところがけっこう多い(母からの伝聞)らしいのだけれど
  • 20:52  ある程度の分量を持った文章を、2年とか3年かけてちまちまと作っていく上で、バックアップの機能とバージョン管理の機能、メールでも掲示板でも、とにかくトピックごとにログが残る通信の機能は、あってほんとうにありがたいものだった
  • 20:54  大きな文章はけっこう高い頻度で作者を裏切る。いつもの感覚でクリックしてみてなぜか立ち上がらない、もうその時点で何もできない事態になったことが、3年で2回程度はあった。PCが落ちて書いた文章が全部飛んだことも。めったにないからこそ、強制的なバックアップが大事
  • 20:55  文章を書いていく中で、特に様々な人から意見をいただき、それを文章に反映させていく中で、文章のバージョンを切り戻す機会も、今までにけっこうあった。今度出すマニュアル本は380世代ぐらいあるけれど、全部保存してあるから後戻りがきく。
  • 20:56  文章を書いていく中で、根っこの考えかた、この文章をどういった考えかたに基づいて配列するのか、情報をどう見せるのか、という部分が何回か大きく変わった。その都度段落ごといくつか削除してみたり、今までになかった文章を、それなりの文章で付け加える必要が生じる
  • 20:57  大規模な修正をやってみて、あとから「やっぱりあれを消さなければよかった」という状況もまた時々あって、過去のバージョンに文章を戻す機能があると、こういうときにためらいなく余分な段落を削除できる。コメントアウトと一括削除とでは、書いている時の気分はずいぶん違う
  • 20:58  @GRUS_japone テキストデータ以外の文章は、やっぱりちょっと怖いですよね。。  [in reply to GRUS_japone]
  • 21:00  「戻せる」からバージョン管理を入れるのではなく、「削れる」からそれを入れるのだと思う。プログラムの開発とは異なって、文章を書くだけなら本来そんな機能はいらないのだけれど、段落ごと、あるいは章をまるごと削除して書き直し、流れを見比べたりするときには、ためらいなく削れるのが大事
  • 21:02  通信できることも、いろんな人と相談しながら文章を書く上では大事な機能になる。メールにそのまま貼り付けて読めること、その部分だけ誰かに相談して、切り貼りすれば使えること。アプリケーションをいちいち立ち上げずにいけること
  • 21:04  オーム社の環境で本を作らせてもらうと、作者ごとにメーリングリストSubversionTrac をくれる。最初はなれなかったけれど、何年か使うともうこればっかりになる。ローカルのPCからSubversionに原稿を保存できるし、Trac のチケットは携帯電話で読める
  • 21:05  文章を作るだけなら、見出しと箇条書き、数字付きの箇条書きがあればだいたい行ける。表組みがあるともっと助かる。その程度の機能が使える、テキストベースのマークアップ言語が、やっぱり文章を長く管理していく上での正解に思える
  • 21:06  何人もの人で文章を直しながら作っていく時に、誰かの通信が遅延すると、そこが律速段階になる。通信の遅延は、何年もかけて作るものであっても、やっぱり秒単位で時間を削る必要があるような気がする。返信は早ければ早いほどいい。それを迷惑に思う人はたぶんいないだろうし
  • 21:07  Word みたいなワープロデータは、そういう意味で、出先でスマートホンで開くのに別のアプリケーションが必要なのがちょっとつらいんじゃないかと思う。みんなどうしてるんだろう?
  • 21:09  「内科診療ヒントブック」に関連したメールは、今のところ1051通という表示が出ていて、レビュアーの方々とのやり取りはここに入ってないから、たぶんもっと増える。昔ながらの「返信に1日」ペースでこれをやると、それだけでも2年以上かかる
  • 21:12  今までちまちまと改訂を続けて、これはやるんじゃなかった、という反省の最たるものはIME の交換だった。ATOK でもGoogle IME でも、性能には何ら不満なく使っていたのだけれど、本を書いている最中に乗り換えると、表記の揺れがものすごい量で発生してしまう
  • 21:13  送り仮名の癖みたいなものは、原稿用紙の昔だったら作家の癖そのものであったのだろうけれど、今はもうIMEの個性になっている。文章を打つという行為はレンガみたいに単語を配列することであって、送り仮名にまでは気が回らない。あとからぶれを指摘されて初めて気がついた
  • 21:15  文章を作っている側としては、全く同じ文章を書いたつもりが、ATOKGoogle IME とでは送り仮名の出現頻度や漢字/ひらがなの選択が微妙に異なって、あとからえらく苦労した。医学用語もまた。
  • 21:16  どのIMEを使うのか、あるいはどんな辞書をそこに積むのか、とくに著者が複数になる時には、このあたりを最初に固定できると、あとから表記のゆれを治す労力が減るんじゃないかと思う。
  • 21:18  当たり前にすぎるけれど、単語登録の機能をもっと使うべきだったなと反省する。これもまた、便利だからそうするのではなく、登録を積極的に行うことで、将来的な表記のゆれを細小にできるからで。誤字も減らせる。
  • 21:19  本にまとめる最後の最後、どうしてこんな阿呆なミスをしたんだろう、と悩むような誤字脱字がたくさん出てくる。20万字ぐらいテキストを打っていると、どうしてもそういうのがある。でも単語登録機能を使い倒すと、このあたりだいぶ減らせるような気がする
  • 21:20  とくに熟語やちょっとした漢字とよみがなの組み合わせを、いちいち一文字ずつ変換をする機会があったら、そういうのはその場でどんどん単語登録すべきなのだと思う。その時は無駄に思えても、3年ぐらいしてから泣かなくて済む
  • 21:22  やっぱり文章は、ホームページのようなものではなく、あくまでも連続性を持った、「本」としての形式を意識したまとめかたをしたほうがいいんだと思う。そうしないと配列についての意識が軽くなるというか、長々とした文章にしないと、配列ってどうでも良くなってしまう
  • 21:22  @koizuka あれは昔、おせっかいだなと思っていたのですが、Google IME に乗り換えて、気がついたら誤変換の嵐に青ざめたのです。。  [in reply to koizuka]
  • 21:23  配列を最初から意識せずに文章をただ重ねると、たぶん本にならない。配列を、「あとからまとまったら考えよう」とすると、結果としてすべての文章パーツが使い物にならなくなってしまう。知識の置き場所、番地みたいなのは最初から決めておかないといけない。
  • 21:25  Wiki は知識の共有に便利なようでいて、個人的には厳しいんじゃないかと思う。前の本を出した時にPukiWiki Plus にすべての原稿を閲覧可能な状態にしたのだけれど、そこで得られた反応を元原稿に反映させようとすると、結局全部書きなおす必要が生まれた
  • 21:26  Wiki はどうしてもホームページ的というか、流れみたいなものを考えて文章を作るのには向いていない気がする。Wiki に書かれた全データをまとめて抽出、本として閲覧可能な状態にする機能がほしい
  • 21:26  RT @iguchiyousuke: @medtoolz 映像制作の演習でも「とりあえず撮ってから後で構成を考えようとすると絶対に失敗する」と教わりました。
  • 21:27  @iguchiyousuke ああ、やっぱり実際に学校でもそう教えるものなのですね。。ありがとうございました  [in reply to iguchiyousuke]
  • 21:28  そういう意味でやっぱり、研修医の人たちは、同級生同士で使用するマークアップ言語を取り決めた上で、どこかにリポジトリを作るといいんだと思う。最初は大変だけれど、あとからメモを使いまわすのにほんとうに便利だから
  • 21:29  @motoyuki 最初に出版を相談した出版社では、まさにそのとおりのことを言われたのです。「全部最初から書き直しますから、どんな形式でも大丈夫です」と。  [in reply to motoyuki]
  • 21:32  LaTeX で書いた文章がなんとなくそれっぽい文章になるみたいに、Markdown で書いた文章やReView で書いた文章、あるいはreStructuredText で書いた文章も、それぞれ「それっぽさ」みたいなのを背負うものなんだろうか。。
  • 21:40  連載をまとめた本は多いけれど、Blogをまとめた本はそんなに多くない。編集者があらかじめ「何をどういう配列で書くべきか」を指定した連載と、そのとき書きたいことをただ書いたblog と、まとめるときの閾値がぜんぜん違うんだろうと思う
  • 21:41  研修するときに、習ったことをただまとめても本にならない。「どう書くべきか」をあらかじめ設計しておくと、習った時に、習ったこととは別に、「まだ習っていないこと」への注意が生まれる。同じ学習であっても、そうした注意の有無は、きっと学べることの量が全く異なってくる
  • 21:42  そういう意味でもだから、実際に出版するのかどうかはさておき、「本をつくる」という前提で、研修医がお互いのメモ書きを共有することには意味がある。「単にまとめる」だけでは何も生まれない。みんなで同じ流れや配列を共有することに大事な役割があるし、そのための道具は役に立つ
  • 21:45  みんなで材料を持ち寄ってカレーを作るときに、すべての人が肉を買って野菜を買わなかったり、あるいはまな板に全員が集中して誰も鍋の番をしなかったら、料理は決して完成しない。勉強も同じ事だと思う。何を作るのか、どう作るのかをあらかじめ共有することで、初めて成り立つものがある
  • 21:45  @kumabcdefg テーマに基づいてBlog を書く人もきっといるのでしょうけれど、自分も含めてたいていは、日記の延長ですもんね。。  [in reply to kumabcdefg]
  • 21:47  レシピと完成イメージを共有することで、分業料理はやっとスタートラインに立てる。それが闇鍋だって、鍋のイメージがなかったら鍋にならない。ふえるワカメちゃんとか突っ込んだら鍋に入らない
  • 21:48  「ネットでみんなで何か作ろう」という取り組みが、自分がやろうとしたのも含めてあんまり成功しないのは、方針の共有ができていなかった、そもそものスタートラインに、まず立っていなかった、という要素が大きいんだと思う。「魔法の鍋」というたとえ話ですら、鍋のイメージは共有できている
  • 21:49  完成のイメージを共有することと、たぶん最初の段階で、半ば強制的な役割分担、各分野に管理者を割り当てることで、分業は前に進むのだと思う。レンガを100年眺めてもたぶん家は建たないし、最初はたとえ理想に遠くても、やっぱり半ば強制的な割り当ては必要なのだと思う
  • 21:51  @kumabcdefg 配列がないっていうのは、要するに設計図なしで家建てるようなもんですもんね。。  [in reply to kumabcdefg]
  • 21:54  RT @kumabcdefg: @medtoolz 絵描きと美術館の運営は違う仕事なのかなと
  • 21:54  @kumabcdefg たしかにそのとおりですね。。  [in reply to kumabcdefg]
  • 21:57  でも機関リポジトリ持ってる病院もポツポツ出てきてるんだな。。
  • 22:02  RT @lucifer_af: 「間違ってほめた子供は、けっこう大変なことになる」をトゥギャりました。 http://t.co/M0KHPqq1 個人的には、リンク先の漫画のイメージ http://t.co/Z8BoaAwL
  • 22:04  成果に到達できなかった人に対して、その過程をほめてしまうと失敗するし、正しい工程を踏まずに、たまたまいい成果に到達できた人をほめてしまっても、同様に失敗する。「正しくほめる」ことは、だからほんとうに難しいし、全行程見張ってないといけないから恐ろしく面倒くさい
  • 22:06  失敗したら叱ればいいのなら、成果に到達できなければ叩けばいいし、工程が間違ってたら叩けばいい。工程と成果と、ほめるべきは1/4で、適当に叩いてれば3/4成功で、教育にリソースぶち込めないのなら、ほめるよりも叩くほうが正解である可能性が高い
  • 22:07  「ほめてしつける」って口で言うのは簡単だし、それに成功したらすごい成果をあげられるのもまた確かなんだろうけれど、間違ってほめられて失敗した人もきっと多いし、叩かれた子供がじゃあ、みんなどうしようもなくなくなっているかといえば、案外そうでもない
  • 22:08  しつけの歩留まりみたいなので論じるのなら、親御さんがそこまで教育にリソースを割けず、なおかつ教育というものに対する知識や経験を欠いているのなら、ほめるよりも叱って叩くやり方をしたほうが、実は子供にとって安全なんじゃないかと思える
  • 22:12  「ほめて伸ばす」ってすごくいい言葉なんだけれど、ニコ生でときどき性犯罪まがいの振る舞いをする子供が出るのもまた、「ほめて伸ばされた」結果でもある。「ほめるのはものすごく効く。いい方向にも悪い方向にも」が正しいんだと思う
  • 22:14  ほめる形式のセミナーをやっていてとにかく面倒くさいのが「見る」ことで、参加者とトレーナーとが1対1ぐらいの人数になっても、まだ「目が足りない」と思う。学校の先生なんて、一人で何十人なんだから、そもそもほめて何かするのなんて絶対無理だと思う
  • 22:15  そのあたりニコ生って、一人に対して目は無数で、通信はほとんどリアルタイムで、見る側の「空気」みたいなのはコメント欄で共有できて、「ほめる」道具としてものすごく良く出来てる。よく出来すぎているから、恐ろしいことになるんだと思う
  • 22:16  @KKanehira 先生の数が10倍以上に増えても、「ほめる」はきっとそれでも遠いんだろうなと  [in reply to KKanehira]
  • 22:23  @kentarofukuchi 研修医の頃、毎日のように行われる講義を「面倒クセェ」と思っていて、自分がその立場になって、「俺のほうがもっとずっと面倒クセェ」というのがよくわかったのです。。  [in reply to kentarofukuchi]
  • 22:23  @kumabcdefg 自分は怒られてばっかりだったので、そのへんがよくわからなかったり。  [in reply to kumabcdefg]
  • 22:23  @KKanehira 安全な落とし所として「しかる」というのは、そんなにずれてないような気もするのです。  [in reply to KKanehira]
  • 22:46  RT @kentarofukuchi: @medtoolz ちょうど今読んでいる福田恆存の本に「個性などというものを信じてはいけない。もしそんなものがあるとすれば、それは自分が演じたい役割ということにすぎぬ」という一文があり、これは子供(学生)の場合「大人が演じさせたい役 ...
  • 22:47  @kentarofukuchi たしかに個性って、勝手に生えてくるんじゃなくて、誰かが投影するものですよね。。親御さんの目にかなわない個性が生えてきたら、「馬鹿やめろ」と枯らされることがほとんどなわけで  [in reply to kentarofukuchi]
  • 22:47  @graynora 心肺蘇生の講習会が、参加者とトレーナーがだいたい同数で、個人的にはそれでも「足りない」よなと。。  [in reply to graynora]
  • 22:50  SEALs の、あの人件費の塊みたいなエリート集団を育てるときに行使される教育手法が「叱る」であって、なおかつBUDs のトレーナーは受講生とほぼ同人数、3交代で受講生を見張ってるんだから、「見て」「ほめる」ことはそれだけ難しく、お金がかかる。米軍でも支払えないぐらい
  • 22:54  「ほめる」ってこう、焚き火の燃料にガソリンを使うようなところがあって、ちゃんと制御しきれるのならばものすごく効果的だけれどたいてい失敗して、有効利用するのに必要な道具や設備が莫大にすぎるんだろう
  • 22:55  @KKanehira オリンピック級のアスリートの親御さんは、全人生を子供にぶち込んでいる人が結構いて、でもそれをやってあの舞台に立てなかった子供もまた、たぶん裏側には無数にいるのでしょうし  [in reply to KKanehira]

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