「頑張ってますね」は禁句か?

人の誉めかたには、努力の過程を誉める方法と、その結果を誉める方法との2種類がある。

「頑張っていますね」「大変ですね」という言葉は相手の努力の過程を賞賛する言葉だが、声をかけた相手は自分に比べてなにか大変な思いをしている、ということを前提にしている。

たとえば、高齢者介護を一生懸命続けているご家族に対して、外来などで「頑張っていますね」と声をかけるのは、世の中にはもっと楽をしている人が大勢いる、ということを暗に指摘してしまっている。

相手の境遇の大変さを外来のたびにいちいち確認していては、「自分たちの今の状況は大変だ」->「やっぱり病院に長期入院させてもらおう」という動機を強化するだけなのではないだろうか。

外来担当医は、「頑張っていますね」「よく続いていますね」「大変ですね」といった努力の過程を誉める言葉よりも、むしろ「すごくよくなりましたね」「○○さん元気になりましたね」という介護の結果を賞賛する声をかけたほうが、ご家族が自宅で介護を続ける動機を強化できる。

高齢者の在宅介護は厳しい。

介護保険は重症の方であるほどその使い道は限られ、十分な助力など家族には与えられない。保険の利く範囲を大きく超過して訪問看護を行ったりしても病院には何のメリットもないが、そこまでしてもなお介護力が全く足りない家族は多い。

今の日本で一番賢い方法は、救急などにあまり興味のない、医師の年齢層の高い国立病院を探して緊急入院、そのままムンテラの際にごね続け、1年でも2年でも入院させてもらうことだ。

どんなに軽症の人でも全介助、家族は単に患者を見舞うだけですべてのことは病棟スタッフがやってくれる。

費用もほとんどが国が保険で負担するので、介護施設に入れることを考えればタダ同然。

こんなことは、高齢者を2-3回入院させれば、どんな家族でもすぐ気がつく。

高齢者の場合は入院期間が1ヶ月以上になることは珍しくはないが、入院期間が2週間も過ぎるとまず自宅の空気のにおいが変わってくる。部屋も1部屋丸々空き、家庭の雰囲気も明るくなる。

家族は自分たちの時間が持て余すほど増えたことに気がつき、さらに入院患者の年金がそのまま自分たちの好きなように使えることを知るにおよんで、もう2度と患者を自宅で診ようなどとは考えなくなる。

大事なのは家族が「正解」に気がつく前に自宅にお返しすることなのだが、ほとんどの家族はもう最初から正解を知っている。入院した瞬間から「とにかく、なるべく長く入院させてください」と頼むご時世に、病院側の努力だけではもう限界に近くなっている。

急性期病院の入院費用は明日から現状の4倍、増額分はすべて税金として介護保険の充実に当てる

こうした宣言を厚生省が行っても、市中病院の医師からは反発は出ないのではないだろうか。とにかく、急性期病院と老健施設との入院費用が10倍以上開いている現状の制度をなんとかしてほしい。