ペアプログラミングの概念を用いた臨床研修

研修医の教育は面倒くさい。スタッフも、シニアレジテントも、研修医の教育に割く時間はもう1ナノ秒足りとも増やしたくない。一方、研修医の成長には誰もが期待している。早く1人前の戦力になって、病棟業務をより軽快にこなして欲しい、自分達が日々行っている戦いに、一刻も早く「味方」として参加して欲しいと皆心から願っている。



目的

  • 臨床研修の効率を現在以上に上げる
  • 現在のローテーション研修制度に対する変更は最小限に
  • 上級生の負担は一切増やさない





具体的な方法

  • 研修医を常に2人ペアで行動させる。
  • 1つの科に8人ローテーションしてくるなら「8人」とカウントするのではなく「4ペア」とカウントする。
  • 受け持ち人数は一人当たりの数は同じ、1ペアあたりの数は2倍になる。
  • ペアの行動は常に一緒。患者の搬送から検査への参加まで「分業」は原則禁止。
  • カルテはペアの片方が全部書く。もう一方は監督。2人の業務分担は数日ごとに入れ替える。
  • 科のローテーションは全員入れ替えではなく、ペアの片割れごとに半期ずつ行う。
  • 科を変わるたびにペアを組む研修医は変える。





これにより以下のメリットが期待できる

  • ペアで作業するのでミスが減る。
  • 2人がかりで作業するので、作業時間はむしろ短縮する。
  • 常に相手方がいるので士気が保たれやすく、だらだらする時間が減る。
  • ペアを半数ずつ入れ替えることで引継ぎ時のトラブルが減り、また科の情報伝達がスムーズに行われる。
  • 同級生同士のペアは対話ができるので、仲間はずれになって「潰れる」研修医が減る。

ペアプログラミングとは何か



ペアプログラミングは2人のプログラマが1台のコンピュータに向かい、同じ設計を共同作業でこなすものである。ペアの一人をドライバーと呼び、データの入力や設計の書下ろしを行う。もう一人をナビゲーターと呼び、ドライバーの作業の監視、戦術の欠陥、エラーの有無などを監視する。



この方法は、効率のよいプログラム技法として紹介され、注目されている。ペアプログラミングはほとんどのパートナーで成功する。誰と働いても問題を起こすような研修医でなければ、問題はまず生じないし、ペアをローテーションすることでそうした問題も回避できる。




研修医側のメリット




「このタイミングであの上級生を呼び出すのは禁忌」「この検査の時には必ずこう突っ込まれるので注意」といった、その病棟でしばらく生活していると分かってくる暗黙の知識は、ペアで研修を行うと非常に効率よく伝達される。上級生側も同じことを突っ込んでも答えられてしまうので、研修医にはまた新しいことを教えなくてはならず、結果として上級生-研修医間の知識の伝達も活発になる。



研修医がパートナーと作業すると、お互いの監視状態になるためモチベーションが上がる。一方がカルテを書く間、もう一方はその記載内容に間違えが無いかどうか、カルテのアセスメントに問題点が無いかどうかを監視しているので、結果としてカルテ記載のスピードと、カルテの品質とは共に向上する。ペアの両方が結託して手を抜くことも当然起こりうるが、研修医でそうした負のモチベーションが働くことは少ない。



ペアで行う研修は、相手のスケジュールに対して自分も気を使わなくてはならない。これは一方では不要なストレスが増える可能性があるが、遅刻の減少、だらだらといつまでも病院に残って仕事をしない研修医の減少といった効果も期待できる。相手のスケジュールに対して気を使うということは、仕事に自分で締め切りを作ることにもつながり、仕事に対する集中力が増す。おそらくは、研修医が病院に居残る時間は、ペア研修を導入することで若干減少するだろう。



研修医の集団を2人ずつのペアで分けることで、ペア同士の対話を行うことが強制されることになる。このため、特定の誰かが仲間はずれにされたり、また声の大きな特定の人間の意志が常に採用されるといった、集団の悪影響を抑えることが出来る。



パートナーがいると、一人のときよりも発言する勇気がつく。自分の意見は果たして正しいのだろうか、実は自分以外の人間にはすでにあたりまえのことで、質問することは恥ずかしいのではないだろうかといった不安は、パートナーと相談することで解消できる。結果、講義中に講師から「何か質問はありませんか?」と問われたときも、前のほうの2-3人が寂しく手を上げるだけといった光景が無くなり、上級生との質疑応答がより活発になる。



パートナーと一緒に仕事をすると、自分が知らないことを「知らない」と素直に認めることが出来る。研修医が上級医のオーダーを理解できないまま「分かりました」と言ってしまい、トラブルになることは珍しくないが、ペアが入ればお互い相談できる。ペアの2人とも理解していない問題ならば、それは上級生のオーダーが悪いのだ。「もう一度、説明してください」と下級生が素直に言える環境は、医療ミスの減少につながる。



一方が方針決定と実行、もう一方が監視者とい役割分担のあるペアを組むことで、研修医は自分の方針を常に相方に説明できなくてはならない。何か問題に突き当たっていたとき、それを解消する効果的な方法のひとつは誰かに自分の思考過程を説明してみることで、ペアで仕事をすると研修医の頭の中が整理されやすくなり、知識を誤って記憶することが減る。



ペアを組む相手を時々変えることで、そのペアが持っていた知識が次のペアに伝達される。ペアは半期ごとに変更されるので、結果として研修医の誰かに伝えられた知識は学年全体に急速に広がっていく。



病棟側のメリット



カルテの記載が高品質になる。カルテを書くモチベーションが「上司から怒られないため」になっている場合、カルテの記載内容は形式的なものになり、記載はだんだんと手を抜かれる可能性がある。ペアで研修している場合、研修医のカルテの記載は相方に対する「見栄」の要素が入ってくるため、記載内容はより豊かになり、病棟業務が効率よくなる可能性が期待できる。



キーパーソン損失のリスクが減る。要領のいいレジデントがいてくれる間は、ほとんどの病棟業務が口頭指示でいけるようになる。自分の研修医が何かわからないことがあっても、「あいつに聞いとけ」の一言でほとんどの業務が済んでしまう。こうしたレジデントが他科にローテーションしてしまった後の病棟は悲惨で、下手をすると上級生まで「これ、どうやるんだっけ…」と頭を抱えてしまうこともしばしばである。研修医にペアで研修をしてもらうことで、こうしたキーパーソンの知識はペアに伝えられ、「あいつがいてくれたときは楽だったのに…」と上司が嘆く機会が減る。



新人トレーニングの時間が減る。病棟業務の大まかな流れ、患者さんの紹介や病気に対する説明といった時間は、上級生にとっては本来無駄でしかない時間だった。ペアの半分ずつを入れ替える研修システムを導入することで、新人トレーニングは研修医どうしでなされるようになる。同級生同士の情報伝達は質問が自由に出来るので、上級生があれこれ指図するよりも確実で、正しい情報が伝えられる可能性が高い。



ペアを上手に維持していくための方法



効率的なペアは、常にしゃべっている。沈黙は、ペアが正常に機能していない危険信号である。上級生は研修医のペアが正常に機能していることを常に確認し、間違ってもペア同士のお喋りに水をさすようなまねをしてはならない。



共同で作業しているペアは生意気になる。研修医同士とはいえ、2人集まると勇気も知識も2人分になるので、上級生にとっては「厄介な質問」が増えてくる。このときに上司が怒るとすべてが台無しになるので、注意が必要である。



ペアの作業分担を決めるのは、上級生の役割である。ペアを組んだ研修医が気を利かせようと思い、一人が病棟の雑務をこなしている間にもう一人が上級生の検査を手伝いにくるようなことをするかもしれないが、これを認めてはならない。そうしてもらうことでたとえ上級生の仕事量が減っても、あくまでも常にペアで行動してもらうことを優先させなくてはならない。



例えばペアで10人のカルテを書くような場合、5人ずつの分業を許してはならない。1週間ごと、あるいは3日ごとと時間を区切り、一人がドライバー役、もう一人は監視役とお互いの立場を守ることを徹底させなくてはならない。実行者としての立場を手放さない「目立ちたがり」の研修医に対して、上級医はある種の強制力を発揮する必要があるかもしれない。



研修医の功績は、すべてペアの功績である。個人の努力を評価してはならない。どちらか特定の個人を持ち上げるような言動は控えなくてはならない。

この方法は、大学病院のような症例が少なく、また研修医の頭数がある程度そろっている施設で行うと上手くいくような気がしている。



「臨床的な」忙しい病院では、研修医が20人もちになっているところは珍しくない(自分達は40人持ちがあたりまえだった)。そうした環境で研修医のペアなど組もうものなら、患者さんを把握しきれるわけも無い。

一方、大学病院で問題になっている点、症例数の少なさや、一人あたりで経験できる手技の少なさといった点は、ペアを導入することである程度解消できるかもしれない。



いずれにしても、制度だけですべてが解決できるわけも無く、何らかの形で上級医がこうした制度が上手くいくように参加してくれないと、たぶんペアでの臨床研修は失敗する。

ペアプログラミングで問題になっているのは、個人の仕事の評価をどうするのかという部分で、この方法だと、「ペアのどちらがより多く仕事の役に立ったのか」を上司が評価し始めた点で制度が成り立たなくなる。



また、こういった制度は、研修医の実力の平均値を上げる効果は確実に期待できるが、「大事なのはトップの実力。落伍者には興味は無い」という意見の持ち主も頑として存在する以上、個々の評価を拒否するこうした制度の導入には困難が伴うだろう。

そこそこの忙しさで、研修医や指導者のマスがある程度整っている施設といえば、大学でなければ国立国際医療センターぐらいだろうか?