地雷があったら踏んでみる

地方病院への急な派遣は厳しい。

不慣れな施設でいきなり救急業務をはじめる不安。バックアップ体制の不備、もし万が一のことがあっても自分をカバーしてくれるスタッフはもちろんいない。

歴代の先輩医師も、地方への派遣は皆「きついよー」と言う。彼らはもう自分の仕事が忙しすぎて、こうした派遣業務要員としては対象にはならない。結局、何年経っても厳しい仕事は若手のものだ。

つらい、厳しいと分かっている仕事にむかうのは、地雷を踏むようなものだ。吹っ飛ぶと分かっているものを踏む奴はバカだ。

厳しい病院への派遣依頼は、もちろん断ることができる。断ったところで別に首になるわけじゃない。もともと人の少ない民間病院組織だし、若手がごねれば、上層部には何の強制力も施行できない。

そのことは誰もが分かっている。にもかかわらず、こうした厳しい派遣依頼を断るレジデントはいない。

こうした移動の依頼は、内科の部長から言い渡される。部長のやり方はこうだ。

ほら、地雷だよ。前から踏みたがってたろう?君なら踏めると思うんだ。
こういって部長が地雷を目の前に置く。

これは地雷だ。踏んだら火だるまだ。それを分かっていても、若手はとりつかれたように地雷を踏み、何ヶ月かしてからボロボロになって本院に戻ってくる。

さらにしばらくして、部長はレジデントにまた地雷を差し出す。爆発のすごさも、火傷の傷の痛さも体が覚えているはずなのに、レジデントはまた地雷を踏んでは火だるまになる。

地雷が地雷であることを隠さない方法論は、強力に人を動かす。病院内では、地雷を踏んで怪我をした奴は「地雷を踏んでも生き残った奴」として名誉と賞賛を得る。たかだか300床程度の中規模病院の中での賞賛など、たかが知れてる。それでも、周囲からの賞賛の声というのは地雷を踏むときの強力な後押しになる。


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絶えざる危険。生還の保証なし。成功の暁には名誉と賞賛を得る アーネスト・シャクルトン
広告史でもっとも有名なこの求人広告は、1900年、イギリスの南極探検家によるものだ。新聞の片隅の、ほんの小さなスペースに掲載されたにもかかわらず、応募は殺到したという。

名誉は人を勇敢にし、正常な判断力を失わせる。

小児科や産婦人科だってそうだ。たぶん自分の今いるところも。医師免許を1枚持ってさえいれば、もっとリスクが少なく、収入も多い職場はいくらだってある。それでもある種の医師は敢えてキツい職場にいく。

名誉といっても、別に勲章がもらえるわけじゃない。周囲のほんの数人、あるいは実態のない「世間」みたいなものから「たいへんだね〜」と言われたいだけだ。下らないことかもしれない。たぶんそうなんだろう。それでもそうしたわずかな賞賛の声さえあれば、仕事中毒の医者は喜んで厳しい環境で睡眠時間を削る。

地方国立病院の救急医療に従事する医師、産婦人科や小児科医療に携わる医師の不足が叫ばれている。この解決策として、医師の待遇の改善や労働時間の短縮を叫ぶ人たちは、こういったキツつい環境で働く連中のことを理解していない。

こうした職場で働く人が減ったのは、別に待遇が悪くなったからでも、賃金が安くなったからでもない。勤務時間が1日20時間になろうと、賃金が今までの半分しか出なくなろうと彼らは辞めない。事務方のトップから「申し訳ありません。これしか給料でません。」の一言があれば、彼らのやる気は倍増することはあっても辞めようなどとは考えもしない。過労死するかもしれないけれど。

厳しい職場で働く医師を辞めさせたのは、厚生省をはじめとする事務方の上層部が末端の医師に名誉を与えなくなったからだ。

なにも医者を心から尊敬しろ、産科の医師が出勤するときは赤じゅうたんで迎えろなんて言っているんじゃない。裏でバカ扱いしたってかまわないから、口だけでも「大変ですね。頑張ってください。」と一言言ってくれればそれで十分。以前はこれがあった。今は何が惜しいのか、仕事バカに対して「バカですね」といわんばかり。

小児科は不採算、医師の実数はデータ上は余っている、産科は当直じゃないんだから、オンコール扱いでいいですよね?、給与明細は2階の事務室まではんこ持参で取りに来ないと渡せません、駐車場が少ないから、先生近くの有料駐車場借りてくれませんか?。

こうした一言一言が、名誉だけを支えに頑張っている連中にボディーブローのようにダメージを与える。名誉だけで笑って過労死できる仕事中毒の医者は、今も昔もたいして実数は変わっていない。変わったのは職場のほうだ。

公務員と付き合うのはものすごいエネルギーを消費する。非常に空しい思いにかられる。それでも、「国立」だから、「市立」だからという名誉だけを支えに、医師はきつい職場を支えてきた。こうした医師が、いまどんどん辞めている。「国」とか「公」とかいった言葉に、もはや誰もが何の尊敬も抱けなくなったからだ。

すでにお互いの信頼関係は地に落ちている。いまさらうわべだけ誉められたところで、誰も元の職場に戻ろうなどとは思わない。かといって、国家予算のどこを叩いても、忙しさに見合うだけの金銭的な報酬など、出てくるわけも無い。

失われた名誉を取り戻す方法は、自分は知らない(少なくとも、「無い」と習った)。
どうすればいいのだろう。

厚生労働省委員、自治体病院協議会からも同様の批判が相次いでおり、厚生労働省臨床研修検討部会は 2007年度からの新制度に、「地方」「医師不足」「マッチング」「小児科・産婦人科」「自治体病院」 の5つにカテゴライズされる問題点を一括で対応する対策を組み入れる事を了承した。

度重なる制度の変更に、現役の医大生から不安の声が漏れるのではないかと言う問いに対して、厚労省は「医師の行動規範である『ヒポクラテスの誓い』を鑑みれば、医師不足にあえぐ地方を見捨てて行く事は医療を志す者には出来ないはず。もう一度、医師を志した時の事を思い出してみて欲しい。」と自省を促した。

少なくともこの人たちにヒポクラテスを語る資格は無い。