有名病院研修医の予後が不良なことについて

有名病院で研修を受けた研修医が他の病院へ移ると、あまり幸せになれないことがあるらしい。

自分が研修を受けた病院は有名でもなんでもないが、卒業後の研修医のその後が、必ずしも幸福なものではないことは伝わってきた。うちだけかと思っていたら、よその病院でも同じだった。

臨床一直線の研修病院の後期研修は楽しい。病棟スタッフも全て顔見知り。研修医も自分と同じシステムで教育されるというアドバンテージは大きく、3年目以降の仕事の進みかたは信じられないほどスムーズになる。調子のいいときは、病院全体のシステムと自分の思考との区別がつかなくなるぐらいに物事がうまく進み、まるで自分の手足が病院そのものになったような気分になる。

この居心地のいい数年間を体験した後、研修医は外の世界を見たくなる。自分は今の病院では(自分的には)かなりうまくやっている。この力が外の世界でどこまで通用するのか、ぜひとも見てみたい。もっと自意識過剰な奴は、外の病院の同級生を教育しなおしてやろうというぐらいの気概で外に出る。

実際に外の病院に出てみると、まずは周囲の自分に対する無理解に唖然とする。

本当は、以前の病院のスタッフが自分というものを理解してくれ、不完全な指示であっても適当に補ってくれていただけだったのだが、鼻高々で外病院に出てきた卒業生にはそれがわからない。「どうして自分の意見を聞いてくれないのだろう?この病院レベル低すぎ。」こんな思考が頭をよぎった時点で、その卒業生のその後は不幸になる可能性が高くなる。

実際のところ、研修医個人の資質ほどには、研修病院のシステムの差は「医師の優秀さ」には効いてこない。研修医が5人いたとして、上1人はどこの病院にいてもすごい医師になる。下一人は、たとえ日本で一番優れた研修病院で研修したとしても、やはりそれなりの医師にしかなれない。システムの差が影響するのは真中3人だけだ。

病院ごとシステムの差は、研修医と言う「製品」を世に送り出す際の歩留まりの差として効いてくる。品質の高い研修システムを持つ病院は、そこそこの性能の研修医をより高い確率で作り出せる。一方で、出来上がった「製品」のクオリティには、研修医が思っているほどの差はつかない。

例えばそれが鉛筆であれば、日本の最高級品と北○鮮製の安い鉛筆とでは、品質に差があるかもしれない。たしかに後者のほうが書き味が悪く、折れやすい。それでも鉛筆は鉛筆だ。普段メモを取る分には、どちらを使っても何か致命的な差を生じるわけではない。

閑話休題。自分が優秀な人間だと信じている研修医は、周囲の無理解(本当は自分のプレゼンテーション能力が自分が思っていた以上に低いだけ)を周囲のせいにする。この病院はおかしい。自分のいたところの常識が全く通用しない。異世界だ。

人は異世界に放り込まれると、自分の経験よりも、自分が信用できる他の人間が経験したことを優先して信じるようになる。環境が変わった瞬間の人間は、あらゆる考えを無批判に受け入れざるをえない。

周囲が自分という人間を受け入れてくれないなら、すでにその世界で受け入れられている人の言うことを聞くしかない。それがどんなに間違って聞こえようと、自分の主張したことが鼻にも引っ掛けられないのなら、自分の意見は正しい意見にはなりえない。自信がどんどん無くなっていく。

新しい世界の知識が積み重なっていくと、いままで信じていたものと、新たに学んだこととの間に衝突が生じる。ところがこの時点で自分に対する自信を失っていると、研修医は非常に落ち込む。

自分は以前の病院で間違ったことを教えられた。今またここで、必ずしも正しいと思えないことを「正しい」と教えられている。
新しい病院での教えを本人が受け入れれば、その研修医は自分の人生において、2度も他人が下した重大な決定を受け入れざるを得ない立場に追い込まれる。これはかなりつらい。

教えを受け入れるのは、負けることだ。だれも負け犬になりたくない。本当は勝ち負けの2元論的な暗示にとらわれている時点で、すでに認知がゆがみ始めているのだが、こういう状態に追い込まれた奴は暗示の外に出ることなどできやしない。

研修医はこの時点で何を信じていいのかわからず、抑欝的になったり、あるいは新しい病院のスタッフに対して攻撃的になったりする。何を信じていいのか分からなくても、仕事をしないと給料はもらえない。自己矛盾に落ち込んでも、スタッフからの命令には無批判で従わざるをえない。無力感を感じる。自己解体がはじまる。

「普通の」病院、大学の系列病院で研修を受けた研修医、母校の大学病院に戻ってきて、同級生の多くいる研修医では、こうした問題は生じない。スタッフの「ノリ」が同じであったり、あるいは「仲間」が最初からいたりするため、新しい病院のスタッフから「この人はこんな医師」と分かってもらえるまでの時間が短いからだ。

有名研修病院から知り合いのいない外病院に移ってきた医師は、転職先のスタッフから、自分の人となりを分かってもらえるまでの期間が非常に長い。この不安定な期間に疑心暗鬼になり、自ら潰れていく。

受け入れられるためには、何かのきっかけが必要だ。何か特定の疾患に非常に詳しい、病院中でその手技をこなせるのが自分しかいないなど、何かの自分だけの売りがあれば、自分という人間を受け入れてもらうのはたやすくなる。この部分でも、「何でもこなせる医師」としての教育を受けた研修医は不利になる。

自分の場合は、呼吸器の回路組と栄養剤の知識で病棟内での立ち位置を得た。

前の病院で、一般内科研修後に循環器へ。一応PTCAも何とか一人でできる。内視鏡もできれば呼吸器の調節もばっちり。胃の亜全摘の術者もできる。俺って天才?本当は「できる」ことと「やったことがある」こととは全く違うのだが、当時は今以上にバカだったからそんなことは分かる訳も無い。同年代の研修医の中でもきっと自分は優れた医師に違いないと思い込み、大学病院へ。

今にして思えばあたりまえ以前のことなのだが、循環器内科に入った以上は内視鏡ができることは何のアピールにもならない。手術なんてもちろん必要ない。15年目、20年目クラスのベテランの前では、研修医のカテの腕前などどんぐりの背比べもいいところ。自身満々で乗り込んで、そこで初めて自分には何もアピールできるポイントがなかったことに気がつき、もう落ち込みまくり。

なんとかつぶれずに済んだ秘訣は以下の2つ。

スタッフドクターが自分の出自に興味を持ってくれ(ふりをしてくれただけだったのかもしれない)、自分の経験を否定せずに話を聞いて下さったこと。自分に唯一アピールできたこととして、病棟に「ゴミ」として余っていた呼吸器回路の部品から完成品を再生できたことと、経腸栄養製剤に妙に詳しい知識を持っていたことに、病棟ナースが関心を示してくれたことだった。

両方とも自分がアピールしたいと思っていた技量、知識とは何の関係もない、ほんのついでに覚えた知識。当然詳しいわけも無く、単にカタログどおりに回路を組めたり、メーカーのパンフの栄養量を覚えていたりとする程度。しかしこれがきっかけになり、「一般内科も詳しい循環器」として売り出す計画が見事に潰れた後も、「経腸栄養に詳しい面白い医者」として再デビューを果たすことができ、なんとか今まで生き延びることができた。

どんな知識でも、研修中には身につけて損になるものは無い。何が幸いするかわからないものだ。