相手からの信頼を得る

病棟で初対面の患者さん、またはその家族との交渉を行うとき、まず行わなくてはならないのが相手との信頼関係を築くことだ。相手からの信頼を勝ち得なければ、入院後の患者さんとの会話はぎこちないものになり、こちらの下す決断の全ては疑いを持って見られることになる。

マスコミのネガティブキャンペーンのせいで、医師の行う行為全てに対して疑いの目を向ける人は増えた。しかし、その現状を嘆いている時間があったら、疑いの目を乗り越えて信頼関係を築くノウハウを積み上げることだ。

お互いが疑心暗鬼の状態で行う治療は、トラブルを生む危険が高くなる。不必要な緊張感はかえってミスを誘発し、通常は問題にならないような些細なトラブルも、非常に重大な結果を生んでしまうことがある。ミスをしないように注意するにこしたことは無いが、疑心暗鬼の状態を解消できれば、不要なエネルギーを費やさなくて済むかもしれない。

以下、警察の人質交渉人のノウハウから改変。

敬意を表す
相手との信頼関係を築く最良の方法は、敬意を表すことだ。見下したり脅したりしてはならない。「おじいちゃん、こうだからね」といった親しげな口調は、ときにはうまくいくことがあっても、一定の確率で相手に不快な印象を与えかねない。丁寧な口調は相手との距離を一定以上に詰められない(これは欠点でもあるが利点でもある)が、一方で無難で確実ではある。

患者さんを○○さんと呼ぶ
患者は、「患者さん」などという「もの」ではなく人間だ。彼らは人間であって、無生物や駆け引きの材料ではない。

あえて「患者さん」という突き放した言い方をすることで、患者さんの家族の患者イメージを変化させるテクニックもあるのだが、まずは無難な方法を選択すべきだ。

約束を守る
嘘をつかない。約束をしたら必ず守る。患者さんと何か約束をして、それを果たすことを繰り返すことで信頼関係を醸成する。まずは研修医が守る自信のある小さな約束(食事内容を変更する、緩下剤の量を調節するなど)を守ることからはじめ、信頼関係を作っていく。

相手の話を聞く
ただ聞く。余計な話をはさんだり、反論したりしない。聞くのにもっとも難しいのは、頭の中の先入観のフィルターを取り去ることだ。相手が医者を信用していない、という話をはじめても、最初は反論せずにただ聞く。言い出してすぐに反論して黙らせても、敵意を強化されるのがオチだ。

会話で大切なのは、相手がこちらにどう写るかを話すことだ。たとえば、「気が滅入っているんですね」と言う代わりに「気が滅入っているように見えるのですが」と話すようにする。疑問形を多用する話しかたは、高圧的な感じが少なくなる。

信頼のゴールは100%ではなく51%である
「信頼」と「不信」との比は、51:49となれば十分である。

相手からの信頼は、100%まで取り付ける必要はない。そんな時間は無い。仲良くなることは悪いことではないが、家族ぐるみのつきあいをしてはならない。医者が患者さんから必要以上に頼られてしまうと、その信頼が壊れたときに信頼が憎悪に変わることがある。

医師は必ず複数の患者の主治医になる。誰かの希望を優先させるとき、別の誰かの要望を裏切らざるをえないときは必ずある。このとき、裏切る対象となる患者は「自分だけは特別」という思いを抱いてしまっているかもしれない。

つまらないプライドを捨てる
攻撃は、常に研修医の自尊心に対して行われる。

「先生のその話は、主治医の意見として考えていいのですね?」
「先生は、私の主治医ではないのですか?」
「私は先生だから、お話しているんですが」
こうした文脈で何かの言質を取られそうになっても乗ってはならない。なんだかしっくりいかないと感じるような態度は、必ず上級医と相談する。

05/03/16追記。
この文章はNYPD No.1ネゴシエーター最強の交渉術という、犯罪交渉の専門の人の回顧録から患者-医師関係の構築に使えそうな部分を集めたものです。

交渉の相手は患者さんやその家族ではなく、「誘拐犯」や立てこもった「強盗殺人犯」なので、その手法は臨床の現場で使っている方法とはかなり異なります。

信頼のゴールは100%ではなく51%であるという部分に対して異論のコメントをいただきましたが、このあたりは医者の立ち位置の違い(どんな地域で医療をしているのか、何科の医者をしているのかなど)や個人の考えかた(正義感や医療自体に対する考えかた)などの違いは当然あると思います。

個人的には、この本で述べられていた51%原則というものは、忙しい病院業務の中で、事故におびえながらカテを振り回す循環器屋をやっていて、一番共感できた部分でした。