医者が突進しなくなるとき

仕事に慣れたばかりの医者は無茶をしたがる。

医者を始めたばかりの頃、点滴一つ取れない頃は何をやってもお客さんの迷惑になる。採血をすれば相手の腕はアザだらけ。点滴を取ろうとすれば患者さんの顔が恐怖に引きつるのがすぐにわかる。

こんな状態をくぐりぬけて数年、ようやく他人様に迷惑をかけずに手技をこなせるようになった頃、医師はようやく人に対して「いいこと」ができるようになる。それは本来、正しい判断や患者を元気付ける言葉であったりしてもいいのだが、駆け出しの頃はそんな地味な能力など欲しくない。

若い医師にとっては、「唯一自分にできる人助け」が、手術であったり、心カテであったりする。覚えたての手技は、さっさと回数をこなして上手くなりたい。上手になればそれだけ、患者さんを助けることができるようになる。

腕を磨くという部分では医師も職人、カテはしたいし手術もしたい。手術の適応は甘くなり、わざわざ検査しなくてもいいような人にカテを勧めてみたりもする。

職人とはそういうもので、どんな分野の職人であっても、本能的に仕事に向かって突進したがる。ピッチャーは勝負したがるし、大工は大きな家を建てたがる。だからこそ、現場から一歩引いたベテランが、若手のエネルギーをコントロールする。

現場の突進力は危険だし、管理しなくてはいけない。現場が突っ走ることで人が死ぬならなおさらだ。

一方で、現場にこうした勢いがなければ、そもそも現場の仕事は回らない。

病人は放置しておけばいずれ致命的になる。侵襲の大きい手技であっても、やらなくてはならないときにためらったら、患者はどんどん悪くなる。

やたら敬遠したがるピッチャー、暴漢が襲ってくると逃げ出す警察。やたらと突っ込む奴は問題だが、一方で突っ込むのが仕事の職人が突っ込まなくなったら、その職業自体が崩壊する。

病院内でも急患を受けてくれる外科医は減り、救急外来の飛び込み患者はどこの科も取りたがらない。

産科の救急などもってのほか。ほんの数年前までは、お産は「自然現象」。医者同士の会話の中でも、「あれは病気じゃない」という声はまだまだ多かった。いまは緊急のお産は「爆弾処理」。今では病院中の職員が、産科医の悲惨な現状を知っている。みんな同情しながらも、自分達だけはああはなりたくないと真剣に考えている。

無茶をするのが好きな医者がいなくなったら医療はどうなるのだろう?

自分は同世代の中ではかなり臆病なほうで、いまだに診断カテも怖い。穿刺の調子が悪い日など、できることなら逃げたい。

それでも侵襲的な治療をやらせてもらえる機会が巡ってきたら受けるし、自分の守備範囲であれば必要なリスクは受ける準備はある。循環器屋は基本的には単純な奴が多いので、急患が来たら後先考えずに突っ込む。

もっと頭のいい科は、リスクに対する考え方が変わってきている。

転科の交渉をするときにも、患者さんの病気に対する責任の所在をどちらにするか、細かく決めようとする科も増えてきた。同じ内科の中でも、他の専門家に検査を依頼する際、説明用紙には自分達でサインをしなくてはいけないことも多い。

頭のいい人たちは先が見える。循環器屋が「とりあえず、直せば文句もないだろう」と突っ込んでいく中で、他の科には「直しても文句を言われる」時代が見えている。

もちろん循環器疾患の特殊性もある。いまだに何がベストなのかがはっきりしない医学の中で、循環器だけは何が正しくて医者がどこまでできるのか、かなりはっきりした線が出来ている。

それでも、やっていることのリスキーさは他の科に負けてはいない。いくら正しいことをやっても、合併症は一定の確率で生じる。デバイスが進歩し、技術レベルが向上し、治療が安全になればなるほど、心臓の治療も「お産」に近づく。

心筋梗塞の治療は成功して当たり前。失敗したら医療訴訟。
いまはまだそこまでは行っていない。それでも、カテ屋はまだ現状に満足していない。今後も医療の技術は進歩を止めることはなく、医師は自分で自分の首をしめることになる。

ある治療に関して、治療が失敗した時の家族の怒りのエネルギーの総和は、治療の安全性が向上しても変化することはない。
たとえば100人中10人に合併症を生じる治療が進歩し、合併症が100人に1人まで減少したとする。この時同時に、合併症1回あたりの患者の怒りは10倍になり、エネルギーの総和は変わることがない。

昔の医者は、10%の可能性を回避できなかったことを10回詫び、11回目の成功を祈念した。現在の医者は、成功率99%を失敗した者として訴えられ、人生を棒に振る。

治療が合併症必発の時代、治療は危険だったものの、医師と患者との間には信頼関係を作りやすかった。技術が進歩して合併症が減ると、こんどは万が一の可能性に医師への不信が集中する。医師-患者の関係は緊張を増す。

昔のお産は死との戦いだった。産科医の絶え間のない努力の結果、お産は患者さんから見て安全なものになった。産科学の進歩の結果、医者側から見たお産は爆弾処理の様相を呈してきた。

血管内治療のデバイスも改良されてきている。遠からず、カテ屋には産科医を同情するゆとりはなくなるだろう。

そのとき、自分に緊急の患者を受ける勇気が残っているのだろうか?。